東京の食いだおれ
FirstUPDATE2019.11.21
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 今回は人形町の<食>について書いてみようかと。と言っても具体的な「美味い店紹介」みたいなことはやらないけどね。

 さて「京の着だおれ、大坂の食いだおれ」なんて言葉があります。最近では「京の着だおれ」という言葉が省略され、もっぱら大坂、つまり今の大阪の<食いだおれ>ばかりが取り沙汰されています。
 なるほど、大阪には「くいだおれ」という会社が道頓堀の通りの中腹あたりに「くいだおれビル」なるものを営業していましたし(現在は別の場所で営業)、そのマスコットとして「くいだおれ太郎」というディスプレイ人形(専門用語で言うならモーションディスプレイ)まで展示されていた。だから今では「食いだおれ」なんて言うと「あの大阪の」というより「あのマスコットの」ってなイメージなんじゃないでしょうか。
 それはさておき、大阪の人はずっと、我が街は食いだおれの街である、と自認してきました。そして自認するだけのことはあり、実際に美味い店は多いし、また歴史も古い。すでに17世紀末には「大坂は食いだおれの街」と言われていたと言います。
(余談ですが「食いだおれ」とは「食いすぎてバッタリ倒れる」という意味ではない。食道楽が過ぎて経済的に倒れる、という意味です)
 そうしたイメージがあまりにも強いせいでピンとこないかもしれませんが、しかし、間違いなく「江戸の食いだおれ」という言葉も存在していたのです。

 江戸が食いだおれの街と言われだしたのは、当然のことながら大坂よりもずっと新しい。それでも19世紀くらい、つまり江戸末期には「江戸の食いだおれ」という評判が出始めていたのです。(この場合「京の着だおれ」ではなく「上方の着だおれ」という表現と対になって使われていたらしい)
 明治以降になると、ついにそんなことさえ言われなくなり出した。江戸ならぬ東京こそ日本最大の都市である、良い着物、美味い料理が東京に集まるのは当たり前だ、みたいな風潮になったということでしょう。
 ま、その後、一時的とは言え東京は大阪に抜き返されるのですが、それは本題とは関係ないので省略。
 とにかく文明開化以降、東京に行けば地方では未知と言っていい、しかも美味いモノが食える。そうしたイメージは二十一世紀になった今も続いていると言っていいでしょう。

 では<江戸>ではなく<東京>の食いだおれ、つまり文明開化以降に食文化が栄えたのはどこか、と訊かれれば、アタシなら人形町を推す。
 そりゃあ銀座も上野も浅草も東京の食文化を支えたことには違いないけど、銀座は今も昔も高級繁華街で庶民文化とは結びつきづらいし、何より高い。浅草や上野は美味い店であっても、精養軒などの一部を除いていわゆる格式のある名店ではなかったので、代々受け継がれることが少なかった。つまりほとんど現存していないので比較しようがないんです。
 格式張るわけでなく、しかししっかり暖簾が守られている名店が一番多く現存しているのが、アタシは人形町界隈だと思うわけでして。

 さてさて、ここいらでちょいと掟破りのことをします。
 このエントリの最初に「京の着だおれ、大坂の食いだおれ」と言うようなことを書きました。アタシは神戸出身なので、大阪や京都とは、まァ同一商業圏と言える地域で育ったということに他なりません。
 その後、何故か京都とは縁がなかったけど、大阪には都合10年近く住んだこともある。だからそれなりに大阪のことはいろいろと理解していると思っているんです。
 だから言わせてもらいますが、「大<坂>の食いだおれ」は承知出来ても(そもそもそんな時代に生きてないから実態は知らないし)、「大<阪>の食いだおれ」には大いに異論がある。
 何が言いたいのかと言うと「たしかに大阪に美味いモノが多いかもしれないけど、神戸ほどか?」というね。

