ドキュメンタリーの演出家ってそんなエラいのか?
FirstUPDATE2020.8.1
@Scribble #Scribble2020 #テレビ #物申す 単ページ テラスハウス ヤコペティ モキュメンタリー 演出 ドキュメンタリー

ものすごく誤解を生みそうなエントリタイトルですが、もちろん<凄い>ドキュメンタリー演出家がいるのはわかってはいるのですがね。

前にも似たようなことを書いたけど、どうもこれがいわゆる<やらせ>の本質なんじゃないかと思いまして。
自殺者を出した「テラスハウス」なんか典型的な例だけど、ものすごく単純な話、作為的である方が作為的でないものよりも絶対に面白い、と盲信しているような気がするんです。
たしかにね、何も作為的でないシチュエーションでは本当に何も起きない可能性がある。だからある程度「作為的に」コトを起こさせるんだろうけど、それは企画の問題だと思うんですよね。

本当に優れた企画なら作為的に何かやらなくても面白い状況が生まれるはずで、しかし企画そのものにたいして自信がないから作為的に面白くしようとする。
でもそれでね、仮に「それなり」になっても所詮は「それなり」レベルだし、どっちにしろ幼稚な小手先のゴマカシでしかないのには変わりないわけで。

つかね、本当は「一切作為的なしの完全ドキュメンタリー」か、ヤコペティがやってた「ドキュメンタリーの皮を被った作劇=モキュメンタリー」のどっちかしかないと思うんですよ。
「あんなもん本気にする人間が悪い」なんて言う人の気持ちもわかるけど、テレビというメディアを考えたらそこは絶対に配慮しなきゃいけない。つまり中途半端な誤解を招くような番組が一番タチが悪いと思うんですよ。
ヤコペティほど割り切ることも出来ず、作為を一切排除するほどの企画力も度胸もないドキュメンタリーの演出家ほど情けないものはないと思う。つかプライドが幼稚すぎるんです。だから幼稚で安直な演出を入れてこんな結果になる、と。

似非ドキュメンタリー番組のしょーもないメゾットなんか今すぐ捨てろよ。それは時代に合ってないとかって問題じゃないから。ま、たぶんわかんないんだろうけどさ。







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