さて、スチャダラパーこセカンドアルバム「タワーリングナンセンス」に収録されている「Yo!国際Hah」ってな曲をね、ちょいと引用しておけば
♪ 俺たち国際派!(ウーッ!)
アッタマいいぞ(ウーッ!ウーッ!)
日本は狭すぎる~
何しろアタシがちゃんとスチャダラパーを聴いていたのは彼らのデビュー当時の頃くらいだけなので、どうしても初期の楽曲のイメージが強いんだけど、良く言えばみずみずしい、悪く言えば青臭い<リリック>を今の彼ら自身はどう思ってんだろうね。
やっぱ、せいぜいここ15年っつーか21世紀に入ってからスチャダラパーがリリースした曲は純粋にヒップホップとしてカッコいいし、リリック面でも圧倒的に洗練されてるからさ。
というか「Yo!国際Hah」のような、ここまでストレートな揶揄はやっぱ若さ故だとは思う。それでも、こういう感覚は今の若い人と変わらないんじゃないかなぁ、なんてことも思うわけでして。
今の時代の、とくにネット民にその傾向が強いように思いますが、そういや何年前だったか、<絵に描いたようなオールドスタイルの国際派>っぽいツイートをした松◯太郎とか、今でもネタとして使われてますもんね。
ま、それでも無条件に松村◯郎を援護出来ないっつーか、そりゃあ、あんなことを呟けばネタにもされますよ。つかあのブルーボトル云々のツイートに「国際派と呼ばれる輩のウザさ」が全部詰まっていると思うんです。
本来、日本だけでなく世界に目を向けた人間とか、狭い世界でやってる人よりも厳しい戦いをしているはずなんですよ。狭い世界で戦ってるのが悪いわけではなく、生まれた国でない場所でやっていくってのは、本当、想像を絶するほど大変だから。それはアタシも半年だけとはいえロンドンに滞在していたから痛いほどわかる。
そのせいか、それとも別の理由かは個別で違うけど、海外生活を送った経験のある人の中に時たま勘違いする人もいるわけです。んで勘違いのひとつに「無意味な上から目線」ってのがあるわけでして。
こう書くとこれも<悪しき国際派の戯言>と思われそうでコワいんだけど、続けます。
アタシがロンドンに滞在していた時もたしかに「物言いがやたら挑戦的」な日本人はいました。本人曰く「こっちに住んでたらこうでないと生きていけない」みたいな言い訳ともつかないことを言ってたけど、こんなの言い訳どころかただの嘘ですからね。よく「ガイコクジンはイエスノーがはっきりしている」と言いますが、だからと言って別に挑戦的な態度はとらない。イエスノーははっきりしてるけど、その理由を整然と、そして相手が傷つかないように考慮しながら喋る。少なくともアタシが接したガイコクジンはみなそうでした。
正直に言えば「上から目線」だったり「挑戦的な物言い」をする日本人を馬鹿だと思っていた。何つーか、ガイコクジンのものすごく表層だけを猿真似している哀れな日本人だと思っていたんです。
前も書きましたが、イギリス人は上から目線じゃないですよ。<超上から目線>です。つまり絶対的に自分たちの方が優れていると思っている。だからこそむやみに偉そうな態度はとらないし、むしろ非常に優しく他人に接することが出来る。
そういうことが理解出来ない、表層だけ真似した杓子定規な態度に終始する日本人を見てね、馬鹿だとも哀れとも感じていたけど、たぶんこういう輩が日本人の評判を下げているんだろうな、と。
まァね、実際にそういうステレオタイプな国際派日本人と直で接した経験があるせいか、ネット民が◯村太郎みたいな人を馬鹿にする気持ちはわかるし、もちろん実際に会ったことはないけど本当に松村太◯に会って喋ったらウザいだろうな、いやウザいっつーか、ロンドン滞在中に出会ったあの<悪しき国際派日本人>みたいな感じなんだろうな、みたいな想像をしてしまうんです。
もちろん、ああ、こうなってはいけない、みたいな意識は人一倍強くなるんだけど、どう見られているかは自分で決められることではない。他人が決めることです。
だから今回のエントリでも「これだから<国際派>の能書きは嫌なんだ」と思われれ可能性もゼロではない。つかまるで「上から目線」要素も「挑戦的な物言い」要素もなくても「海外に滞在していた」ってだけで自動思考で「あ、コイツ、いけ好かない」と思う人もいるだろうし。
だけれども、そんな思考をする人を責める気にはなれない。そんな思考をさせる要因の日本人が本当にいるってのはアタシも重々わかってることだから。
だからまァ、海外に滞在経験がある=いけ好かない奴って思われるのは別にいいんです。でもそんな風潮に流されて「若いうちに海外でチャレンジする」ということまで馬鹿にされる対象になったら嫌だなと。
アタシなんかロンドンに滞在していたといってもたった半年ですよ。しかも40代になってからの話です。
それでも海外で居住した経験の深さは計り知れない。自慢にはまったくならないけど、んで自分の中でしか通用しないかもしれないけど、間違いなく糧にはなっています。
だからみんなも海外へ目を向けようぜ!とまでは思わない。思わないけど排除することでもないんじゃないの?と。可能性のひとつとして残しておいてもいいんじゃないの?くらいは思ってしまいます。
若い時って馬鹿にされるようなことを必要以上に恐れたりするからね。本当は立派なことなのに「馬鹿にされたくない一心で」海外へ目を向けないってのはもったいなさすぎる。
でもそれを阻害する人間がいるってのも忘れちゃいけない。だからさ、海外に滞在経験がある<心ある>日本人が松村太郎みたいなことを呟く輩を糾弾しなきゃいけないんだけど。
あ、伏せ字なしで書いちゃったけど、まァいいや。