先日ね、あまりにも退屈で見るものがなくて(つかちゃんとしたヤツは見る気がしなくて)、流し見でいいやって感覚で録画しておいた「恋は雨上がりのように」って映画を見たわけで。
そもそも何だってそんなもんを録画したんだって話だけど、大泉洋が主演だったから。それだけ。
まァ、たしかにね、オッサンが興味を惹かれる内容じゃないのはわかってたけど、大泉洋パワーに期待して、思わぬ掘り出し物な可能性もあるんじゃないかとね。
結論から言えば面白くなかった。って当たり前だろと思われるかもしれないけど、アタシは映画を見てて「自分を重ね合わせる」みたいなことをまずしないからね。主人公のオッサンと女子高生の恋愛だからといってアタシも女子高生と、みたいな感覚はまるでないんです。
そんなことよりも、やっぱ構成がね、それじゃダメなんじゃないかと。
まァよくある失敗なんだけど、これもあきらかにリアルとリアリティの箇所で失敗してるんですよ。
恋愛ってね、いや恋愛というよりも恋心というか好意ですね、実はほとんど過程みたいなのはないんですよ。最初に会った時点ですでにある程度ピンときてるケースがほとんどです。
でもフィクションでそれをやると、ものすごい尻軽な感じがする。お前、誰でもいいのかよ、みたいな。
だから恋愛映画(というか恋愛が主題のフィクション)においては「好きになるまでの過程」を丹念に描かなきゃいけない。
ところが「恋は雨上がりのように」はあまりにもあっさりしてて、女子高生が冴えないオッサンを好きになる理由が見えないんです。
もうひとつ、大泉洋がいくら冴えない役とはいえ色気がありすぎて冴えなく見えないんですよ。だから「あり得ない恋愛」に見えない。それじゃあ、フィクションとして成立しないよねって話で。