刹那ヒーロー
FirstUPDATE2019.10.13
@Scribble #Scribble2019 #特撮 #ネガティブ #メンタル 単ページ 正義の味方 人類の平和 仮面ライダー 改造人間 開き直り

最近の仮面ライダーは改造人間じゃない、みたいな話を書いたことがあるのですが、結論として子供にちゃんと受け入れられているのなら別に構わないんじゃね?ってことにしたんだけどね。

その考えは今も変わらない。ああいう特撮ヒーローモノはあくまで子供のためのものであり、大人がどう感じるかはたいしたことではないんです。
ただね、それじゃあ理屈、つまり何のために悪と戦ってるのかの理由がない気がするんですよ。
え?そりゃ正義のためだろ、と言われるかもしれませんが、いやいや、たかが正義のためにそこまでする?みたいな。

これが「愛する人のために」ってのならわかるんです。人間というのは時として家族や恋人、本当に自分を慕ってくれる人のために命を投げうって戦うことはある。それをフィクションという形でやるのは間違ってるとは思わない。
でも守るのは、世界平和のため、とかなんでしょ?つかいくらなんでも漠然としすぎで、もちろんショッカー、じゃないけどショッカーに相当する悪の組織と対峙するって構造にはなってるけど、自分の命を差し出しても守るほどなのか?と。

ここで突然自分の話をします。
何度も書いたように、昨年は本当に人生最悪の年で、あまりにも辛いことが多すぎた。んで今は立ち直ったのかというと完全には立ち直っていない。たぶん死ぬまでこの傷は癒えないと思うけど、もうそれはそれでしょうがないと思うようになったっていうか。

アタシが「自分の力で自分を殺そう」という発想から脱却出来たのは完全に<やけっぱち精神>からです。
どうせどうもならない。いくら考えても今後の人生、良い方向に行けるわけがない。つまりあきらめの境地に達したんだけど、だったら、どうせ死ぬなら、別に今でなくてもいい。やってることはメチャクチャかもしれないけど、とにかくやるだけやってやれ、みたいな。
前を向いた、とは違う。そんないいもんじゃない。ただのヤケクソです。でもヤケクソになってみてあきらかに世界が違ってみえたのも事実でして。

アタシは極度の臆病者です。見た目とは真逆の、何をやるのも怖くてしかたがない人間です。人見知りってのも結局は他人が怖いからだけだしね。
それがヤケクソに開き直ってから変わった。怖いものがなくなった。ピストル突きつけられても、原爆突きつけられても、水爆突きつけられても、クソッタレって平気で言えるようになった。もちろん調和の気持ちまでなくなったわけではないので出来るだけ穏便に持っていこうとはするけど、一線を超えた後は何も怖くない。

ふーん、殺すの?どうぞどうぞ

と思えるようになったっつーか。
でもさ、ふと考えたんですよ。
もし今、自分に仮面ライダー並の能力があって、ショッカーのような悪の組織があれば、別に世界平和のためとやらのために戦うってのも悪くないなと。
誰から称賛されるわけじゃないし、下手こいたら自分が死ぬかもしれないけど、今ならそれでいい。ま、やれるだけやったわ、と思いながら死ねるんじゃないかとね。

自分がこんな感じになって初めてわかったんだけど、アタシはね、正義のヒーローなんてここまで刹那的じゃないとやってられないと思うんですよ。もうダメだ。何も失うものがない。いつ死んでも別に構いやしない、くらいにならないと正義のために戦うなんて出来っこないと思うんです。

そういう意味で昭和ライダーの改造人間ってのは理屈に合ってた。
だってもうマトモな人間としては生きられないんですよ。何がマトモかは難しいし、人それぞれだと思うけど、一般的に言われるような、社会に出て、結婚して、子供が出来て、みたいな「ありきたりの幸せ」は不可能ってことになる。つまり1号ライダーならまだ大学生でありながら今後の人生、ただ生きているだけ、老化がおとずれるのかも、老衰で死ぬのかも、病気になるのかさえよくわからない状態で生きていかなきゃいけない。
そんな無限に続くかもしれない特殊な人生にたいして、ヤケクソにならない方がどうかしてると思うんです。

改造人間になったからやけっぱち精神で悪の組織と対峙することが出来る、とするなら、いつでも普通の人間に戻れる改造人間ではない仮面ライダーは人間心理としてそこまでやるわけがないんじゃないのと。
「パーマン」でもみつ夫がパーマンを辞めようとする話がありますが、辞めたければ辞められるとなれば、仮に金銭が発生してなかったとしてもほとんど仕事と同じです。仕事は嫌になれば、たとえそれがたいした理由じゃなくても辞められるわけで、命にかかわるような任務など、ほとんどの人はやるわけがない。
もちろん、だからこそ、それでもパーマンを続ける決断をしたみつ夫の心は立派ですし、その決断を漠然とした言葉でみつ夫に語らせた藤子Fは素晴らしいと思う。

そんな理屈に合わないことは漠然としか語れないのです。それは本当によくわかる。でもそれが咀嚼出来ない人間もいる。理屈として「何故彼らは戦うのだろう」って説明を必要とする人はいるんです。
そうなると昭和ライダーは完全に理屈が通っている。逆に平成ライダーやパーマンは理屈に合わないってことになってしまうわけで。
つまりどっちがフィクションとして正解かって話をしたいわけじゃないんです。「パーマン」のようにやけっぱち精神がなくても話の持っていきようでさらに深みのある設定にも出来るんだから。

でもさ、個人的にはね、実は大人よりも子供の方が理屈っぽいと思ってるからさ。だったら単純明快な改造人間でいいじゃん、と思ったり。







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