さて今の時代、大阪を象徴する音楽は?と問えば、かなりの確率で吉本新喜劇のテーマ(「Somebody Stole My Gal」)が挙がるような気がします。
しかし個人的にはまるで大阪って感じがしない。というかあれはあくまで吉本新喜劇のテーマであって大阪全体を包括するほどに感じないんです。
ましてやアタシは戦前ジャズが好きな人間なので、ああアレね、吉本新喜劇のヤツはアレのデキシーランドアレンジでしょ?みたいに思っちゃうっつーか。(現注・まァ、デキシーランドとも違うな)
当たり前っちゃ当たり前すぎる話ですが、所詮はガイコクで作られた曲であり、別に大阪の空気感を考慮して作ってあるわけじゃないし、たしかにユニークなアレンジなんだけど、ユニーク=吉本新喜劇はいいとして、ユニーク=大阪じゃないからね。
他にベッタベタな大阪ご当地ソングとして「道頓堀行進曲」とか「大阪ラプソディ」、あと「雨の御堂筋」もベタの範疇に入るのかな。
これらの曲は好きなことは好きなのですが、大阪って感じは薄い。つか正直言ってご当地ソングとしてはちょっとあざとい。
歌詞が、じゃないよ。メロディとかアレンジがね、上手く言えないけど「東京モンから見た大阪」っぽいんですよ。「雨の御堂筋」とか東京モンどころか日本人ですらないけどさ。ま、ガイコクジンが作ったわりには上手く大阪を掴んでいるとは思うけど。
あざとさ皆無、しかも大阪に在住していた人間だからこそ作れた大阪ソング、となると著名な楽曲は「大阪で生まれた女」とか「悲しい色やね」になるのかね。
しかし両曲とも致命的な欠点がある。それは「雨の御堂筋」なんかと同様、知名度がありすぎるってことなんです。メロディやアレンジは上手く大阪を掬い上げているのに、メジャーでありすぎるためにローカル感が消えてしまってるような、ね。
そこで変な話になっちゃうけど、知名度が低い=マイナーな楽曲ってのも選考理由に加える。何の選考理由やねん。
アタシがイチオシなのは上田正樹と有山じゅんじによる「ぼちぼちいこか」というアルバムです。本当はアルバムまるごとってことにしたいけど、「唄はなつかし」カテゴリは一曲だけって縛りがあるので、アルバム収録曲から選ぶとなると「梅田からナンバまで」でいいんじゃないかと。
ま、それでもアルバム単位で語りますが、これは超名盤です。しかもアタシが好む戦前期以前の古いブルースやラグタイム、ジャズに相当の影響を受けており「みんなの願いはただひとつ」なんか戦前に流行った林伊佐緒の「若しも月給が上がったら」の実質カバーというか現代的解釈になっているし。
<音>はフルバンドではなくコンボバンド(サウストゥサウス)なんだけど、それでも戦前と現代(1975年前後)の奇妙な折衷感があるんです。
<古き良き>大阪の空気をたっぷり詰め込んでいるこのアルバムですが、中で一曲、となると、やっぱり「梅田からナンバまで」ということになる。
フィクションの世界を嘘だのなんだのといっても始まらないのですが、梅田からナンバまで<散歩>ってのは、普通はしないわけですよ。いくらなんでも距離がありすぎる。
しかしこれは「大阪のことがよくわかってないから生まれたデタラメ」ではない。むしろ大阪がわかりすぎるくらいわかっている、愛しすぎるくらい愛しているからこその<シャレ>なんです。
こういうシャレっ気こそ実に大阪らしい。何も吉本新喜劇的なハイテンションで土着的なベタだけが大阪じゃないから。
そしてもうひとつ、このアルバムに収録されているすべての楽曲は、メロディやアレンジではなく、むろん歌詞でもなく、テンポが大阪なんですよ。ものすごく微細なものだし、アタシ自身そこまで音楽的知識があるわけではないので上手く説明出来ないんだけど、テンポが「大阪人の会話のテンポ」そのものなんです。だから仮に歌詞に一切大阪弁が含まれていなくても、もちろん地名なんかが入ってなくても「ああ、これは大阪だ」とわかる。それは「大阪ラプソディ」や「雨の御堂筋」にはないところだからね。
セルフカバーはダウンロード販売されてるけど、元アルバムは入手しづらいのはわかってる。でもこれは絶対に聴いて欲しい。大阪を勘違いしまくった人にとくにね。