世の中には、芸人であるか否かにかかわらず、異様にモノマネが上手い人がいます。
こういう人は「この人、出来るな」と思って、やり始めた瞬間からすでに似ている。もちろん未完成なところはあるんだけど、誰の真似かと問われても即座にわかる程度には似ているんですね。
大泉洋なんかまさにそうで、何をやらせても「ぜんぜん違うよ」なんてことにはならない。しかも自信を持ってやったヤツは確実に似ている。
彼はモノマネ芸人ではないとはいえ、バラエティ番組で披露するためにそれなりに練習はしてるんだとは思う。それでもあれだけレパートリーを増やせるのは、やはり才能があればこそです。
才能なんていい加減な書き方をしましたが、要するに耳がいい。モノマネの必須条件は耳です。もちろん良く聞こえるという耳の良さではなく、何というか音の分解能力なんですね。自分の出る範囲の声で近似値が出せるってのは、それはつまり瞬時に音の再構築が出来るっていう才能なんじゃないかと。
声は似ているのにモノマネとしては似てない、なんてことは珍しくないけど、原因として考えられるのは、アクセントが似てないんです。
アクセントっても方言のことじゃなくてね。ほれ、音楽記号でフォルテシモとかピアニッシモとかあるでしょ。人間誰でもアクセントに特徴があって、この人は「◯◯が」の「が」がやたら強いな、とか、逆にこういう言葉はちょっと消え入りそうな感じになるな、とか、絶対にあるんです。
そこを再現しないと何か似てない感じになる。
ま、それをクリアしてね、たしかに似てる。でも面白くない、なんてケースもあります。
こっちはテンポの強弱、つまり緩急がないケースが多い。
例えばカメラマンの渡部陽一のモノマネをやろうとすれば、まァ、ゆっくり喋ります。しかし終始ゆっくりでは面白くないんですよ。
これが特定の言葉とかシチュエーションなら突然早口になる、なんてのを入れたら俄然面白くなる。
森田健作のモノマネにしても「ヨッシカーコーン!オジーチャーン!オイ、ドシター!」だけではもはや誰も笑わないけど、急にマジなトーンになって「この度は千葉県知事といたしまして早瀬久美女史並びに笠智衆先生に・・・」なんてやったら、そこそこ笑いは取れるはずです。(一定以上の年齢に限るけど)
こうした緩急と並んで大事なのは、如何にも言いそうなことを言うっていうね。
これが抜群に上手かったのがタモリだった。タモリのモノマネは巧拙で言えばけして上手いモノマネではなかった。けど本当に面白かった。
大橋巨泉のモノマネだって、それまでは「野球は巨人、司会は巨泉」とか「ハッパフミフミ、わかるね」とか「何たってウッシッシ」とか「なんちゅうか本中華」くらいしかみんな言ってなかったのに、タモリの場合はまるで大橋巨泉がそこにいるかの如く、あまりにも大橋巨泉らしい言葉で喋り続ける。
実際タモリ以降、モノマネという芸そのものが変わった。それまでのモノマネはただ芝居のワンシーンを再現したものだったり、歌で言えば同じ歌で次々にいろんな歌手で再現していく、なんてスタイルだったのです。つまり巧拙がモノマネのすべてだったと言ってもいい。
それをタモリは変えてしまった。似てる似てないよりも「その人になりきって、何を喋るか」の方が重要になった。
そうした経緯がある以上、そこをないがしろにしてしまうと、もうみんな笑えなくなってしまったわけで。
さて、これだけ能書きを垂れているテメエはどうなんだ、と言われたら、もう隠れたい気分になる。
はっきり言いまして、アタシはまったくモノマネが出来ない。野球の話と一緒で、人のことはとやかく言う癖に自分は何も出来ないんですよ。
もちろんチャレンジは無数にした。でもこれが似ないんですわ。悲しいほど似てない。人選が悪いのか、それともよほど声が特殊なのか、ちょっと似てるって感じにもならないんです。
ただしアクセントとか緩急には気をつけているから、大仰な音楽用のエフェクターを使って声をイジってやると似る場合もあった。地声はまるで違うから普通にやっても似てないんだけど、エフェクトをかけることによって、つまり声質(ファルセット他)を変化させることによって笑福亭鶴瓶はかなり似させることは出来ました。しかし、まァ、これは卑怯なやり方です。
ただしひとり、異様に似ていると言われた人がいる。
その時アタシは風邪をひいていた。そのせいで相手が聞き取りづらいほどの「かすれたガラガラ声」になってしまったのです。そんな時、友人がこうけしかけてきた。
「その声、リリアンに似てるなぁ。ちょっとモノマネしてみて」
リリアンなんて言っても関西の人以外、いや関西の人でも若い人はわからないかもしれないけど、簡単に言えば元祖オネエタレントみたいな人です。ただし見た目はオッさんそのままですが。
しかし、リリアンの真似なんて何をどうすりゃいいんだ。つか如何にもリリアンの言いそうなことって何なんだ。
その時ふと、何かの番組で新野新(関西の放送作家兼タレント)の私服が変だ、みたいなことを言ってたのを思い出した。あれ、使えるな。
「いやセンセ、そんな服どこで買いはったん!?だいまる?だいまる!大丸にそんな服売ってんの!」
これが馬鹿ウケした。唐突に新野新を登場させたこと、そして忠実に新野新を「センセ(先生)」と言わせたこと。何より、何の意味もなく「大丸で買ったことにした」ことが全部効いてウケたわけで。
これ以降何度か、その友達経由で聞いた人から「リリアンのモノマネやって!」と言われたけど、普段はまったく似てないんです。何しろあれは風邪をひいて異様なかすれ声&ガラガラ声だったからこそ似ていたわけで、普段のアタシの声では必死でガラガラ感を出してもほとんど似ていない。
だからアタシはこう言って断った。
「それ、風邪ひいてる時にもう一回言ってきて」
途中にタモリのことを書いてますが、今思えばタモリの場合「モノマネ」というよりも「なりきり芸」だったんだな、と思う。つまり4ヵ国語麻雀ネタと一緒というか。 これね、非常に厳密に言えば「モノマネ芸」と「なりきり芸」と「憑依芸」は別モンのような気がするんですよ。 ざっくり<モノマネ>と括られる人でも、タモリとかホリとかは「なりきり芸」、古川ロッパや今の神無月あたりは純粋な「モノマネ芸」、んで松村邦洋なんかが「憑依芸」というか。 ま、いくら分析してもアタシがモノマネが出来ないことには変わりないんだけど。 |
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