わざと漢字を使わないのも肝心
FirstUPDATE2020.8.26
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それこそね、<薔薇>とか<憂鬱>なんてのは、パソコンなりスマホなりで文章を書く場合は何の躊躇もなく(<躊躇>もだな)書けるのですが、これは罠だと思うんですよ。

ひらがなを入力して変換する。このやり方ならいくら画数が多くても関係ないし書き順を気にする必要もありません。
だから、パソコンやスマホで「気を抜いて」文章を書くと難読漢字(正確には難<筆>漢字、か)だらけになる。
気を抜くとひらがなやカタカナばかりになる手書きの場合と真逆なのですが、まァ、ひらがなやカタカナばかりの文章は非常に馬鹿っぽいというか幼い文章になってしまいます。
では「難しい漢字をいっぱい使った文章」が賢く見えるのかというと、まァ中学生レベルの「賢そう」さで、しかも内容如何にかかわらず、異様に文章が堅苦しくなってしまう。つまり「読んでやろう」という気を失せさせる文章になりがち、というか。

だからアタシは、いくつかの言葉には<あえて>ひらがなを使うようにしています。
さっき書いた「かかわらず」とか「たんに」とかは極力ひらがなで書くように心掛けている。
「関わらず(拘らず)」とか「単に」くらい、別に難読でもなんでもないし、誰でも読めるとは思うのですよ。(「拘らず」は微妙か)
それでもひらがなにした方が全体が柔らかくなるからそうしているのです。
逆に「出来る」なんてのは極力漢字にする。画数も少ないし、「出来」の前後はひらがなばっかりになることが多いので漢字にした方が<区切り>が出来て可読性が上がるのです。

アタシの書く文章は「改行が少ない」とか言われることが多いけど、それも結局はその方が自分が読みやすいからで、最終的には自分が読みやすい=他人も読みやすいだと思うから。
つか自分は読みづらいけど他人は読みやすいなんてことに懐疑的なだけだけどね。







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