これ、エントリタイトルを微妙に迷ってね。「ハッタリ芸の名人」にするか、やっぱ「名人芸のハッタリ」にするか、それとも、みたいな感じで。
結局「ハッタリの名人芸」にしたんだけど、だんだん頭がグチャグチャになって、何が正しいか、何が間違ってるかがわからなくなってしまったという。
ニホンゴ、ムズカシイネ。
てな話とは関係ありませんが、田中角栄のモノマネをやる人は百発百中で「まァこのー!」ってセリフを使います。
しかし田中角栄本人は「まァこのー!」が口癖でなかったどころか、実際はほとんど発したことがなかったらしい。
何で口癖でもない言葉がモノマネの定番フレーズになったかは謎だけど、そういうことは結構あったりします。
過去にほとんど言ったことないってのは極端な例だけど、タモリだってずっと「んなこたぁない」って言ってるわけじゃないし、たけしも「ダンカン、バカヤロ!」とか、通算で何度言ったことあるんだってレベルだもんね。
これは芸人に限らず文章でもままあることです。
著名な文筆家には大抵独特の言い回し(書き回し、か?)があるけど、普通はそこまで連発しないわけですよ。
ところが例外というものがあって、近藤唯之が<著名な文筆家>であるかどうかはさておき、この近藤唯之って人、とにかく<近藤節>と呼ばれるような独特な文章を書くのですが、もう連発なんてもんじゃない。ひとつの文にこれでもか、と近藤節が散りばめられているんです。
やっと本題に入れます。近藤唯之というのはスポーツジャーナリストです。もともと東京新聞の記者で、その後スポーツジャーナリストに転向、数々の野球コラムを書き、相当数の書籍も出したことがある。
しかし新聞記者上がりとは思えないほどの「ケレン味たっぷり」の文体なのが特徴で、「男の運命はわからない」「なあ◯◯よ」「◯◯ひとりしかいない」といったフレーズを駆使、いやもう駆使ですらないな、乱発してくるんですよ。
だからもう、文章に独特のリズムがある。何だかわからないけど、つい読んでしまう、そんな魅力があるんです。
ただこの人の書くコラムはノンフィクションとしての信用はまったくない。例えばWikipediaにさえこう書かれています。
一方で近藤は現場取材をせず、「美談は創作したって構わない」というスタンスから記者仲間からの評判は悪く、引き抜きに動いた「朝日新聞」の記者が驚いたほどだった。事実誤認があるとか妄想だとの非難にも晒された。
実際データの間違いも実に多く、そりゃ現役時代を知らないような昔の選手の話だとわからないこともあるけど、リアルタイムで見てきた選手のエピソードは実にいい加減で、思わず苦笑してしまうほどです。
けどね、アタシはこういうスタンスのノンフィクションを否定していない。アタシは何度も(ヤキウカテゴリではないけど)悪評も名高い一橋文哉というノンフィクション作家のことを肯定的に書きましたが、いくら虚実綯交ぜでもアタシは基本「面白ければオッケー」と思ってますからね。
つかこれも前に書いたけど、ノンフィクションは真実を知るためのものではなく、あくまで娯楽だと思っているんで。
逆に言えば、真実かもしれないけどまったく面白みこないノンフィクションには何の興味もありません。論文じゃねーんだから当たり前ですが。
そういう意味で近藤唯之のコラムは本当に面白い。それもこれも結局はハッタリの上手さなんです。でも大風呂敷を広げるとか扇情的とはちょっと違っていてね。
近藤唯之は野球選手を刀鍛冶かなんかと間違えているんじゃないかと思うほど、コラムに登場する選手たちは職人気質でありすぎる。おそらく近藤唯之にとって野球選手やスポーツ選手はただの素材でしかなく、結局<古き良き日本人>の職人的エピソードを書こうとしてたんだろうな、と。
しかも「こういうのを書けばウケる」とわかった上で、もっと酷い表現を使うなら、ゼニになるならいくらでも<あくどく><あざとく>やりまっせ、みたいなのが透けて見えるんです。
それでもっつーか、アタシの邪推が当たっていたところで近藤唯之は嫌いじゃない。仮に彼がプロ野球選手にたいして一縷の愛情がなかったとしてもです。
野球コラムってね、油断してるとつい「無味無臭」もしくは「大衆性、共感性のない私見だらけ」になりやすいんです。わかりやすく言えば無個性になるか大衆と繋がりのない個性になるかどっちか、というか。
少なくとも近藤唯之のコラムはアクもケレン味もたっぷりで個性ありまくりだし、とくにサラリーマンあたりが好きそうな大衆性のあるエピソードに落とし込むのが非常に上手い。
もっと言えば、この人の書いたものは「ノンフィクションを題材にしたフィクション」なんですよ。フィクションに嘘もヘッタクレもないわけで、評価は面白いか否か以外は何もないはずですから。
いやね、このエントリはっつーか近藤唯之のハッタリ文章は、野球ファンに是非読んでもらいたいんですよ。
これが、例えば玉◯正之あたりだと余計なことを喋るみたいな<害>はあるけど、近藤唯之には害はまったくない。だって所詮はフィクションなんだから。
ま、すぐに嘘松!とか、データの間違いを嬉々として指摘したがる<ねら>には不向きかもしれないけどさ。