yabuniramiJAPANの全盛期って?
FirstUPDATE2019.1.27
@Scribble #Scribble2019 #やぶにらこぼれ #インターネット #Twitter 単ページ ブログ 平成ネット史(仮) 眞鍋かをり ブログの女王

今年(現注・2019年)の正月に二日間にわたってNHKで放送された「平成ネット史(仮)」を見てつくづく思ったんだけど、ブログなんてものは過去の遺物に近いんだなぁって。ま、何となくそうじゃないかと思ってたけどさ。

現状を見る限り、ブログは「ブログの文法」なるものを確立出来ないまま<オワコン>になった気がする。ブログという<存在>は散々論じられたにもかかわらず、これといった方法論も確立出来ないまま過去の遺物に近くなってしまったと、ね。
「平成ネット史(仮)」でかつて「ブログの女王」なんて言われた眞鍋かをりが出演していたけど、彼女がブログの女王と言われ出したのが2004年、当該ブログを閉鎖したのが2010年です。閉鎖はいろんな事情があったことは推測出来るとは言え、閉鎖→新ブログ立ち上げは自らブログの女王という看板を下ろしたと見做しうります。

ま、別に眞鍋かをりに倣うことはないんだけど、ブログがブログとしての存在感を放っていたのは2004~2010年ということになるんじゃないか。たぶん異論がある人はそんなにいないと思う。
2011年に主役の座を奪い取ったのはTwitterでした。
もう偶然でしかないんだけど、2011年と言えば震災の年であり、この未曾有の災害とTwitterというサービスの相性が恐ろしく良かった。つかこの時点でブログは<まごまごした>サービスになった。Twitterの迅速性と閲覧性は時代とマッチし、ブログは震災を境に一気に古臭いものになってしまったってのが当時の実感です。

これはテキストサイトとも共通するんだけど、結局ブログは「コンテンツが少なく、ひとつのサイトをじっくり見て回ることが当たり前だったインターネット黎明期の遺物」だったんだと思う。
もはやひとつのサイトを隅から隅までクリックしていく人がどれだけいるのかと言うと、もうほとんどいないと思う。一コンテンツにかける時間は短ければ短いほど良い、そんな時代になったっつーか。
Twitterの1ツイートだってひとつのコンテンツなんです。でもそれは「流れていく情報のひとつ」でしかない。これは昨今の長文嫌いの人が増えたことよりも大きいと思うし、もっと言えば長文が嫌いなんじゃなくて、ひとつのコンテンツの把握に時間がかかる、そんなノロマなことが嫌いなんだと思うんです。

そうこう考えていくと、アタシのサイト(現注・Yabuniraのこと)って発想自体がかなり古臭いんですよ。
昨年(現注・2018年)トップページをリニューアルしましたが、あれだって「サイトを隅々まで見て回ってもらう」ことを念頭においてサイト構築をしているわけです。
2005年ならばこのやり方は<最適解>だったと思うけど、今の時代では如何にも古臭すぎると自分でも思う。思うんだけどテキストが主体である以上、他に方法がないわけで。

こうなってしまっては、どれだけリキを入れてテキストを書いたとしても、アタシのサイトが日の目をみるというのは絶対にあり得ないってことになる。
もちろん根幹から変えてしまって「テキストサイト時代の名残り」を全部消して、つかテキスト中心の発想を止めれば違うんだろうけど、それはもうアタシがやる意味とかまるでなくなるからね。

世間的な意味でのyabuniramiJAPAN(現注・現Yabunira)の全盛期ってのは、当然ブログの全盛期の期間にすっぽり入るはずだし、となるとアタシのノリ的にもアクセス数的にも2005年前半が全盛期ということになると思う。
しかしですな、ここんところトップページリニューアルに併せて過去のエントリのリライトをやってるから嫌でもわかるんだけど、クオリティ的には2005年前半が全盛期なんてとても言えない。ぶっちゃけ言って、相当文章が酷い。
クオリティだけで言えば間違いなくここ数年が全盛期です。自画自賛と言われようが構成力も濃度も密度も「人様に見せても恥ずかしくない」ものになっていると思うわけで。

それはそれで構わないっちゃ構わないし、先ほどから書いている通りどうしようもないことであるとも思うんだけど、世間的な全盛期とクオリティ的な全盛期がズレてるってのはどうも気持ち悪い。
本当はブログ全盛期の頃に今くらいのレベルのテキストが書けていれば良かったし、もしくは今も「隅から隅までサイトを見て回る」文化が続いていれば良かったんだけど、どちらにせよ無い物ねだりでしかありません。

じゃあ金輪際、両立は無理なのか、と言うとそれはわからない。いつまた「隅から隅までサイトを見て回る」文化が復活するかもしれないしね。
インターネットは始まって日が浅いし、日進月歩が激しいので、リバイバルめいた潮流はまだ起こったことはありません。
しかしいずれはファッションや音楽と同様、在りし日のインターネットを懐かしむ、なんてことになると思う。それは文化が成熟する過程において避けられないことだと思うから。

その時までサイトを続けていければいいけどね。いや、それが何年後かさっぱり見当もつかない状態で続けるって相当気の長い話なんだけどさ。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.