共感力の大切さ
FirstUPDATE2020.5.8
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時節柄(なんて言葉を21世紀に入って使うことになるとは!)コロナの話が続くのはある程度しょうがないのですが、なるべく馬鹿ネタを間に挟もうとはしてるんだけどね。 それでもやっぱり、こういうことを書いておくことも大事じゃないかと。

インターネットが普及して「個々の感情」が手に取るようにわかる時代になりましたが、どうも、共感力の薄い人が多いなぁと。
言っておきますが「増えた」ではないんですよ。つか増えたかどうかなんて統計はないんだから、それはわからない。ただ剥き出しの感情に直面出来る時代になってそれが表出した、というか。

そりゃあね、共感だけでは何も生まれないって意見はわかるんです。しかし共感なき正論ではもっと前に進めない。まず大前提に共感がなければスタートラインにも立てないんです。
たとえば「自己責任」という言葉がありますが、これは本来自分で自分を戒めるための言葉のはずなんです。つか簡単に他人に投げかけて良い言葉じゃない。
なのに「志村けんが死んだ?そりゃあれだけタバコをパカパカ吸って、飲み歩いていたのなら、それは自己責任だろ」みたいな。

問題は「切り捨てる側」の感情です。
このご時世、フラストレーションが溜まるのはすごくわかる。でもそれ以上の共感は生まない。何故なら共感力の薄い人間に共感する義理はないから。
共感があるから、ヒトは「無償の行為」をする。ボランティアなんてまさにそうだけど、では自分は他人に共感しないけど、自分のことは共感してくれ、そんな身勝手な話はない。
もっと言えば正論を吐くことが、他人を簡単に切り捨てることがカッコいいという風潮が一番マズいんです。

つかそういう共感力の薄い人にこそ「意識高い系」という蔑称がふさわしい。
Macを持ってなかろうがスタバに行かなかろうが、共感力が薄い=意識高い系って方がよほどしっくりきますよ。







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