♪ 流れェ流れてェ 落ち着ッくさッきはァ
北はァシベッリアァ 南ィはジャワよ~
えと、これは「流浪の旅」の歌詞ですが、これなんか普通の人が思う「如何にもな戦前期に作られた楽曲」なんじゃないかね。(ちなみに実際作られたのは大正末期)
暗くて堅苦しくて悲壮感があって生真面目で、歌詞にもメロディにもアレンジにもそうした古臭さが横溢しています。
もちろん戦前にもノーテンキな歌はあった。でも、まァせいぜい以前紹介した「うちの女房にゃ髭がある」くらいの軽いナンセンスソングなんだろ、と思われてるんじゃなかろうかね。
しかし多少っつーかかなり戦前文化にカブれているアタシから言えば「うちの女房にゃ髭がある」なんて相当ちゃんと作られているんですよ。つまりもっとデタラメな歌がいっぱいあったっつー。
それらはコミックソングさえ超越しており、ナンセンスはナンセンスなんだけど狂気のあるナンセンス、言うなればコミックソングならぬ<クレイジーソング>(クレージーキャッツソングじゃないよ)であり、今の時代なら間違いなくリリース禁止になるはずです。
具体的に言えば、以前も書いた徳山璉の「ルンペン節」とか、アタシは見てなかったけどナイトスクープでも取り上げられたらしい二村定一の「百萬圓」とかね。
ナイトスクープの影響からか、たしかに一時期「百萬圓」は話題になった。
♪ ひゃくまァんえェん 拾ォったらァ
女学校建ててェ 僕センセェ
月謝は少しもォいりまァせん~
綺麗な娘さん募集ゥしてェ
毎日恋あァい エロ講ォ義ィ
はッだッかッダンスを教えッます
おッもッしッろォいですね~
たしかに無茶苦茶な歌詞ですが、男色家の二村定一が歌っているので不快なエロさはないし、アタシに言わせると、これでもまだ<ちゃんと>作ってあるのですよ。
それというのもね、当時の不景気さと「エログロの時代」という風刺が成されているからで、今の時代だから風刺がわかりづらいだけで、ナンセンスという体裁でありながら世相を斬っているんです。
同じ二村定一でも風刺要素が限りなく薄い(リアルタイムを生きたわけではないので皆無かどうかの判断は出来ないけど)、しかしナンセンスさでは劣らないという点では「百萬圓」よりも「笑ひ薬」を推したい。
笑い薬、なんてタイトルだけど、内容は完全に「アッパー系ドラッグ」のことで、しかも「もしも◯◯がアッパー系ドラッグ中毒なら」というとんでもないものになっているんです。
♪ こないだも 電車の車掌に笑いィ薬を飲ませたらァ
尾張町ォ ウッヒッヒ! 皆さん乗り換えオホホホホホ!
切符がなければいりません お金も取らずにアッハッハ!
♪ こないだも病院のお医者に笑いィ薬を飲ませたらァ
如何ですゥ ウッヒッヒ! お脈を拝見オホホホホ!
病気が良くなりゃ治ります 薬もくれずにアッハッハ!
♪ こないだも大家の禿げチャに笑いィ薬を飲ませたらァ
こんにちはァ ウッヒッヒ! 大晦日オホホホホ!
家賃の払いが半年分 残らずいらないアッハッハ!
♪ こないだもお寺の坊主に笑いィ薬を飲ませたらァ
ナンマイダァ ウッヒッヒ! ナンマイダァオホホホホ!
これでは坊主はつとまらない 今日から廃業アッハッハ!
笑い茸(笑いキノコ)ネタはドラッグでは直接的すぎる場合の代替として昔の映画なんかではよく活用されていましたが(「喜劇・一発勝負」とか)、これははっきり<薬>と謳ってますからね。アッパー系ドラッグ以外の何物でもない。
それにしてもこの歌詞はすごい。とくに「♪ こんにちは~」から「大晦日ァ~」に繋がるところなんぞ、天才的とかそういうことではなく、脳が破壊された人っつーかマジモンの重度ドラッガーが作ったとしか思えません。
しかもこれ、大ヒットした「アラビアの唄」の次の新譜なんですよね。ったく何を考えていたのやら。ま、この頃(1928年)は「自分の好きなアーティストの新譜は」なんて考えもない時代なので「オーソドックスナンバー→クレイジーソング」って流れはあり得ることですがね。
あちこちに「メロディはオクラホマミキサーと同じ」と書いてあるけど、完全に同じではないね。これだったら以前書いた「ゲバゲバ90分!」のテーマとダイコクドラックの歌の方がよほど似てる。(ってダイコクドラックも曲が変わったんだよね)
それでも、違うとはいえ換骨奪胎した、くらいは言えるレベルでは似ているわけで、つまりオクラホマミキサー同様明朗なメロディです。その明朗なメロディに狂ったとしか言いようがない歌詞が乗っけたってのが、これこそアタシの思う「如何にもな戦前期に作られた楽曲」なんです。
モラルが違うとかそういうことよりも、レコードなんていう未知のメディアへのノウハウがなく、どこまでなら許されるのか、何をやったらアウトなのか、の蓄積がなかったからこそ成立したと。
いや、マジで、調べれば調べるほど戦前っていろいろ馬鹿っぽいんです。いや「っぽい」なんて生易しい表現じゃダメだな。馬鹿の極みを嬉々としてやってる人がいて、その馬鹿ぶりを大衆も楽しんでいたっつーか。
こんな時代のどこが堅苦しいんだと思う。そりゃあ堅苦しい人間は今より多かったのかもしれないけど、嬉々として馬鹿をやる人間も多かったんだからねぇ。