「モンパパ」はバクハツだ!
FirstUPDATE2019.9.6
@Scribble #Scribble2019 #音楽 #クリエイティブ #大正以前 @戦前 単ページ モンパパ 岡本太郎 和洋折衷 フランス留学

えと、今回もまたまた、お古い話にお付き合い願いたいと。こーゆーのをしばらく書いてないと禁断症状が出るんでね。

「ゲージツはバクハツだ!」でお馴染みの(←いい加減これがお馴染みのフレーズなのはウンザリなんだけど、結局わかりやすいってことを考えたらコレになっちゃうっつー)岡本太郎ですが、若い頃にフランスに留学していたというのはそれなりに知られた話だと思います。
彼がフランスで味わった辛酸は2011年に放送されたドラマ「TAROの塔」でも描かれていましたが、そこまで苦々しげな記憶というわけでもなかったようで、テレビ番組に出演して「何か一曲」と求められたらフランス滞在時におぼえた(とおぼしい)フランスの楽曲を歌っていたくらいだから。

とくに、今回の表題曲である「モンパパ」はよく歌っていた。もちろん間違っても上手い歌唱ではないけど、実に味のある岡本太郎の歌声を聴くと、あの頃、つまり岡本太郎が留学していた頃のフランスが浮かぶ。それだけの思いを込めて歌ってたってことなんだろうね。
岡本太郎がパリに到着したのは1930年ですが、この年フランスで「巴里っ子」という映画が公開されている。名作、と言い切る自信はないけど、少なくとも主題歌は後世に残った。それが「モンパパ」です。

日本でも「モンパパ」はヒットしました。まず宝塚歌劇が「巴里っ子」を取り上げ劇中で「モンパパ」も歌われていますし、この時作られた訳詞が各人によって歌い継がれました。
エノケンもレコーディングしていますが、とくにこの歌を好んだのが古川緑波で、映画「唄ふ弥次喜多」の中でも(時代劇なのに)高らかに歌い上げるシーンがあるわけで、戦前期までは自身のテーマソング代わりに使っていたくらいの感じだったんでしょう。

何だか硬い話ばっかりですが、さらに続けます。
アタシが言うところの「戦前期に花開いたモダニズム文化=戦前モダニズム」ってね、実はヨーロッパの影響が濃厚なのです。
当然アメリカの影響も皆無じゃないけど、例えばエノケンが座長を務めていた劇団は「カジノフォーリー」って名前で、これはパリにある劇場「カジノ・ド・パリ」と「フォリー・ベルジェール」を捩った名前です。

他にも大正期に隆盛をきわめていた「浅草オペラ」の源流を作ったのはイタリア人のローシーという人ですし、「モンパパ」の訳詞者であり宝塚歌劇のスタイルを作った白井鐵造は「レビューの本場で勉強する」という名目でパリで修行をしている。
昭和ヒトケタまでの戦前モダニズムがどことなく<おっとり>しているのは影響元がヨーロッパ式だからなんですな。
昭和フタケタに入るとアメリカ式が色濃くなって全体的にスピーディーになるのですが。

さて、いい加減この手の話を終えますが、この「モンパパ」って楽曲、良くも悪くも絶妙なんですよ。
鼻唄として歌いやすそうで実は歌いづらいとか、難易度が高そうで実はそうでもないとか、憶えやすそうで実は憶えづらいとかね。
アタシもそこまで音楽に詳しくないのでいい加減な説明になっちゃうけど、譜割りがね、結構独特なんですよ。ま、今の時代ならこの程度の譜割りは珍しくないし、メチャクチャ難しい歌じゃないんだけど、慣れるまではかなり歌いづらい。

並木路子の(というかサトウハチローの)「りんごの唄」のサビはよく知らない人が歌うと大抵間違える。あれ、「♪ りんごの気持ちは~」とは歌わずに「♪ りィんー<ごのッ気持>ちィは~」で<>内を速く歌うわけですが、「モンパパ」はそういう仕掛けがいっぱいある。長い歌とは言えないのに。
だから慣れてないとどうしてもちゃんと歌えないんですよ。

しかし一度慣れたら、歌いたくなってしょうがない。「慣れないと歌いづらい」箇所が慣れると快感に変わるからで、歌ってて本当に楽しい気分になる。ま、歌詞的には恐妻家の風刺なので男性にとって愉快なもんじゃないんだけど。
ただね、歌詞でも見どころ、じゃないな、聴かせどころがあるのが面白い。
モダンさを感じさせる「時計」や「ダイヤモンド」、「靴下」(はわかりづらいけどこれも実は近代化の象徴)といったワードと「呉服屋」「勘定書き」などの旧来の日本文化が同居した感じが実にこの時代らしくて良いのです。

けども、どうも、この楽曲、現代に残っていない。
ちょっと知ってる人にも「モンパパ」というと「モンパリじゃないの?」と言われるしね。つか「モンパリ」も名前が有名なだけで旋律が今も残ってるってほどじゃないでしょ。
しかも「モンパリ」と違って「モンパパ」の訳詞は完全なコミックソングだもん。いやコミックソングとしてもちゃんとオチまであるのは珍しいよな。

最初の話に戻りますが、岡本太郎は白井鐵造の訳詞版を歌ってたけど、この楽曲を好んだのは絶妙な「和洋折衷(和欧、か)」があったからなんじゃないか。
パリでも日本でもあるし、どちらでもない。さらにナンセンスなコミックソングにしてあるコレを好んだのは自己の解放の意味もあったんだろうな。

ま、別に分析でもなんでもなく、ただの思いつきだけど。







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