世の中には信じられないような偶然があります。
アタシのマイファーストフェイバリットコメディアン・ヴォードビリアンは文句なしにザ・ドリフターズです。何しろ2歳になるかならないかという時期にドリフターズのコンパクト盤(LP音質のEPレコード)を買ってもらったってんだから強い。
しかし、その次、になると、これはもう、伊東四朗と小松政夫のコンビになるわけでしてね。
え?それの何が偶然かって?それはね・・・。
アタシはドリフターズの荒井注時代を憶えてる世代だし、志村けんなる若者が新規加入してまったくウケなかった頃になるとかなりはっきり憶えています。
もちろん志村けんは「東村山音頭」をきっかけに「コメディアン界の不動の4番打者」にまでのし上がるのですが、荒井注時代を憶えている者としては、志村けん加入後のドリフターズには常に違和感があったんです。
当然だけど志村けんがダメってことじゃない。しかし幼心にも「これは自分が知ってるドリフターズとは違うなァ」と感じていたというかね。
そんなタイミングで、ひとつの番組にブチ当たった。タイトルは「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」。いやはや、タイトルからして<やけっぱち>というか、何だか<つなぎ番組>っぽいっつーか、テキトーきわまっていますが、アタシはね、キャンディーズ目当てでこの番組を見始めたのです。
今思えば、異性として初めて惹きつけられた芸能人が伊藤蘭でして、ランちゃんが出るのなら、見てみよう、と。ま、裏番組に「紅白歌のベストテン」ってのがあったんだけど、アタシはそんなに歌謡曲好きじゃなかったからね。
ちなみに「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は渡辺プロダクション制作で、この枠でナベプロが番組をやるってのが「どういうことなのか」を知ったのははるか後年のことです。
ま、そんなことはどうでもいい。
さて、お目当てのキャンディーズ(主にラン)は「アイドルとは思えない、レベルの高いコメディエンヌぶりを発揮していた」と現在でも語り継がれている通り、コントでどんな役をやっても(それがヨゴレ役でも)何の照れもなく全力だった。「8時だョ!全員集合」でいかりや長介に徹底的に鍛えられたってのがあるんだろうけど「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の時点でのコメディエンヌとしての完成度は現今のそこいらのコメディエンヌや女芸人をはるかに凌ぐものだったと思う。
しかもキャンディーズがすごいのは、どれだけヨゴレ役でも「愛らしさ」をキープしていたところで、これは「コメディエンヌや女芸人は照れずに全力でやった方が可愛さが残存する」という指針にさえなったと思うんです。
その、キャンディーズのコメディエンヌぶりを支えていたのが伊東四朗と小松政夫のコンビだったのですが。
・・・などと、ここまでエラソーに分析めいたことを書いてきましたが「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」が放送されていたのはアタシが小学校低学年の頃です。
やっぱね、それくらいの子供って<ツッコミ>や<チェッカー>の役割を面白がったりは出来ないんですよ。つかそれはしょうがないっつーか当然でして、ドリフターズで言えば子供の人気の的はいかりや長介ではなく<ボケ>の加藤茶です。
同じことが伊東四朗と小松政夫にも言える。今では伊東四朗は大好きなコメディアンだけど、小学校低学年ではその面白さはわからない。同番組の「ベンジャミン伊東」はともかく、ツッコミの伊東四朗とボケの小松政夫のコントを見て面白がるのは圧倒的に小松政夫の方でした。
知らない知らない知らない!
どーして!どーしてなの!おせーて!!
表彰状、アンタはエラい!
ワリーね、ワリーね、ワリーネ・デートリッヒ!
小松政夫のギャグフレーズを挙げていったらキリがない。とくにすごいと思うのが
ニンドスハッカッカ、マー!
ヒジリキホッキョッキョ!
トーベトベトベガッチャマン~
ガ~ッチャマンニマケルナ
マケルナガッチャマン、ワ~!