 おそらく神戸以外の人、とくに関東圏の、それこそ人形町界隈の方ならそんなイメージはまったくないと思いますが、神戸こそ食いだおれと言っていい街であり、本当に美味い店が多かったんです。
 何しろ江戸時代の末期には欧米人居留地を作っていたような土地です。当然、いわゆる洋食の庶民への普及も早い。また早くから中国人街が形成されていたせいで、中華料理も美味い。海も山も近い、という地形の利点もあって新鮮な食材も手に入る、といった塩梅で、戦前期の時点で今とほとんど変わらない食文化が形成されていたのです。

 戦前・戦中期に活躍した喜劇役者の古川ロッパは極端なる「食い道楽」としても知られていますが、巡業で関西に訪れた際はなるべく神戸にホテルを取るようにしていたと言います。むろん、目的は<食>です。
 とくに、まだ神戸にしか店舗がなかったドンクのパンをいたく気に入り、わざわざ取り寄せてまでして食べていたそうです。
 古川ロッパは宮内庁侍医の子息として東京で生を受けた、生まれながらの精神貴族でした。当然幼少時より美味いものを食い、舌も肥えすぎるくらい肥えていた。
 そんなロッパが、神戸の食文化に感激している。「食いだおれ」と言われた大阪の食文化ではなく、神戸の食文化に。

 アタシの家はロッパとは違ってビンボーだったし、精神貴族なわけがない。しかし「食い道楽」とまでは自分で思わないものの、幼少時より本当に美味いものを食ってきた、という自負があります。
 祖父の代から食べることが大好きで、何を削ってもまず食費に充てる、というような一族で育ったんだから、今考えても、こと食べ物にかんしてだけは贅沢をさせてもらった、と感謝しています。
 だから知らず識らずのうちに、食への要求が高くなる。何も高いものを食わせろってんじゃない。むしろ安くて美味いのに越したことはないと思ってるし。
 そんなアタシが「あれ?これ、もしかして、神戸と同等、下手したら上じゃないか?」と思ったのが人形町界隈なのです。
 2001年にアタシは転勤によって東京に来た、というのはこのカテゴリ内でも書きました。
 しかしこれが<初関東>ではない。1994年に渋谷、翌1995年からは湘南に居を構えていた。だから2001年の時点で関西と関東の食文化の基本的な違いはすでに把握していたことになります。

 関東のそば文化、関西のうどん文化、そしてそれに付随する出汁の色の違いなど当たり前の話であり、おでんの具にしたところで関東ではちくわぶなるものを入れるのに、関西では当たり前だった牛すじは入れない、なんてこともわかっていました。
 もちろん味付けの方向性の差異にも気づいていた。んでどっちが上だとか思ったこともあまりなかったんです。
 ただし、唯一違うなぁと思ったのは、外食の時です。
 たしかに関東にも美味い店はある。しかし「ジャンク的に美味い」か「高い」かのどちらかに限られる。関西というか神戸では当たり前にあった「ジャンク的でも高くもないけど、美味い」店は本当に見つからなかった。いやあったのかもしれないけど、そもそも「探さなければいけない」時点で、そこら中にあった神戸とは比べものにならないわけで。

 この時点でアタシは、正直諦めていたんです。ああ、関東っつーか東京はこんなもんなんだ。本当に美味いものは神戸に限る、と。
 そしてアタシは、食とはまったく関係のない理由で人形町界隈に引っ越してきました。2002年夏のことです。
 何しろアタシが勤めていた会社は、今ならブラック企業扱いされるような超絶忙しい、いや忙しさはそれほどじゃないけど、とにかく勤務時間が長かった。帰宅するのなんて、一切寄り道せずに真っ直ぐ帰って午前様が当たり前でしたから。

 そんな会社に勤めていたら、人形町近辺で飯を食うなんて不可能で、せいぜい夜中まで開いてる松屋とかジョナサンが関の山です。休みの日にしたところで、疲れ過ぎていて「美味いものを食おう」という気が起きない。
 アタシは人形町に惚れ込んで引っ越してきたのです。しかし実際に引っ越してみたら逆に散策とかほとんどしなくなった。
 もちろん情報は知ってたのですよ。この辺りには美味い名店と呼ばれるような店がいっぱいあるってのは。
 だけれども、先ほどから書いているように、アタシは東京の食文化を見くびっていた。どうせ高いんでしょ?そのわりに味もたいしたことがないんでしょ?と。

