2019年より時代劇専門チャンネルで「てなもんや三度笠」の放送(再放送?)が開始されてね、その記念(?)としてオリジナル番組が制作されるという力の入れようで。
こういうね、ただ単に「放送します」じゃなくて、見どころ解説を兼ねた、しかも当時を知る人をゲストに招いてってのは非常に意義がある。
ま、もう関係者もみなさんご高齢ですから。やるなら早いうちにやっとかないと。
オリジナル番組は出演者側のゲストが西川きよしと山本リンダ。当時レギュラーだった人で今も元気に活躍されている方から、となると妥当な人選です。
司会が徳光ってのはどうかと思うけど、ちゃんと名物ディレクターだった澤田隆治をゲストで呼んだのはエライ。この人がいるってだけで信用感がまるで違いますから。
もちろん当時の裏話満載で、見どころ解説もキチンとしたものだったけど、正直言えばド肝を抜かされた。
これはアタシが考えていたよりずっと凄い番組だわと。
「てなもんや三度笠」はずいぶん昔に見たことがある。何故かゲーム<専門>会社だった頃のコナミからビデオが出ていたからで、それをレンタルで借りた記憶があります。
ただ当時のアタシでは噛み砕く力っつーか知識がなかった。「あの伝説の」くらいの感じで見たように記憶している。だから細かいことは何も憶えていなかった。
オリジナル番組では火薬を使った仕掛けや殺陣のすごさが強調されてたけど、そこは別に驚かない。そういうのはね、「8時だョ!全員集合」のおかげで「更にすごいもので育った」って感覚があるからね。
アタシが心底驚いたのは、その<撮り方>と<テンポ>です。
何となくイメージで、それこそ吉本新喜劇とか「8時だョ!全員集合」と同じで、まず「仮想の舞台」を用意してね、それを中継する、みたいなスタイルだと思っていたんです。
つまり「あくまでテレビ番組を制作するためのものなんだけど、客席から見てる人からすればテレビ番組であることをあまり意識することなく、ごく普通の舞台を見ている感覚」だったんじゃないかと。
しかしそれは完全な事実誤認でした。つかスタイル自体が違った。
これは「舞台中継」ではなく、いわゆる「シットコム」ってヤツです。
正直シットコムの説明はメンドいけどやっておきます。
シットコムはシチュエーションコメディの略ですが、別の意味で使われることが多い。ま、コメディはコメディなんだけど、何というか「客入れをしたコメディ番組(シチュエーションコメディかスラップスティックコメディかは問わない)」の意味で使われることがほとんどです。
一番わかりやすい例は「奥様は魔女」でしょう。ああいう、ホールなりスタジオなりに客を招いて、客にストーリーを見せる形で番組が進行していく、それがシットコムです。
日本ではあまり作られることがなく、三谷幸喜がシットコム復権を叫んで「HR」なんてのをやったことがあるけど、日本でもシットコムと言えば海外製と相場が決まっており、アメリカはもちろん、アタシが2012年にイギリスに滞在していた時も普通にシットコムをやっていたわけで。
ってこれだけじゃ説明が不十分すぎます。
じゃあ吉本新喜劇のような舞台中継番組や「ドリフ大爆笑」のような笑い声が入ってる番組と何が違うのかがわかりません。
舞台中継との最大の違いは「<絵>として客席の存在の有無」です。
舞台中継の場合、これは舞台中継ですよ、というのを視聴者に意識させるように作っています。冒頭に「○○ホールより中継」というテロップを出したり、客席を含めた舞台全体のアングルを見せたり、客の笑い顔をアップで抜くことさえ珍しいことではありません。
そこがシットコムと決定的に違う。たしかにホールやスタジオからの中継だし、客も入れる。ひとつのシチュエーションで、つまりセットチェンジせずに最後まで行くこともままあります。
ただし客席は極力映さない。笑い声や拍手は入るけど、それだけ。つまり視聴者には「これは舞台である」ことを感じさせない作りにしてあるんです。
