ロックは好きでないのにグループサウンズ(以下、GS)はわりと好き、なんてことは何度か書いてきましたが、一番好きなGSの楽曲はというとアウトキャストの「電話でいいから」なんですよね。
「電話でいいから」は後年、海外のガレージパンクマニアから評価され、今では、まァGSファンには結構知られた曲なんですが、当時のGSの楽曲の域を超えた素晴らしい疾走感がある。
これなんか、正直「GSの楽曲」としてしまうのは、どうも違和感がある。つかGSの楽曲って「如何にもGSっぽい楽曲」と「GSがやってたけどGSぽくない楽曲」の境目が明確なんですよ。
「如何にもGSっぽい楽曲」をひと言でいうなら「橋本淳的世界」です。
GSといえば橋本淳、橋本淳といえばGS、と言えるくらいで、いや橋本淳はGS以外にもいっぱい詞を提供してるんだけど、橋本淳がGS期に書いた歌詞=少女漫画的な世界観と甘いワードのチョイスは大多数の人に「GSとはこういうものだ」という刷り込みになってるはずなんです。
オックスの「ガールフレンド」とかブルーコメッツの「ブルーシャトウ」とか。
橋本淳が歌詞を提供した楽曲はどれも、メロディもアレンジも演奏も歌唱も橋本淳的世界に引きづられていて、本来GS的なものと対極の位置にいたはずのゴールデンカップスに提供した「長い髪の少女」でさえ抗し切れていない。
アタシは歌詞軽視人間だけど、メロディやアレンジにまで影響を及ぼす、となると無視出来ない。だってコンポーザーやバンドの特色さえ消し去る、は大仰だけど、色を薄めてしまうんだから。
つかそういう意味では「もっともエネルギーのある作詞家」なのかもしれません。
そんな中、唯一、これは橋本淳的世界と拮抗していると思えるのがスパイダースの「真珠の涙」なんです。
「真珠の涙」は作曲がスパイダースのメンバーだったかまやつひろし、編曲がコンポーザー側のGSブームの立役者である筒美京平。もちろん作詞は橋本淳です。
そもそもスパイダースをGSという枠に当てはめることがどうかと思うわけで、初期の洗練されまくった「ノーノーボーイ」や中期のビートを前面に押し出した「バンバンバン」、末期の「エレクトリックおばあちゃん」なんか、あまりにもGSと対極の位置にある楽曲です。
そんなスパイダースと、そしてスパイダースの中核を担っていたかまやつひろしVS橋本淳&筒美京平連合軍が「真珠の涙」という楽曲の中で鍔迫り合いをしているのが実に面白いのです。
♪ 朝のォ渚でェ ひとりたァたァずゥむゥ
僕のォ涙はァ つめたァいィ真珠~
何たって橋本淳作詞ですから清々しいほどのGSっぽさなのですが、かまやつひろしは変な抵抗はせずにあえてマイナー調のGSらしいメロディラインを充てている。しかしこうすることによって筒美京平のやることをなくしてしまった。かまやつひろしは相討ちする格好で筒美京平の存在感を消してしまったんですね。
スパイダース自体も表立っての抵抗は見せていない。編曲を無視した演奏をするとか、マチャアキも得意のコミック歌唱をしているわけでなく素直に歌っている。
しかし、その<音>はスパイダース以外の何物でもなく、演奏を聴くだけでも「ああ、これはスパイダースだわ」とわかるレベルなんです。つまりスパイダース感は余裕で残存しているわけで、他の橋本淳提供楽曲のように橋本淳的世界に塗り染められていない。たしかに橋本淳なんだけど、これに関してだけは橋本淳色が薄いんです。
今考えてもスパイダースは他のGSとは底力が違いすぎた。
演奏力だけ取り出せば他に上手いバンドもあったんだろうけど、洋物を取り入れて自分たちのものにするセンスだったり、歌う演奏するだけでなく芸能人としての能力の高さは楽曲そのものを<魅せる>力にもなっていたと思う。
とくに純粋コメディアンとしての能力もゆうに要していながら一ヴォーカリスト(一タンバリン)として、若干難解な楽曲もハイブロウにならずに大衆的な魅力を注入し続けたマチャアキは凄すぎる。
しかしマチャアキだけが突出していたわけではなく、誰が欠けても成立しない、と思わせるバンドとか、少なくとも日本ではスパイダースだけのような気がする。
こういう「作り手側」と「表現者側」とかガチンコでやり合った楽曲がもうちょっとあれば、GSブームももう少し続いたんじゃないかねぇ、と思わんこともありません。
ブルーコメッツもゴールデンカップスも抵抗の気持ちはあったんだから「これは売れ線と割り切るから」と思ってしまわずに、どこまで抵抗出来るかブツかりゃ、そりゃああんなに売れたかはわからないけど、結果としてブームも長く続いてより儲かった気がする。
従順に受け入れるわけでも、撥ね付けてしまうわけでもない。受け入れつつ、その範囲で色をつける。もっと言えば頂戴したもので遊んでしまう。
それが出来たのがスパイダースだったんだなと。
つかそれがセンスですよ。やっぱその辺が抜群だったんだろうなぁ。だからこそほとんどのメンバーがその後も芸能界でやっていけたんだと思うし。
ゼロか百かでは何も生まれない。50を60にする。60には出来なくても51にする、みたいな。これは芸能界に限らずに言えそうなんだけどさ。