 ようやく人形町での生活にも慣れた2002年末くらいでしたか。アタシは一念発起した。せっかくこんな街に居住しているのに、あまりにももったいないんじゃないか。評判の店があるのなら、実際に行ってみて判断すればいいじゃないかと。
 そう考え始めたのにはきっかけがありました。
 アタシは酒飲みではない。もっとはっきり言えば下戸なのですが、部屋で、自分のペースで飲むという行為は嫌いではありません。そうは言っても酒の味が好きってわけじゃないので、乾き物ではアテにならないのです。
 なるべく味の濃い、ほっておいても酒が進むアテ、として考案したのが「鶏皮の豆板醤炒め」でした。
 ところがね、鶏皮ってのが何故か行きつけのスーパーに売ってなかったんですよ。だから荻窪に住んでた頃はほとんど食べなかった。

 人形町に越してからですが、人形町通りに「鳥近」という鶏肉専門店があるのを知ってね。一度名物の玉子焼きを買ったことはあったんだけど、これは関東風の甘い玉子焼きがアタシの口に合わなかった。
 しかし、鶏肉専門店ならば鶏皮くらい置いてあるだろ、と、もう一度覗いてみたのですが、ショウケースの中に鶏皮はない。思い切って聞いてみると「ありますよ。100g50円です」と。
 これは相当安い。今はショウケースの中にちゃんと鶏皮があって70円になってましたが、それでも安い。
 しかも実際に食してみると、さすが鶏肉専門店だけあって美味いんです。
 玉子焼きは味付けの関東関西の違いだからともかくとして、モノ自体は結構いいんじゃないの?
 つまりもしかしたら、味付けを含めてアタシの琴線に触れるような店があるんじゃないかと思い始めたのです。

 そこで、人形町交差点のほど近くにある「キラク」に行ってみたわけです。
 これはアタシの流儀なんだけど、初めて行く洋食屋では必ずポークソテーを頼む。ポークソテーでその店のレベルがわかると勝手に思っているんです。
 んで、食べてみてビックリした。これはすごい。アタシも神戸にいた頃から散々洋食屋のポークソテーを食べてきたけど、今まで食べたどの店と比べても頭ひとつ抜きん出ているんじゃないか、と。
 とにかくソースが実に美味い。極端に言えば「このソースがかかっていたら、何だって美味くなるんじゃないか」と思えるほどの味でした。

 たった一軒で、アタシの偏見は完全に払拭された。東京でも美味い店はある。そしてそれが集まっているのが、実は人形町だったんじゃないかと。
 ま、具体的にどうこうはまた今度に譲るけど、街中に普通に美味い店がある、というのは神戸の頃の感覚に近しく、私見では神戸よりは若干高いが(これは土地の値段を考えればしょうがない)、味は人形町の各店の方が若干上、という結論に達した。つまり値段まで含めると神戸も負けてないけど、単純に味勝負なら人形町の勝ちではないかと。

 「青島幸男とその生家 Page1」でも書いたけど、今なお美味い店が吸い寄せられるように増えてるような気がするし、今後も「知る人ぞ知る」みたいな名店が人形町に支店を出しそうな気がする。
 街の規模だけなら人形町なんて小さい。そんな限られた範囲がこと食文化に限ったとしてもまだ発展しそうなのって、ものすごいことじゃないの?
 となると「何を削ってもまず食費に充てる」という一族の末裔として人形町から目が離せないんです。

人形町ネタでありながら、アタシの生まれ故郷である神戸の食話が中心になってしまいました。
まァね、何らかの比較対象があった方が、少なくとも書く方は書きやすいもんで。




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