出来ることなら韻は踏みたくない
FirstUPDATE2020.1.26
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地雷を踏みたくないとかね、そーゆーことじゃなくて、感覚としての話なわけで。

しつこいですが、アタシは昔レゲエなぞを齧っておったのですが、前にも書いたけど、何より楽しかったのが歌詞作りだったんですよね。
レゲエにはDJスタイルってのがある。ま、ヒップホップで言えばラップに相当するヴォイスパフォーマンスで、ラップよりはメロディがあるけどわりと定型のメロディに乗せて歌うことを意味する。間違ってるかな?まァいいや。

さてラップは基本は韻を踏んだ歌詞にするのが常套です。「韻を踏む」ってのを説明するのは意外と難しいんだけど、終わりの1音をね、「あ段」だったら「あ段」で連続させる。マイカー、買ったー、嬉しいなー、みたいな感じで。ショボすぎる例だけど。
レゲエのDJスタイルも同じで、キレイに韻を踏んだ歌詞こそ素晴らしいというか求められるものでした。だからアタシもね、それこそ逆引き辞典みたいなのに首ったけになりながら歌詞を作っていました。

ただ、どうも、当時からわかってたことだけど、本当に韻を踏むって良いことなの?みたいな疑問がずっとあった。「韻を踏んだ方が聴いてる側が気持ちいい」という理屈だったと思うけど、アタシは連続で韻を踏んである歌詞とかそっちが気になって逆にリズムに乗れないんです。
いやラップやDJスタイルに限らず音楽全般、さらに言えば普通の会話なんかとくにそうだけど、偶然韻を踏んだりしちゃったら、偶然駄洒落になってしまった、みたいな気持ち悪さを感じてしまうんです。

もうそれが当たり前になってるから意義を唱えづらいけど、何というか、メロディやリズムに言葉を上手く乗せるってそういうことじゃない気がする。上手く言えないけど、韻なんかぜんぜん踏んでなくても見事にリズムに乗ってる歌詞とかいくらでもあるしねぇ。







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