惚れ込みすぎるのも
FirstUPDATE2018.11.1
@Scribble #Scribble2018 #映画 #芸能人 単ページ 渥美清 笑福亭鶴瓶 大泉洋

たしかに、渥美清は寅さんに殉じ過ぎた、もっと他の役もやるべきだった、みたいな話はよく聞きますが、アタシは天邪鬼なので、ちょっと違うふうに思ってしまう。つまり「山田洋次が渥美清に固執し過ぎたのではないか」と。

山田洋次と渥美清は「男はつらいよ」を始めるまで、ともに「優秀な人材だが、世間的な意味での代表作がない」と目されている人物でした。
渥美清と組むまではの山田洋次はもっぱら「ハナ肇映画専属監督」のような存在だった。「馬鹿まるだし」をはじめとしたハナ肇主演作が「そこそこ」当たったからです。
しかしそれ以上に大きかったのは、ハナ肇が山田洋次の才能に惚れ込んでいたからでしょう。

この時点ではハナ肇と山田洋次では圧倒的にハナ肇の方がネームバリューが強い。「そこそこ」観客が詰めかけたのも「山田洋次監督作品」だからではなく「ハナ肇主演映画」だったからです。
となるとどうしてもハナ肇及びハナの所属する渡辺プロダクションの意向が反映される。ハナ肇が山田洋次を買ってる、となれば松竹としてもハナ肇主演作は山田洋次を監督に据えるしかないわけです。

言うまでもありませんが、ハナ肇はクレージーキャッツのリーダーで、ということはバンドマンだったわけです。つまり「成り行き」で演技を始めただけで根っからの演技者でもなければ、本格的に演技を志したこともない。しかも植木等や谷啓と違って不器用なタイプです。
役柄にハマった時はものすごいエネルギーを発散するが、演技者ではないから幅はすこぶる狭い。すこしでもズレたら稚拙な感じが出てしまう。
その点渥美清は、その達者な演技は若い頃から認められており、「男はつらいよ」という決まった範囲の内容でも幅を出すことが出来る。
実際そうだ違うってことじゃないですよ。でも山田洋次は「渥美清はハナ肇の上位互換」と思っていたんじゃないかと勘繰ってしまうのです。

山田洋次監督・ハナ肇主演映画はどうしても似通った内容になってしまいました。
その理由は、もちろんハナ肇の不器用さもあるんでしょうが、それ以上に山田洋次が「無法松の一生」や「おとうと」や「あにいもうと」の世界観を好み過ぎていたのはあると思う。そういう役柄を演らせている限り、ハナ肇の稚拙さは浮き彫りにはならないわけで、山田洋次にとってハナ肇は「ベストではないがベター」な役者であったことは疑えません。もちろんスターだったハナ肇とコンビを組むからこそ、自分のやりたい作品が作れるというのもあったと思うし。

ところが「男はつらいよ」から「ベターではなくベスト」な渥美清と組むことになった。ま、実際組んでみてベストだとわかったって感じなのでしょうが、ついに自分のやりたい世界観を完璧にやってくれる役者に巡り逢えた山田洋次は「これで、行ける!」という強い確信を抱いたはずなんです。
山田洋次は渥美清に惚れ込んだ。ハナ肇が山田洋次に惚れ込んだ以上に惚れ込んだ。絶対離してなるものか、と。
しかし山田洋次と渥美清がコンビを組む以上、作るのは「男はつらいよ」しかない。松竹としても新シリーズを立ち上げるよりも確実に動員が見込める「男はつらいよ」を望む。当然のことです。

また山田洋次にしても渥美清にしても「男はつらいよ」はけして好ましくない作品ではない。内容的にもですが、何より「男はつらいよ」によって山田洋次も渥美清も不動の位置に押し上げてくれた作品だからね。
渥美清ほどの喜劇役者はいない。山田洋次の中でシリーズを重ねる毎にその思いが強くなったと思うんです。
しかし強烈に渥美清に入れ込むあまり、他の喜劇役者が目に入らなくなったのではないか。渥美清さえいればそれでいい、と思い込み過ぎたんじゃないのか。

渥美清が長い間、これといった代表作に恵まれなかったのは、渥美清に心底惚れ込んだスタッフに巡り逢えなかったからです。
上手い喜劇役者と誰からも認められながらも、渥美清に惚れ込み、渥美清のために映画を作る、というような人に出逢えなかった。「拝啓天皇陛下様」など渥美清を活かした佳作を作った野村芳太郎でさえ、渥美清に惚れ込んで、という感じではなかった。むしろ持て余している、という感じではなかったかとも見受けられる。

映画会社専属ではなかった渥美清は各社を股にかけて主演映画を作っていましたが、こう言っちゃ悪い言い方ですが、渥美清は<その程度>の役者だと見られていたんです。上手いけど、渥美清のために全身全霊をかけて臨む、というほどの存在ではない、と。
山田洋次のやりたい世界観と渥美清という役者とのマッチングは認めるけど、渥美清が他の喜劇役者が眼中から消えるほどの才能の持ち主だったかは、やっぱり疑念が拭えないわけで。

山田洋次が他の喜劇役者にもっと目を向けていたら、何かが変わっていたと思う。実際「おとうと」で主演した笑福亭鶴瓶は山田洋次の世界観と見事にマッチしていたし、こないだも書いた大泉洋も山田洋次の世界観の体現者になりうる人です。
笑福亭鶴瓶にしろ大泉洋にしろ、渥美清死去後に山田洋次が出逢った人です。しかし渥美清存命中にも、もしかしたら「渥美清ほどであるかはわからないとしても、自分の世界観を表現出来る」喜劇役者に巡り逢えたんじゃないのか、と。

何というか、山田洋次が一番脂が乗っていた年齢の頃に、ほとんど「男はつらいよ」しか撮ってないのが、今となってはものすごくもったいないと思うんですよね。山田洋次ほどの才能があれば、まったく違った傑作を生み出せたんじゃないかと。

谷啓主演で予定されながら結果ボツになった映画とか見たかったな。ああいう、山田洋次的でないものを何作か撮れば、また違った展開があったようなね。







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