現代実生語ノート
FirstUPDATE2018.8.31
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かつてエノケン一座に宏川光子という女優がいました。一座の看板女優で、デコミツ、なんて愛称でファンも多かったといいます。

ただし戦後の消息がよくわからない。戦中に結婚して引退したらしいけど、完全に芸能界から距離を置いたわけでもないようだけど、何故か没年ははっきりしています。ま、正確なのかもわからんのだけどね。
全盛期の彼女は丸顔で愛らしい雰囲気なのですが、筒井康隆も指摘するように時代劇だとイマイチ合わない。着物を来て丸髷をすると、丸顔が災いしてヒロインというよりも単なる町娘にしか見えないんです。
しかし現代劇だと映える。何ともいえないモダンな雰囲気があり、とくに「エノケンの頑張り戦術」では水着姿を見せるのですが、これがこの時代の人には珍しいむっちりした肉体美で、モダンな雰囲気と相まって実に魅力的なのです。

話は若干逸れてしまうのですが、戦前の映画を見てるとね、女優さんが揃いも揃って肉体が貧弱なのです。今でも日本人は欧米人に比べると貧弱と言われていますがもっと極端で、胸の膨らみなんてまったくない。当世貧乳だと言われている人の方がよほどグラマラスです。
だからこそ宏川光子のような人が映える。丸顔だけど小太りじゃない。でもむっちりしているってのは戦前においてはかなり珍しかったわけで。
ま、戦前からの人でも高峰秀子とか高峰三枝子のような豊乳な人はいたけどね。

宏川光子のベストは「エノケンの千万長者」でしょう。
たしかに映画の出来自体はイマイチです。しかしヒロイン役でカフェー(イカガワシクない方の店)の女給として、制服を着てカチューシャをして登場する宏川光子はエノケン映画全作のヒロインの中でも白眉です。
もちろんカフェーの女給をやってるような役ですから文句なしのモダンガールなのですが、時代が時代だからか、ちょっとビックリすることもありましてね。

ちょっとだけ粗筋を説明しておきます。
主人公のエノケンは千万長者(ま、今で言えば億万長者ですか)の跡取り息子ですが、極端な金持ち教育を施されています。
この金持ち教育ってのが、早い話が「カネなんていくら使っても減らないんだから散財しろ」っつーね。主題歌の中では「毎月のお小遣いが5万円ばかし」と歌われていますが、この頃の5マンとか今の1000万円以上ですからね。

エノケンには富豪のご子息らしく許嫁がいるのですが、そのお相手ってのが完全な狂女でして(北村季佐江の怪演が光る)、当然逃げ回るハメになります。
そんなエノケンは自分でスゥィートハートを見つけた。それがカフェーの女給の宏川光子です。
ところが当然のように結婚を反対され、また宏川光子も「ちゃんと働いている人でないと嫌」とか言い出したので、エノケンと宏川光子は駆け落ち同然で家出することになった。

しかしエノケンの仕事がどうも上手くいかず、最後は屑拾いにまで落ちぶれ、食うや食わずの貧乏生活になってしまうのです。
見かねた宏川光子は、姉役の高清子のところに仕事の世話をして欲しいと願い出ます。
高清子からこんなことしてちゃダメだと諭されるのですが、この時の宏川光子の返すセリフがすごい。

「よござんす!」

もう一度言います。宏川光子の役はモダンガールなんですよ。そのモダンガールに「よござんす」なんていう、まるで時代劇のようなセリフを言わせている。もちろん山本嘉次郎(監督・脚本)に「この程度の古い言葉なら、モダンガールが吐いても今の時代不自然ではない」という計算があってのことでしょう。

つまり戦前期までは「よござんす」という言葉はごくごく普通に使われていた言葉ってことになります。
この映画は1936年製作ですので、もちろん今とこの頃では使う言葉は変わっています。しかし江戸時代から続く古い言葉でも生き残ってるのはあるわけで、すべてが違う言い方や英語(和製英語)に置き換えられたわけじゃないんですよね。
「よござんす」よりもずーっと新しい「フィーバーする」とか「ナウい」とか「チョベリバ」とか、2018年現在誰も使っていない。一定の年齢以上なら意味はわかるけど口にはしない。となると同じく意味はわかるけど使わない言葉である「よござんす」とか「かたじけない」と何が違うんだ、と思う。

ミーハーとか、もしかしたら英語が語源と勘違いしてる人がいるかもしれないけど、これは昭和初期の造語であり流行語です。つまり完璧なる日本語。
「ナウい」という<流行語>は消えたけど、「ミーハー」という<流行語>は100年近く経っても生き残っている。流行語だからって必ず消えるわけじゃないし、「セコハン」みたいな英語由来の言葉でも今は普通に「中古」とか、もっと古風に「お古」って言ってるわけでね。
結局言葉も芸能人と一緒で、何が残って何が消えるかなんかわからないんです。当てたからって誰からかに褒められるわけでもないし。

それはそれでいいんだけど、息が長いに越したことがない映画とか小説とかは難しいもんだなぁ、と改めて思う。
今の時代の「この言葉が流行ってる」とか「この言葉はもはや古臭い」みたいなことは調べればいくらでもわかるけど、「将来この言葉は消える」とかは絶対わからないもん。もう宝くじと一緒ですよ。
つかそんなことを考えてモノを作ること自体が間違ってるんだろうね。今何かを作れば、今の言葉で、今のモラルで、今の常識の範囲で作るしかないし、そうしないと今の時代に評価されない。

そりゃそうだよ。死んでから評価されても意味ないもんねぇ。







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