1980年代後半の小劇団臭がキツすぎる
FirstUPDATE2019.11.3
@Scribble #Scribble2019 #1980年代 #音楽 単ページ 戸川純 ゲルニカ

戸川純のことを書いた時に、彼女がヴォーカルを担当していたゲルニカの「銀輪は唄う」をかなりホメたのですが、まァ、それは今も意見は変わらないんだけど、アルバムの「改造への躍動」は、どうも、ね。

このアルバムは、というよりゲルニカというユニットはWikipediaにさえ書かれている通り、音楽活動というよりは「音楽を用いた演劇ユニット」に近い。だからヴォーカルの戸川純は自分は主演女優だと思っていたと。
そういうコンセプトはぜんぜん悪くない。つかなかなか良いところに目をつけたな、と思うし、もしリアルタイムに聴いていたらもっと違う感想があったんじゃないかと。
でも今、令和になってから聴くと、正直かなり辛い。というのもね、あまりにも1980年代的演劇臭がキツすぎるんです。

1980年代後半、アタシは大学生だったけど、いろんな絡みでいろんな小劇団を観に行った。正確には「行かざるを得なかったから行っただけ」だけど。
今はもう、どんな感じかぜんぜん知らないですよ。でも当時のアタシはどうしても、あの小劇団の<ノリ>に馴染めなかった。結構いろいろ行ったけど、どこの小劇団も似たような<ノリ>があって、それがしんどくて小劇団にはのめり込めなかったんです。
ゲルニカの「改造への躍動」を聴くと、もうあの頃をまざまざと思い出す。もちろんまったく同一ではないけど、空気感っつーか<ニオイ>はアレとまったく同じだわと。

何というかなぁ。どうも、自分の恥部っつーか青臭い頃のナマの姿を見せられているようでね。もちろん自分が作ったもんじゃないけど、自分の輝いていたトシの時代は何とこっ恥ずかしい時代なんだよと。
もちろん戸川純のせいではないんだけどさ。







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