エンドレスな影響
FirstUPDATE2018.12.28
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 エンドレスエイト、と聞いてピンとくる人は、まァライトノベル好き、もしくはアニメ好きと言えるんじゃないかね。
 とにかく「涼宮ハルヒ」シリーズの一作で、SFの定番である「ループもの」を活用した作品らしいです。んで、それなりに話題になったそうな。

 「らしい」とか「そうな」みたいな曖昧な書き方をしているのは、アタシ自身は「エンドレスエイト」という言葉にはまったくピンとこないからです。ライトノベルも読まないし、アニメも見ないしね。
 しかし、どうも、ピンとこないまでも、妙に引っかかる。
 だから調べてみた。するとあっさり氷解した。いや、明確な答えが見つかったわけではないんだけど、「涼宮ハルヒ」シリーズの作者である谷川流が1970年兵庫県西宮市生まれ、という情報を得て「ああ、やっぱりそうか」とね。
 アタシはね、「涼宮ハルヒ」という作品そのものにも、そしてループものっていう内容にも引っかかったんじゃないんですよ。アタシが引っかかったのは「エンドレスエイト」というこの一編の名前にです。
 つまり、1970年兵庫県西宮市生まれなら「エンドレスエイト」って名称を使いたくなるわなぁ、と。

 さて、おかしなことを言うようですが、1970年代まで「テレビ番組はテレビ番組でしかなかった」のです。
 1960年代までは視聴率さえ重要視されておらず、局内の評価とスポンサーサイドの感触だけが「良い悪い」を決める指針だったわけで。
 それが1970年代に入ると視聴率、つまり「見る側の評価」が加わった。高い視聴率の番組は長く続き、視聴率の悪い番組は打ち切られる。そうしたことが始まったのは1970年代のはじめだった。
 しかし視聴率というのは所詮数字でしかない。何パーセントの人間が見ているか見ていないかしかわからず、どれだけの人がどれだけの<熱>を持って番組を見ているかなどを測る術がなかった。
 それでも公開番組の場合は観覧募集への応募数で若干はわかりますが、スタジオでのクローズドな収録ではそれもわからなかった。

 1980年代に入って、テレビ局は番組イベントなるものを行い始めます。
 あくまでファン限定の、逆に言えばファンでない人お断り、と言えるほどの<濃度>が売りのイベントを打ち始めるのですが、ちゃんと調べたわけじゃないのではっきりしたことは言えないけど、たぶん起源はラジオ番組ではないかと思う。
 ラジオ番組の中でも深夜ラジオってのは独特の世界であり、ヘビーリスナーにしかわからない内容になれはなるほど、つまり内輪ノリがキツくなればなるほど、その番組は伝説化し、また長寿番組化していくんです。

 深夜ラジオの特殊性は電波に乗った、つまり公開されたものでありながら、パーソナリティとリスナーの間に、秘密クラブでの話、みたいな意識が芽生えるようになるのですが、こうなると電波越しではなく直に接触を求めるようになる。
 リスナーはラジオで聴いてるわけだから「耳だけでなく目と耳の両方で」と渇望するのは当然として、パーソナリティ側にも<ある種の共犯関係>であるリスナーとの接触の機会を設けようとするわけで。
 しかしテレビはラジオとは違ってなかなか<ある種の共犯関係>が生まれる番組が作れなかった。どうしても「初めて見た人にもついていける」番組作りから逃れられなかった。つまりテレビはラジオほど対象者を絞ることにたいして割り切れなかったのです。

 1984年、関西テレビは「土曜深夜に、若者を対象とした生バラエティ番組」の企画にとりかかります。
 Wikipediaによれば、フジテレビで放送されていた「オールナイトフジ」のネット受けを断ったために、自社で「土曜深夜に生バラエティ」を製作せざるを得ない状況になったためだ、とあります。
 しかし司会者に芸人を起用してしまうと、他局と似た番組になる可能性があり、深夜枠である、若者を対象としている、といった点を重要視して「深夜ラジオの人気パーソナリティを司会者に抜擢する」という策を思いついたらしい。
 結果、選ばれたのがばんばひろふみと兵藤ゆきでしたが、この時点では両名ともほとんどテレビ出演の経験がなかった。となると彼らの経験を活かすためにも「深夜ラジオのノリをそのまま持ってくる」以外の方法しかなかったのです。