もっとヒドい例をあげよう。“放送批評懇親会ニュース”というパンフレットに、岡田晋という人が“姿勢を正せ”という題で、テレビ映画への注文を書いている。その結末に曰く「“アラーの使者”“竜巻小天狗”“てなもんや三度笠”といったデタラメなテレビ映画こそ、一日もはやく舞台裏に引っ込んでもらいたい」。ここでこの筆者は、二つのアヤマリを犯している。(中略)VTRの「てなもんや」を“テレビ映画”とまちがえたことは、致命的だ。つまりろくに見てないのに“批評”したことが明白だからである。(日本読者新聞1963年7月29日号・「テレビの黄金時代」(雑誌版)からの孫引き)
小林信彦お得意っつーか、実名を挙げてコキ下ろす悪癖が出た文章ですが、アタシは某氏が間違えたのはしょうがないと思うんですよ。たしかにフィルム撮影ではないし、笑い声が入る=客入れしている合図はあるんだけど、他はともかくそこを糾弾するのはどうかと思うんだけどね。
では「ドリフ大爆笑」などとの違いは、まァ「ドリフ大爆笑」はコメディではなくコントバラエティなので例としてはイマイチなんだけど、他に相応しい番組がないもんで。
「ドリフ大爆笑」や「オレたち!ひょうきん族」はいわば「似非シットコム」のようなもので、客入れはしてないんだけどシットコムの特徴である笑い声だけは入れる。もちろん客がいないから本当の笑い声ではなく作りものの笑い声、いわゆる「ラフSE」ってヤツです。
これの源流も海外なんだけど、アメリカかイギリスかそれ以外かは未調査なんでこの辺で。
何で長々とシットコムの説明をしたかというと、「てなもんや三度笠」が完璧なるまでのシットコムだったからです。つまり吉本新喜劇なんかとは根本的に違うスタイルだったという。
ただし、シットコムはシットコムだけど、つかシットコムの流儀に則ってはいるんだけど、シットコムの限界を軽々と超えてるんですよ。
冒頭に書いたオリジナル番組において澤田隆治は盛んに「テレビはアップ」と語っていましたが、本当に見事なほどのタイミングでアップが入る。
これだけ頻繁にスイッチングが入る、しかもカメラはたった3台で、さらにすべて通しでの収録(あとでカット編集などを施さない)で、ですからね。これは全スタッフの呼吸が合ってないと不可能です。
マジで放送されたものだけを見れば、とてもこれが<公開>という形で撮影されたとは思えない。それはセットの豪華さではなくカメラワークに原因があるぞとね。
もうひとつ、舞台とあきらかに違うのは<テンポ>なんですよ。
テレビのテンポと舞台のテンポはかなり異なります。速い遅いで言えば確実にテレビの方が速い。
しかしこれは当然なんですよ。
アタシは舞台中継を見てるといつも<音速>というものを感じてしまう。舞台から役者が声を発して、客席の一番奥まで到達し、跳ね返ってくる。さらにコメディの場合、観客の笑い声があり、それが波のようになる。
通常の舞台でやるコメディは「笑いの波が静まってから次のセリフ(展開)に移る」のが常套であり、こうした<間>を作らないと客は笑えないし、笑ったとしたら役者は笑い声でセリフがかき消されてしまう。
昨今の吉本新喜劇中継はあきらかにギャグのあとにカットが入る。そうしないとテレビで見た時に視聴者が余計と感じる<間>が出来てしまうんです。
ところがシットコムである「てなもんや三度笠」にはこれがない。つまり笑いの波が収まる<間>を作っていない。いくら公開番組とはいえ、あくまでテレビで放送するための舞台である、というのが明確です。
だから「てなもんや三度笠」の公開収録に参加した人は「あれ?テレビで見るより意外と面白くないな」と思ったかもしれない。もちろんモノホンの役者がそこにいる、というような下駄はあるから「テレビよりつまらない」とは思わなかったと思うけど、そんなに落差がなかったと思うわけで。
