笑える空気、笑えない空気
FirstUPDATE2018.8.1
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ものすごい和やかな雰囲気の飲み会とかでなら、まァ、よほど酷いギャグでない限りは、んでよほどギャグを発した人の評判が悪くない限りはウケますが、これね、人を笑わせることにおいて、本当に重要なのは「ネタ」でも「間」でもなく、その場の空気だから、なんです。

笑いというのはフシギなもので、徹底的に和やかか、もしくは徹底的に厳かかの両極端の方が良い。
いかりや長介は例として通夜や葬儀のコントを挙げており、コントという形だから多少は身構えるけど、本物の葬儀で坊さんが木魚を外そうものなら絶対に面白いと。だからコントとはいえ葬儀コントをやるなら徹底的に厳かな雰囲気を再現した方が笑いを誘発しやすい、と語っています。(「どんどんクジラの笑劇人生」での塚田茂との対談)

この「和やか」と「厳か」は「何も肩肘張らない、何を言っても許してもらえそうな場」と「絶対に笑ってはいけない、ここで笑おうものならどんな目で見られるかわからない場」と言い換えてもいい。
一切我慢が必要がないか、逆に我慢し切らなきゃいけないか、そのどちらかさえ作れば、多少くだらないギャグでも大笑いさせることが出来るっつー。

反対に絶対に笑えないシチュエーションってのもあるはずで、例えば真面目な雰囲気で、一対一でトイメンで向かい合ってる場合。つまり相手が真剣な目つきでこちらを見つめている、みたいなシチュエーションです。
さらにそれにプラスして、相手がこっちのことをあからさまに見下しているのが透けて見えたら、いくらギャグをカマしてきても、それが超絶面白いネタだったとしても笑うことは出来ません。
笑いというのは結局リスペクトのやり合いなんですよ。リスペクトがあるから相手が喜びそうな、と書くと感じが悪いけど、必死でその人に向くギャグを発するし、聞く側も相手にリスペクトがあるから素直にギャグで笑える。
いわば関係性です。リスペクトし合う関係性がないとネタも間もヘッタクレもないんですよ。

さて、このブログに何度も小林信彦という作家について書いてるけど、やはりこの人の<笑い>の分析は本物だと思うし、メチャクチャ好きかというと違うんだけど、それでもコメディアン、芸人が好きなら絶対に目を通しておくべき人だと思っています。
ただね、「日本の喜劇人」のような論評はいいんですが、いわば「笑いの実践」とも言える小説の方はまるで面白くない。いや、笑いがあまり入ってない小説はいいんだけど、こと小林信彦が若い頃に標榜したという「笑いの文学」関連作品はぜんぜん笑えないんです。

何というか、読んでて「おめーら幼稚だからどうせ高邁なギャグを書いてもわからないだろ。だからオメーラのオツムに合わせて低レベルなギャグをいっぱい入れておいてやったぞ」みたいなのが見えるんです。
さっき書いた「見下し」が透けて見えるわけで、これでは笑えるわけがないんです。
何というか小林信彦は、いくらなんでも「日本人の笑いのレベルは下がりっぱなし」とか「幼稚なギャグでゲタゲタ笑う若い人」みたいなことを書き過ぎた。

氏が敬愛するマルクス兄弟の映画も、今ではわりと簡単に見られるようになりました。たしかにマルクス兄弟はくだらないとは言えないけど、だからといって「マルクス兄弟を見てしまうと今の人の笑いとか見てられない」とはならない。単に笑わせ方の種類が違うだけの話です。
仮にこんなことを本人に言っても「それはあんたがセンスがないだけだ」と言われるに決まってるんだろうけど、それは違う。というか、小林信彦こそ笑いの基本である空気作りにあまりにも無頓着なんじゃないかと思うわけで。

マルクス兄弟だって、観客が笑える空気作りはかなり慎重にやっています。それは残された映画を観るだけでもよくわかる。
実際マルクス兄弟にはブラックだったり不謹慎なギャグが結構入ってるけど、ちゃんと空気を作っておかないと絶対に引かれる。それをわかっているからこそ慎重になるわけでね。
小林信彦が本当に<笑いの文学>を標榜するのであれば、論評の類いは書かない方が正解だったと思う。先に論評を読んでしまうと、もう読者は絶対に笑えないですよ。もしくはスノビズムで無理矢理笑うかのどちらかになる。
論評ってのは、これはもうしょうがないんだけど、よほど気をつけない限り、上から目線になりやすいんです。いや、多少なりとも上から目線がないと論評なんて書けない気がするし。

しかし上から目線で書いたギャグを素直に笑える人はそうはいない。それは氏がよく挙げる「元ネタがわからない」ことよりもよほど根深い問題だと思う。
というか元ネタがわからない=面白くないなんて当たり前のことで、読者にそこを期待してはいけないし、元ネタがわからないのであれば笑えないということならば、それはギャグとしてたいしたことないってことになるわけでね。
ギャグというのは「限られた人だけがわかる」類いのは次善の策でね、本当は知識も何もない人を笑わせるギャグの方がすごいと思うし、そこが難しいから次善の策に走る。別にそれは構わないけど、わかったからといってそこまで優越感を感じるようなもんでもないと思う。

笑いというのは、まァ、アタシを含めてなんだけど、あーだこーだ外部からエラソーに言ってる人よりも、たとえレベルはたいしたことがなくても作り出している人の方がすごいんです。
だからね、和やかな飲み会でのくだらないモノマネの方が見下した態度で発せられたギャグよりも上だと思う。笑いってくらいだから結局笑わせたものが勝ちの世界なんだから。







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