これ、小松政夫の小学生の時の担任の「おまじない」らしいけど「ニンドスハッカッカ」の後の<マー!>という合いの手に天才性を感じる。少なくともアタシはこのフレーズ以外で<マー!>という合いの手を聞いたことがない。
というか、いまだにこのフレーズは面白い。あり得ない勢いと極限のナンセンスがあるからです。
どうでもいい話だけど、イギリスに「ナンドス(Nando’s)」っていうね、ペリペリチキンの店があるのですが、そこに行くたびに「ナンドスハッカッカ!」と言いたくなって困った。
もしアタシが「ナンドスハッカッカ!」と叫んで、店員が「マーッ!」って言ってくれたらその店員を全力でハグしたわ。
ま、醒めた目で「何だこのアジア人」と思われるのが関の山だろうけど。いや間違いなくつまみ出されるな。
どうも話が逸れるけど再び戻します。
あともうひとつ。「♪ しィらけどォりィ 飛ォんでゆゥくゥ 南のそォらァへ ミジメ、ミジメ~」という「しらけ鳥音頭」ってのもあって、アタシは子供の頃、親に泣きついてしらけ鳥のパペットを買ってもらった。あれ、今思い出しても、嬉しかったなぁ。
とにかくアタシの小学生時分に一番笑わせてもらったのは、たぶんドリフターズでも、そして欽ちゃんでもなく小松政夫だったと思う。
そんなアタシも成長して、大学に入った頃から植木等、そしてクレージーキャッツにハマるのですが、今も植木等はナンバーワンコメディアンだと思っているし、まさかそんな植木等の弟子として小松政夫がいた、という<偶然>はアタシにとっては驚愕だったんです。
しかし、よくよく考えればこれは偶然ではない気がする。
幼少時よりアタシの強い<好み>ははっきりしていた。というか大人になったからといってまったくブレなかった。だからドリフターズ→小松政夫→植木等、というラインは偶然というよりは必然だった、と言った方がいいのかもしれません。
そして「植木等の弟子」だった小松政夫にさらなる興味を持った。小松政夫単独でも強烈に記憶に残るコメディアンなのに、植木さんの弟子となれば、そして何より小松政夫が植木さんを強く尊敬している、と知ると、アタシの中で植木等と小松政夫はある意味同等の存在にまでなっていったんです。
2014年12月6日、アタシは御茶ノ水(ESPACE BIBLIO)で行われた小松政夫のトークショーに参加しました。
これは当時、講談社から「昭和の爆笑喜劇DVDマガジン」てのが刊行されてて、まあその絡みです。このムック本には東宝クレージー映画と呼ばれるクレージーキャッツ主演映画が多く含まれていたので、たぶん、植木等の話もたっぷりしてくれるだろうと。
でも不安もあって。
この手のトークショーの面白さってね、結局「司会者の腕」で決まっちゃうようなところがあるんですよ。
ちゃんとした(知識もあって話を引き出すのが上手い)人が司会だと、もう本当に面白くなる代わり、下手な司会者だと「何のためにゲストに来ていただいたんだ!」と怒りすら湧いてくることも多いんです。
んで、まあ、当日です。
お馴染み、淀川長治さんのモノマネで登場した小松さん、続いて司会が・・・、いや、いない。つかそもそもステージに椅子がひとつしか用意されていない。
つまり司会者なし、2時間ぶっ通しの小松政夫ひとりトークショーだったのです。
しかし、これはトークショーというより、いうなれば「小松政夫ワンマンライブ」。当然トークメインなのですが、随所に「知らない知らない!」や「どーして!」などの名フレーズをすべて<ホンイキ>でやられ、高倉健が笑い転げたという伝説の「製材所」ネタまで!(製材所ネタはタモリとの合作だったらしい)
予想通り、クレージーキャッツの話もいっぱいありましたよ。クレージー映画のメイン監督だった古澤憲吾のエピソードも、たっぷり。
しかしそこは2時間の長丁場。とにかく脱線しまくりで、気がつきゃ名ギャグの誕生秘話から、モノマネ(高倉健や田中邦衛もだし、古澤憲吾や萩原哲晶(「スーダラ節」をはじめとするクレージーソングの大半を手掛けた作曲家)といった「ホンモノ見たことねーよ!」なんて人まで)、それに民謡ネタ(←これ、本当は内容書きたいけど、ギャグのオチを割るのはルール違反だから止めておく)まで、まさに「小松政夫の世界」を頭から尻尾まで堪能させていただきました。
もちろんね、小松さんは自伝ともいえる本を何冊も出しておられるので、本と重複する話はありました。でも、本とご本人の口から語られるのでは全然違う。「知らない知らない!」の誕生秘話も、もちろん「あの口調」で全部やってくれるんだから違って当たり前です。
しかし、なんというか、正直、2時間ぶっ通しのトークを一切ダレさせずにやれるってのは本当に感動した。年齢を考えてもですが、それよりこの年代以上のコメディアンの人ってフリートークか苦手な人が多いんです。
何というか、昔はコメディアン・ヴォードビリアンに求められるものが今とは違ってた。アドリブ程度ならともかく、コメディアンにはフリートークの能力は必要なかったんです。小松さんの師匠の植木等ですら、フリートークは苦手だったし。
この時のトークショーは台本なんかあるわけがない、完全なフリートークです。しかしあれだけ脱線しまくって、どこに脱線しても爆笑が取れるんだから、あの年代のコメディアンとしてはフリートーク力は奇跡といっていいレベルです。
その、小松政夫さんが、2020年12月、逝去された。
思えばアタシが初めてトリコになったドリフターズのメンバーで生で観たことがあるのは加藤茶と高木ブーだけですし、植木等はコンサートに行ったのと、一度だけ、電話でお話しさせていただいたことがあるくらいです。
そこだけ取り出せば小松政夫さんもそんなに変わらない。二度ほどトークショーに行っただけだし、トークショー終了後のサイン会でごく短くお話しをさせていただいただけってことになる。
それでも、感覚としては、小松政夫さんが一番近いような気がしていた。何故だかはわからない。
あれだけ峻烈なナンセンスギャグをやっておられたわりには、小松さんには妙な「生っぽさ」があった。ふと、振り向くと、後ろにいそうな、というか。だから「前略おふくろ様」での半コメディリリーフのような役でも、本当に「そこ」にいるような感じがあったんだと思う。
亡くなった、となっても、その感覚は変わらない。もちろん、ものすごくショックを受けたには違いないんだけど、やっぱり、当たり前のように、あの佇まいで、いるような気がするんです。