何故かアタシは実家に居てもぜんぜん落ち着かないし、また母親の料理とか、別に懐かしくもなんともない人間なんです。つまりアタシには望郷の感覚が人より薄いのだと思うのですが、それだけでもないような気がして。
「懐かしい」なんて言葉を使うからややこしくなるのであって、言い方を変えれば「安心」ですね。人間誰しも心の平安を求めるものであり、生まれ育った環境に安心感を覚えるってのは、理解は出来るんです。
よく言われることだけど、ビンボーな家庭で育てば高級住宅よりもボロ長屋の方が落ち着くと言いますし、食い慣れていないものよりも毎日のように食ってるもののほうが美味しく感じたりする。それはわかるんです。
しかし、それはけして普遍の真理ではないと思うのですよ。
アタシのように生まれ育った家にも、母親の料理にも、別に何の感想もない、むしろ完全に消え去っても、まァそれでいいんじゃないの?と思える人間もいるわけで、メチャクチャ変わり者ってことでもないと思うわけで。
安心だったり生きやすさだったりを考えた時に、あくまでアタシの場合はですが、もしかしたら「時代」ではないかと思うんです。
アタシが生まれたのは1968年です。ところが残念ながらこの年への思い入れはほとんどない。むしろ「興味がなくなる境」が1968年なんです。
昭和のはじめから1967年までのことなら強い興味がある。けど1968年になった途端に興味が薄くなる。何でか理由はさっぱりわからないんだけど。
んでね、ふと思ってみたのですよ。「興味がない最初の年」、いやこの言い方は良くないな。じゃなくて「興味のある最後の年の次の年」と考えるなら、どうも1968年は悪くないんじゃないかってね。
たしかに次にどんなことが起こるんだろうみたいなワクワクはない。だけれども興味のある時代はすでに終わってるんだから、総括は出来るんですよ。つまり研究し始められるっつーか。
ループ物ってのはSFの定番設定ですが、もしかしたら繰り返しループしても一番苦痛じゃない、むしろ楽しいのは自分が生まれた年なんじゃないかという気がしているのです。
アタシなら1968年1月1日から12月31日を延々繰り返す。1968年12月31日の次の日はまた1968年1月1日に戻るっつーね。
そりゃあ、飽きもするかもしれない。記憶が保持されているのが前提だから、またこの番組かよ、とか、新発売って一年前に食ったよ!とかね。
それでも「ああ、これはラクだわ」と思えるのがモラルの部分なんです。
タバコなんか今よりはるかに自由に吸えたし、小汚い格好で街中をウロついても目立たない。逆に言えばちょっと小綺麗にするだけで良い方向で目立てる、という。当然今よりも本質的にコワいことも多いけど、気分的には圧倒的に気楽に生きていける気がするんです。
こういう話になると、ループするなら自分の青春時代、と思う人の方が多いんだろうとは思う。アタシで言えば15歳から25歳と仮定するなら1980年代ってことになるのですが、アタシはまったく惹かれない。
何度もしつこく書いてるようにアタシは1980年代が嫌いです。しかしその前提を抜きにしても、そこまで面白い時代に感じない。面白い要素は皆無じゃないけど、それはどんな時代でもあるから。
たぶん青春時代が一番の時代と思うのは<時代>というよりは<肉体>とか<立場>という要素が大きく入り混んでいるからなんだと思うんですね。
肉体の若々しさだったり、自由に振る舞える立場こそ人間が本質的に求めるものだと思うわけで、かなり高い下駄を履いているってことになる。その辺を割り引いて考えたら、やっぱり自分が生まれた年あたりになるんじゃないかと。
何だか神がかった話になってきちゃって自分でも気持ち悪いんだけど、アタシが1968年の時点で生を受けたってことは、1968年のモラルなり常識なりが一番受け入れられやすいってのは当然です。
作った側(もちろん両親)だって未来のことなんてわからないんだから、1968年という時代に則した人間になるべくDNAを注入してるはずです。
いわば遺伝子レベルでアタシは1968年に適応出来るように作られている、とも言える。言い方を変えれば1968年型の人間が2018年という<はるか未来>を生きている、とも言えるんじゃないかと。
ならばこうも言えるはずです。
もしアタシと同じ1968年の人間が「2000年代って最高だよ。1970年代?80年代?90年代?問題にならないね」と思えるとしたら、それは両親がDNA注入に失敗したんじゃないかと。つまりエラー状態だったのがたまたまその人が合う時代になっただけ、つまりただの偶然なんじゃないかとね。
そう考えればアタシの両親は見事にDNA注入に成功したのでしょう。いやもうこれは大成功といって差し支えない。バッチリ、1968年がループするのが一番楽しく、一番ラクって人間になったんだから。
でも成功しすぎたばっかりに、2018年ってな時代が生き辛くて敵わん。ま、そこまで計算して産んでくれよ、と思うのはあまりにも身勝手な話だけどさ。