誰でも知ってる話
FirstUPDATE2018.11.10
@Scribble #Scribble2018 #フィクション #芸能人 #笑い 単ページ @忠臣蔵 切られ与三郎 仮面ライダー 昔話 CM オレたちひょうきん族

何だか紛らわしいタイトルだけど、これしか思いつかなかったんですわ。ごめりんこ。

伊東四朗が繰り返し語っていたことですが、昔のネタをそのままやれったって、そりゃ無理な注文だと。
前に書いたように「現代性を入れていかないと目の前の観客が楽しめない」というのがひとつ。
もうひとつが「そもそも今の人には元ネタがわからない」というね。
昔の喜劇の台本は「毎度お馴染み」の話をパロディ化したものがいっぱいあるんですが、パロディなんだから当然元ネタを観客が知ってなきゃ、ウケるわけがないんですよ。

それこそ「忠臣蔵」とか「切られ与三郎」とか「鞍馬天狗」とか「金色夜叉」とか、とにかくそういう「誰でも当たり前のように筋を知ってる」みたいなネタをパロディ化していたんです。
けどこんなの今は絶対無理ですよ。「忠臣蔵」といっても、じゃあ赤穂浪士47士の名前を何人言えるか、となって、たぶんほとんどの今の人は2人が関の山で、5人知ってればたいしたものレベルです。
もうそれ以上、となると余程の歴史マニアとか、あるいは強度の芝居愛好者くらいでしょう。
けどね、歴史マニアや芝居愛好者を「普通の人の知識量」というにはあまりにも無理があるわけで。

これがほんの50年ほど前まではそうじゃなかったんです。
さすがに47人全員言える人はそこまでいなかったんでしょうが、それでも、子供でさえ5人くらいは普通に言えた。つまり「ごくごく普通の生活をして自然に吸収出来る程度の基礎知識」だったわけで。
パロディは元ネタがわかってないと笑えないんです。だから「誰でも知ってる話」がパロディの元ネタとして選ばれる。
んで一番肝心なのは、それらの元ネタの新しい古いも関係ないんですよ。

「鞍馬天狗」なんて誰も知らない、じゃあ「仮面ライダー」にすれば解決するのか、というとしない。
「仮面ライダー」でさえ、誰しもが当たり前に知ってるとは言い難い。アタシだって「ストロンガー」まではわかるけど、今やってるシリーズは何も知らないし、アタシより10歳以上上になると、「仮面ライダー」と名のつくもの全部、一度も見たことがない、なんて人がいくらでもいると思う。
これじゃパロディとして成立するわけがないんです。

10年ちょいくらい前にはすでに「全世代が知ってる<物語>」は皆無に近くなってたけど、それでもCMとかならイケた。CMネタなら、まァ誰でも知ってると言い切ることは出来たし、「オレたち!ひょうきん族」なんかではCMパロディを頻繁にやっていました。
でももはやCMパロディでさえ無理です。みんなもう、そんなにテレビを見ていない。CM自体も不景気の影響からか、インパクトが強く、なおかつしつこくリピートされることも減ってる気がするし。
アタシなんかスカパーで野球見てる時にやってる健康食品関係のCMはウンザリするほど見てるから、当然「♪ おまちしてェます~」なんて節をつけられると笑ってしまうけど、こんなマイナーなものをマスメディアで「笑いのネタ」として発信するわけないよねって話で。

では、今の時代でもパロディとして通用する、つまり老若男女問わず誰でも知ってる物語とかあるのだろうか、と。
パッと思いつくのは童話や昔話です。けどこれもかなり限られているような気がする。
「桃太郎」や「浦島太郎」なら、まァ大丈夫だと思うけど、「金太郎」や「猿蟹合戦」になるともう怪しい。海外のものでも大丈夫そうなのは「シンデレラ」と「白雪姫」くらいのはずで、イソップ童話やグリム童話になると「何となくの設定くらいはわかるのもあるけど、筋立て全部がわかってるわけじゃない」というレベルでしょうし。

映画や小説でも「シャーロック・ホームズ」や「スターウォーズ」でも、日本のものでも「機動戦士ガンダム」や「ドラゴンボール」でさえその域までは行ってないと思うし、「坊ちゃん」でさえ、誰でもかはともかく日本人の90%は筋を諳んじている、という言い切る自信がない。勝手な妄想だけど「ラストは坊ちゃんとマドンナが結婚する」なんて思っている人も皆無ではないような。

それだけ多様化したんだ、結構なこっちゃないか、という意見もわかるんだけど、細分化すればするほどひとつひとつのマーケットが小さくなって、こじんまりした閉鎖的な世界が無数に生まれるっつーことになる。
個人、もしくは極めて小さなコミュニティの趣味や意見では何も変わらないんですよ。世の中には集約させてこそ意味があることがあるからね。

あんまり書きたくないけど政治なんてまさにそうでしょ。個人の<正しい>意見よりも数の暴力の方が強いんだから。
しかも結局は<正しい>を決めるのも数でしかないわけで、ひとりの人間に託すと今度は独裁という問題が出てくる。
民主主義というのはあくまで「ある程度まとまった数の集団がいる」という前提なのです。みんながみんな個人主義に徹したら、それでは民主主義は成り立たないもん。

話がとっ散らかりましたが、国民の大多数が知ってる物語があるかないか、というのは、その国が置かれた状況を把握するには良い指標、くらいは言えると思う。
とにかく、間違いなく言えるのは、知らないことにたいしてアホだバカだ老害だと騒ぐ輩が一番不必要だということです。
かなり根深い問題を個人的感覚だけでクサしても何の意味もないし、これって「外国人は日本語が喋れないからバカだ。スペイン語やドイツ語が喋れても意味ないし、だったら日本語を世界の共通語にするべきだ」みたいな話と同じなんだけどね。







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