 こうして始まった「エンドレスナイト」は「テレビでの放送ではあるが、深夜ラジオの空気感をまるまる移植した」番組になった。
 アタシがこの摩訶不思議な番組を本格的に見始めたのは1987年、つまり番組が始まってから3年近く経過した時期だったと思う。
 アタシは基本、内輪ノリが嫌いなので、普通ならここまで内輪ノリが強烈な番組に興味を示すわけがないんだけど、もうタイミングが絶妙だったんです。
 大学に入学してひとり暮らしを始めたアタシはいろいろあって、完全な引きこもり状態になってしまった。授業にもまったく出席せず、ひたすら、時間を埋めるために、全プログラムが終了して砂嵐になるまでテレビを見続けていた。
 そこにすっぽりハマったのが「エンドレスナイト」だったんです。
 とにかく、番組終了時間未定、ということほどありがたいことはなかった。あの<ノリ>はどうかと思うけど、これで土曜の夜の時間だけは埋められる、と。
 そのうち<ノリ>にも慣れ、しかもこうした空虚で孤独な気分があまりにも濃厚な時は、むしろ内輪ノリが心地よかった。

 たぶんこういう感覚を味わったのは(大学に行かずにってのはアタシくらいかもしれないけど)、つまり空虚を埋め合わせるために見始めて、いつしか深夜ラジオ直輸入の内輪ノリに快感を覚えたのはアタシひとりではなかったはずです。
 おそらくアタシより2歳下になる「涼宮ハルヒ」シリーズの作者の谷川流もそのひとりではなかったか。
 彼が「エンドレスナイト」にハマったという資料は見つけられなかったけど、潜在意識の中に「エンドレス<ナイト>」という言葉が強く残っており、意識的だろうが無意識だろうが、それを捻る形で「エンドレス<エイト>」というワードを導き出したのではないかと、ね。

 話を戻しますが、アタシが熱心に「エンドレスナイト」という番組を見ていたのはもう30年以上も前なので、細部は忘れてしまった。
 それでも、何も憶えていないのか、というと、さすがにそんなことはありません。
 もっとも熱心な視聴者だった頃、番組最大のスターは千草宗一郎でした。ま、番組を見ていた方には、こんなフルネームで書くより「シーチャカ」と言った方がはるかにわかりやすいでしょう。
 シーチャカこと千草氏は「鶴瓶上岡パペポTV」でもトークの遡上にのぼるくらいの相当な奇人だったらしいけど、この人はタレントではない。れっきとしたプロデューサーです。のみならず、のちに関西テレビの代表取締役社長まで出世している。いわば単に奇人だっただけではなく有能な人だったはずなんだけど、「エンドレスナイト」では徹底的にオモチャにされたっつー。
 だからといって千草氏は番組に出ずっぱりってことでもなく、たまに見切れる程度なのですが(本人も調子に乗って「ウンゲゲ!」なるヒットフレーズを放っていたけど)、その異様な容姿をからかった投稿が山のようにきたんですね。

 番組の後半にイラストコーナーがあり、これもはじめは普通に上手かったり、エンドレスギャルズを可愛く描いたイラストが紹介されるんだけど、途中から笑いをとることだけが目的のイラストの紹介になる。
 格好の、そして最大の餌食となったのが「シーチャカ」こと千草氏で、よくもまあ、こんなことを思いつくな、と感心するイラストがあまた紹介された。
 今でも憶えているのが、ほれ、例の「捕獲された宇宙人」の写真があるでしょ。あれの顔を千草氏に差し替えたイラストで、これはもう、腹を抱えて笑った。
 何より司会のばんばひろふみがひっくり返って笑っていたのも印象的で、あまりにも笑いすぎて、番組進行が数分ストップしてしまったくらいでした。

