「ルックバック」なんちゃらみたいな長文エントリを何本かアップしているのですが、ああいうのって結局はどれだけ感覚を憶えてるかがすべてなんですよ。
データ的なことは面倒なのを覚悟すれば後の時代からでもいくらでも精査することは可能なんです。しかしそれだけでは絶対面白くならないし、誰が書いてもいい内容にしかならない。
つかこれは最近つとに意識してることなんだけど、アタシが何か書くのであれば、アタシが書かないと意味がないことを書いていきたいんですよ。こういった駄文は所詮は自己満足なんだから「自分が書くことにどれだけ意味があるか」だけがお値打ちなんじゃないかと。
となると、どれだけ感覚を憶えていられるかが勝負になるし、アタシが妙にこだわる2003年という年だって、これまた妙にこの年のことを感覚で憶えてるからいろいろ書けるんじゃないかと。
まァね、2003年は「記憶するに値する年」みたいなっつーか意識的に記憶してたわけじゃないけど、今思えば1995年とか2011年とかはもっと明確な意思をもって「憶えておこう」としても良かった気がするんです。
で、今年です。もう2020年ほど「記憶するに値する年」はない。もうこれは間違いない。たぶん死ぬまで「2020年に何していたか」の話題が尽きることはないと思う。
もうそうなるのが確定なんだから、なるべく記憶していこうとは思ってる。思ってるんだけど、忘れていくことも確定なんだから、せめて思い出すヒントになるようなことをね、Tumblr(現注・当時利用していたSNS)とかTwitterに書き留めておくべきなんだろうなと。
どこから手を付けたらいいのかもわからないけど、コロナ云々というよりはせめて「日本人」をしっかり見ていきたい。2020年に日本人はどう生きたか、コロナ自体よりそっちの方がよほど後で面白いはずですから。