これはどう評価していいものか
FirstUPDATE2018.6.12
@Scribble #Scribble2018 #藤子不二雄 #映画 #ネガティブ 単ページ #ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険 辻褄 説明不足 #2010年代 tumblr

何しろ声優変更後の「ドラえもん」には何の興味もないもんでね。ま、オッさんになったんだからしょうがないんだけど。
だから「今のドラえもんはダメ、昔のが至高」なんていうつもりも権利もない。今のを見てないんだから比べようもないっつーか。

何度も書いてるように、アタシは見てない聴いてないものを憶測とか決めつけで批判するのが大嫌いなんです。もちろん実際に目の当たりにしなくても「テーマ自体がダメ」なんてケースもあるから一概には言えないんだけど。
だから「テーマ自体がダメ」と思ったCG版はこっ酷く批判したりもした。2次創作なら2次創作で原典の設定を大事にするのは鉄則だと思うし、原典(原作)からかけ離れたものを作りたいのであれば、パロディと銘打ってやれば良い。CG版(スタンドバイミーナンチャラ)にはそのどちらにも感じなかったから批判したわけです。
しかし、声優変更後版(ややこしいので以下「わさび版」)の映画はそこまで酷いものでないのはわかっていた。たしかに原作のないオリジナルストーリーの場合、多少は2次創作の要素が出てしまうのはやむを得ないけど、それでも「大長編のフォーマットに則って作っているんだろうな」とは思っていたしね。

そこで、せっかくだから何か一本、わさび版の映画を見てやれと思ったんだけど、近作の中では比較的感動要素が少ない、しかもそれなりに評価されているという理由で「映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」を観たわけです。
さすがに今さら「のぶ代じゃない!」とかは思わないし、声優変更直後よりもこなれてきた感じも受けた。
序盤はテンポも良く、意外にもそれなりに楽しんでみることか出来ました。ジャイアンのブタゴリラ化とスネ夫の一人称以外は違和感もなかったし。
しかし、全体の感想になると「見所皆無とまでは言わないけど、面白い、ということはない」としか言いようがない。

A作品はわかりやすいくらいに無軌道にしてあるけど、F作品も「一見理路整然とした無軌道」なんです。本当に計算づくならあれだけクネクネしないからね。実際、大長編「ドラえもん」なんか、よく読み込むと辻褄の合わないことだらけだもん。何つーか、蛇行しまくって、行き当たりばったりで無理矢理ケリをつけられそうな箇所を探してる、みたいな。でもそのクネクネぶりが実に面白いわけで(2018年5月11日更新「文はクネクネ」/現注・当該エントリはオミット)


当たり前だけど「南極カチコチ大冒険」は藤子F逝去後の作品なので、こういった作り方は出来ない。それは理解出来るんです。そりゃあ、F先生と同じようにある種アドリブで物語を作っていって、上手く伏線になりそうなエピソードを広げる、なんてやり方が出来ればいいですけど、それは無理というものです。
だからとにかく、基本フォーマットから外れないように、最初から伏線も結末も用意した「良く出来たおハナシ」にする以外に方法はないんだけど、実際ものすごく「キチンと作ろうとしている」のは観ていてもわかる。
ところが問題なのは「キチンとしようとしてるわりにキチンと出来てない」ことなんです。

以前も書いたように、アタシは辻褄の合わなさは気にならない方です。つか肝心のハナシさえ面白ければ辻褄なんて合ってようが合ってなかろうがどうでもいいと思っている。
ただ声優変更後の映画「ドラえもん」の場合は若干別で、「とにかく面白ければ何でもいい」というふうにはハナから作っておらず、藤子Fが作った基本フォーマットからはみ出さないようにしながら面白さを表現しようとしている。
となると、いくらF作品が辻褄が合ってなかろうが、これはある程度の辻褄が合ってないとダメなんですよ。だって「隅々までキチンと作っている=辻褄が合ってる」ことが目的でもあるんだから。
でも悲しいかな、どうも辻褄が合ってない。しかもハナシのキモとなるところが合ってない。どーでもいい細かいところの辻褄が合わないのは別にいいけど、キモの辻褄が合わないってのは、これは結構マズいんじゃないの?タイムパラドックス?子供向け作品でタイムパラドックスなんて一番やっちゃいけないことじゃないの?

しかし本当のことを言えば辻褄が合わないのはどうでもいいんです。
それよりも観客が疑問に思いそうな、序盤であきらかに「謎」として描かれていることが、あっさり説明台詞で終わっているのが問題で、復唱されることもないからそこを聴き逃したら、もうぜんぜんわからなくなる。しかも説明自体も足りていない。
何で宇宙人が南極の地下に巨大都市を作ったのか、とか、ペンギンロボットが何でドラえもんになりすましていたのか、何もわからない。
何故「巨大都市を作る場所が南極の地下でなければならなかったのか」とか「宇宙の隅々まで衛星基地が作れるほどの文明があるのに、何だってあんな石造りの建築ばかりなのか」なんて、大人のアタシが観てもわからないんだもん。これ、子供にわかるの?本当に?

というかあの巨大都市の設定いるのか、とさえ思う。いや、あの都市の美術がこの映画の一番の見どころだったんだけど、どうもハナシとリンクしていない。
監督はジブリ出身らしく、随所にジブリ的演出があったらしい。アタシはジブリは観ないのでよくわからないし、そこはどうでもいい。でも監督をはじめとするスタッフが思い描いた「世界観」と「物語」が一体でないとは思うんですよ。
ああいうことがやりたいのであれば、別に南極じゃなくてもいいじゃん。南極が舞台の話です!と謳うのであれば、あの巨大都市はいらない。
というかこれ、ふたつの話に分けた方がいいよなぁ。幻のアトランティス文明の話と、南極でしか起こり得ない話(ニンゲン(=UMA)の謎を探ると、その正体は実は、みたいなの)とに。一緒にするからややこしくなるっつーか。

だけれども、正直に言えば、それさえも別にいいんです。やっぱ、結局は、ハナシ自体がたいして面白くないってのがなぁ。
こうなったらもう別にドラえもんらしさなんかどうでもいいよ。大山のぶ代版至上主義とかアタシのような原作のファンなんか完全に切り捨ててもいい。あんな中途半端な藤子F好きへの目配せ(ジャングル黒べえの面やひみつ道具の使い方)とかいらないわ。
それよりさ、とにかく今の子供が喜ぶようなものを作らなきゃ。あんなややこしい設定じゃなくて、もっと直線的で、観てる間にアタマの中に疑問符が浮かばないようなヤツ。むしろそっちの方が結果的に原作重視になると思うんだけどね。







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