 ばんばひろふみと兵藤ゆきは良いアニキ分とアネキ分で、番組の方向性を決定づける役割と、他の出演者をまとめる役割を果たした。
 先ほどもチラッと書いたように、番組には素人から公募した「エンドレスギャルズ」なる若い女性陣もレギュラー出演していましたが、彼女たちは本当の素人で(ただしごく初期はハイヒールモモコなどのプロも混じっていた)、その後芸能活動を続けた人は少ない。いわばクラブ活動感覚だったのでしょう。
 それでも、番組の<華>とまではいかなくとも、十分に<花>の役割は果たしていた。スターがダリアや薔薇だとするなら彼女たちはレンゲやなんかの野に咲く花だったかもしれないけど、間違いなく「出演者もスタッフも視聴者も、地続きで繋がっている」と思わせる存在だったはすです。

 それでも、メイン司会者でも番組の<花>でもなく、ただのプロデューサーがスターになるところなんざ、まさしく深夜ラジオのノリなんですよ。
 深夜ラジオではパーソナリティがスタッフを徹底的にイジり倒して番組内のスターになってしまうことは珍しくないけど、その方程式にまんまと「エンドレスナイト」も当てはまった。つか「なるべくしてなった」というべきか。
 もうこうなると深夜ラジオと同じことが出来るようになる。つまりは、それが最初の方で書いた「番組主催の、しかし放送はされないイベント」です。
 これは他局も相当羨ましかったんじゃないか。実際「エンドレスナイト」の勢いが衰えるのと入れ替わるように「鶴瓶上岡パペポTV」がイベントを打ち始め大成功を収めるのです。
 だけれども「エンドレスナイト」なくして「パペポ」がイベントを行えたとは思えない。やはり先行例があればこそ、ああいうことが企画出来たんだと思うしね。

 そう考えれば「水曜どうでしょう祭」なんかも、完全に「エンドレスナイト」の延長線上にある、と言える。もちろん番組の内容もムードもまるで違うけど、深夜枠で放送された、グッズを作りたがる、番組限定の流行語やスターが生まれる、そして大々的にイベントを打つ、と言ったことは全部「エンドレスナイト」でやったことだから。
 もちろんそのパイオニアが「エンドレスナイト」だとは言わないし、影響も限定的だったとは思う。北海道で製作された「水曜どうでしょう」が関西ローカルの「エンドレスナイト」の影響で、なんて言い出したら失笑ものです。
 先駆はあくまで深夜ラジオだと思う。ラジオに詳しいわけじゃないので、具体的にどの番組が嚆矢となったのかはわからないけど、少なくとも1970年代の終わりにはラジオ番組発のイベントは行われています。

 ただ、それでもこうした「出演者と視聴者の<一種の共犯関係>」を築くことイコールそれが商売になる、とテレビ局が気づいたのは「エンドレスナイト」からだったように思う。
 テレビ番組なんてのはスポンサーからの予算がすべてだったのが、視聴率もスポンサーも関係ない、キチンと濃度の高いファンを獲得出来れば商売として成立するんですよ。
 「水曜どうでしょう」なんてまさにそれだもんね。もはやテレビ放送なんてどうでもよくて、極端な話、本放送時にスポンサーがついてなくても何の問題もない。んなもんDVDを出しゃ余裕で余剰が生まれるんだから。

 結果的に「エンドレスナイト」はパイオニアの宿命を背負ったみたいになって、長期間にわたって商売を成り立たせることは出来なかったし、エンギャルとかシーチャカとか運ベーダーとかウンゲゲなんて言葉を憶えている人も少なくなったと思う。んで、それこそエンギャルの追っかけをやってたような<超濃厚>ファン(ますだおかだ増田もそのひとりだったらしい)以外は、もう、こんな番組のことは記憶から消えかけていると思う。

 だから、ま、言うなれば「エンドレスナイト」という番組は<青春>だったのかもしれない。その「儚さ」はまさに青春そのものじゃないか。
 とか考えると高校が舞台となる、そしてその瞬間が延々ループする作品に「エンドレスエイト」と名付けたくなる気持ちがより一層わかるような。ま、勝手な深読みだけどさ。

いやね、リライトするにあたって参考にしようと思ってね、それなりに「エンドレスナイト」について検索してみたのですが、某YouTubeにもほとんど映像が上がってないのね。
たしかに録画して見る番組じゃなかったから理屈としてはわかるんだけど、後年スカパーで再放送されたものさえ誰も録画してないんだろうか。そんな一過性のものだったってこと?いやたぶんそういうことなんだろうな。何か、そういうのはちょっと、寂しいわ。




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