こんなエントリタイトルはどうかと思うけど、とにかく古澤憲吾について書いていきます。
一応説明しておくと、鬼才・古澤憲吾、通称パレさん、を略して、しかもザ・ヒットパレードと掛けてるっつー。
2017年に初めて「西の王将 東の大将」を観たのですが、実にウレシイというかニコニコしてしまう映画でした。
とは言っても特別なアイデアもないし、話もゲスいんだけど、とにかく古澤監督の「画作り」が良すぎるんですよ。上手く言えないけど、思わずスクリーンに注目してしまう「何か」がある。そしていつの間にか「ストーリー展開」ではなく「映画」に引き込まれている自分がいる。
こんな監督、アタシはほとんど知りません。それこそ世界中に優秀な監督がいるし、我が日本でもクロサワとかオヅとかナルセとかいろいろいるけど、「画作り」にかんしては古澤監督がヒケを取ってるとはまったく思わない。そしてテンポに至ってはむしろ凌駕しているとさえ思う。
けど古澤憲吾を評価する声なんてほとんどありません。一部のクレージーファンや若大将ファンが声高に叫んでも、それが評価を変えさせるまでには至っていない。
結局古澤憲吾という人は「プログラムピクチャーの喜劇を撮っていた」とか、それなりに知ってる人でも「突撃演出」とか、そういう面でしか語られていないのです。
古澤憲吾の最大の欠点は「シナリオ」でした。
アタシが調べる限り、助監督時代にシナリオ執筆に勤しんだみたいな話はないし、監督昇進後も作家が書いてきたシナリオに手を加えた様子もない。せいぜい「つまらないからカットした」ってレベルです。
日本の監督はどうしても「演出能力」と同じくらい「シナリオ執筆能力」も求められる。有名な映画監督がシナリオライターとしても優秀な場合が多いのはそのためです。
しかし本当はそこは切り離して考えるべきで、アタシは現場能力こそ監督の力量のすべてだと思う。
アタシがつくづくもったいないと思うのは、主に組んだ脚本家が笠原良三という「際立ったアイデアがなく、手練れた展開に終始した」人だったことです。
もしもっと優秀な脚本家と組んでいれば、歴史に残る傑作を作り出していたんじゃないかと本気で思っている。
当時の東宝で、となると、ましてや古澤憲吾が得意とした音楽喜劇でとなると難しいんだけど、それでも重鎮小国英雄とかもいたわけだし、何とでもなった気もするわけで。
あんまり評価されてないけど「青島要塞爆撃命令」も痛快娯楽活劇としてみたら実に面白いんですよ。
どうしても「独立愚連隊」との比較になっちゃうし、古澤監督らしい辻褄の合わなさはあるんだけど、頭を空っぽにして観ると実に堪能できる仕上がりになっていると思う。何で夏木陽介が生きてるんだ!みたいにいう人もいるけど、そういうことが気にならないくらい本当にテンポが良いですから。
古澤演出と言えば常套句のように「粗い」と言われるんですが、どうもイマイチピンとこない。
「青島要塞爆撃命令」でも、では岡本喜八と比べて粗いとは思わないし。
おそらく「大冒険」で神戸が舞台のはずなのに思いっきり赤プリの文字が映ってたり、そういうことを言ってるんだろうけど、それはむしろ見つける方がオカシイ。つか前も似たようなことを書いたけど、アタシはそーゆーのを見つけて喜ぶ御仁が大嫌いなんです。
だってビデオに録画して何度も同じシーンを繰り返し見れるような時代に撮られたんじゃないんですよ。少なくとも古澤監督はそんな粗探しされる時代が来るなんて微塵も考えずに演出しているわけです。
それを鬼の首を取ったように粗探しするなんて、戦国時代に爆弾使ったら絶対に勝てるのに何故使わない?もしないとするなら何故開発しないのか?と言ってるような滑稽さがあります。
まァ自慢出来るほどじゃないけど、アタシもそれ相応の数の映画を観てきたけど、古澤演出は別に粗くないです。これは自信を持って言える。
粗いのは演出じゃないんです。辻褄が合わなくても撮ってしまう、いわばシナリオ作成能力が低いだけで、演出そのものはまったく粗くない。むしろあれだけ膨大なカット数を、しかも中抜き多用で撮りながら、全体の流れでおかしいところがほぼない、と考えるなら相当緻密な方だとさえ思う。
クレージー映画でよくある狭いステージが突然ホリゾントの広いスタジオに変わったりするところも、そんな違和感あるか?そりゃいきなりパッと変わったら変かもしれないけど、ドリーで舐めて撮ったり、クレーンでグリグリ動いて撮ってるから、スーッと入っていけるし、そうしたことは完全に計算して撮ってるのもわかる。それは「クレージー大作戦」のエンディングの「クレージー大作戦マーチ」を見れば一目瞭然というか、カット毎にセットとホリゾントを行き来しているのに、何の違和感もないんだから、けして思いつきのメチャクチャな演出じゃないのがよくわかります。
もうひとつ付け加えるなら、本人はまるで音楽に詳しくなかったと言われるわりには、登場人物の動きが音楽的なんですよ。あれはもう天性のリズム感があったとしか思えない。
しかもね、テンポは速いのに、いや激速だけど、リズムは狂っていない。そう考えるなら同じくリズム感抜群だった植木等と相性が良いのは当然です。
アタシは良い監督の基準に「ちゃんとリズムがキープ出来てるか」ってのがあるから。
速くても遅くてもいいけど、誰とは言いませんが、この映画何かリズムがズレるな、みたいなのばっかり撮る監督もいるからね。
あのスピードで、リズムが取れている。そんな監督は唯一無二です。
と言ってもこれはリズムが正確=一本調子、リズムがズレてる=緩急があるってことじゃないよ。速い遅いの問題じゃないから。緩急がついた中でリズムをキープ出来るのがすごいんです。つか<わざと>リズムをズラすなんてあり得ないから。そんなことしても気持ち悪いだけで笑いにはならないからさ。
もう古澤憲吾ご本人はずいぶん前に鬼籍に入られているので、今さら評価もクソもないのかもしれないけど、せめてクレージーファンだけでも正当な評価をすべきなんじゃないかね。そうでないと古澤憲吾が浮かばれないというより、邦画の映画監督のランクが無茶苦茶になると思うんですよねぇ。
古澤憲吾といえば「荒っぽい」とか「雑な演出家」と言われることが多いわけですが、ホントにそうか?みんな流されて思い込みだけで言ってるんじゃね?と思ったのでね、ちょっと書いてみました。 というかさ、いい加減「アワモリくん」シリーズと「西の王将東の大将」くらいはソフト化しようよ。Amazonプライムビデオの東宝チャンネルでの配信でもいいから。 |
---|
@クレージーキャッツ @古澤憲吾 @谷啓 単ページ パレさん 粗い @西の王将東の大将 スピード感 シナリオ PostScript #2010年代 #サブスク/有料ネットコンテンツ #プログラミング #映画 #東宝/P.C.L. #神戸 #音楽劇 tumblr