さてさて、ここまでが長い長い前フリ。前フリとしては長すぎるんだけど、ま、しょうがない。
ディレクターの澤田隆治(どーでもいいけど<りゅうじ>ではなく<たかはる>です)は自著でエノケンに強い影響を受けたと告白しているし、「てなもんや三度笠」のラスト(つか最終回というか最終展開というか)は「エノケンのちゃっきり金太」のオチからインスパイアされたとも書いてるくらいです。
だから、たしかに関西コメディで、出演者のほとんどは関西系の芸人、コメディアンではあるんだけど、意外とモダニズムの影が濃厚なんです。
とくにミュージカルふうに歌が挿入されるのは完全にエノケン映画の影響といっていい。んでこれがまた、実にいいんです。
藤田まことが歌えるのはもちろん知ってたけど、驚いたのが白木みのるです。これがね、上手いんですよ。しかも物語の流れに乗ったまま軽々と歌っているのがすごい。
何よりすごいのは藤田まことと白木みのるがふたりで歌うシーンで、つかこれも完全にエノケンの影響です。いやもっと言えばエノケンと二村定一の影響なんですな。
エノケンの盟友だった二村定一は「アラビアの唄」や「君恋し」などのヒットを飛ばしたレコード歌手でもありましたが、エノケンと共演した時の<売り>が「掛け合い漫唱」ってモンだったわけで。
掛け合い漫唱は読んで字の如く「歌による掛け合い」で、歌えることはもちろん、展開に沿って、時には喋りをはさみながら歌わなきゃいけない。これが出来たのがエノケンと二村定一だったんだけど、高等技術すぎたのか後継者というか伝承者がいなかった。
それこそクレージーキャッツだってやってないことはないんですよ。例えば「植木等ショー」において植木等と谷啓が掛け合い漫唱を披露している。
でも本当にそれくらいで、ま、クレージーキャッツはバンドなので、それなら演奏で、となったのかもしれませんが。
ところが「てなもんや三度笠」を見ると、藤田まことと白木みのるが見事としか言いようがない掛け合い漫唱をやってる。いや個人的にはエノケンと二村定一を超えてるんじゃないかとさえ思ってしまったくらいでね。当然時代も考慮しなきゃいけないけど。
アタシはしつこくコミックソングにこだわってるけど、もちろん掛け合い漫唱が重要な位置付けだとわかってるつもりです。
だけれども「掛け合い漫唱は所詮エノケンと二村定一による一代限りのもの」だと思っていたからあんまり深く考えてなかったんだけど、「てなもんや三度笠」を再見して、というか藤田まことと白木みのるコンビの鮮やかな掛け合い漫唱を見て、自分の中にあった歴史がひっくり返された気分になった。
いやぁ、冗談抜きに、知識が増えれば増えるほど、この「てなもんや三度笠」がどれだけすごい番組だったのか嫌ってほどわかってきた感じでね。
だってアタシが今まで求めていたものがほとんど入ってるんだもん。そりゃあね、これは本気で研究せにゃなるまい、と思ってしまうのも当然というか。
追記
2021年5月16日、「てなもんや三度笠」のディレクターだった澤田隆治氏が逝去されました。
氏は晩年にYouTubeチャンネルを開設しており、いつか、何らかの形でお会い出来れば、より詳しい「てなもんや三度笠」のお話を聞ければ、さらに踏み込んでエノケン論のようなものを聞きたいと夢見ておりましたが、叶わぬ夢となりました。
残念、という言葉以外見つかりません。ご冥福をお祈りします。
結局掛け合い漫唱の話はちょろっとで、大半は「てなもんや三度笠」の話になってしまいました。 でも本当、このトシになってっていうか今の知識になってから初めて見た「てなもんや三度笠」は衝撃だった。こんなことをやってたのかと。そりゃあ視聴率も上がるわと。 本当、澤田隆治氏と一度話したかった。まさかこんなに早く亡くなるとは。 |
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