まァ例の日大アメフト部の問題の話なんですが、いや問題そのものというよりもそれに関連したっつーか、あまりにも軽々しく使われる言葉に疑問を抱きましてね。
有識者だかコメンテーターだか何だか知らないけど「昔のやり方だ」だの「昭和のやり方」だのと言った発言をする人が実に多い。アメフト関係者でさえ、そう言った言葉を平気で口にする。
正直問題の本質をまるで捉えていない。こんなことでは<またぞろ>同じことを繰り返すぞ、と。
アタシはね、何も暴力を肯定しているのではないのです。
暴力がいけないことだなんて当たり前の話で、これは太古の昔から何も変わらない。なのにいつの間にか「暴力=昭和」という認識を持つ人が増えてしまったことに違和感を覚えたわけで。
冗談じゃない。つかそんな単純な話じゃない。じゃあ何か?昭和は暴力肯定の時代だったとでも言うのか?
こういう時に必ず旧陸軍の話が出てきます。そして昨日も書いたように日大アメフト部監督を牟田口廉也(軍人。インパール作戦で指揮を執った人物)と比較する声もある。
しかしね、よく考えていただきたいのが何で牟田口廉也の名前が悪名とはいえ残ったかです。というか軍人として二十一世紀の今も名前が挙がる人物はほぼ悪名高き人ばかりなのですが、彼らはね、いわば<失敗した>人たちなんですよ。
作戦が、とか、指揮官として、というよりも、早い話が部下の信用を得られなかった。だから戦後になって悪評がボロボロと止め処もなく出てきて名前が残ってしまったっつーね。
はっきり言えば、部下からの信用がゼロなら、さらに言えば部下から恨まれるレベルであれば、殴ってようが殴ってなかろうが関係ないんです。というか考えようによっては「殴ってもないのに恨まれる」って、ある意味殴るよりもはるかに酷いことをしたったことになるわけで。
日大アメフト部の前監督(前任の短期間の人ではなく長期政権で黄金期を築いた人物)も暴力的指導は日常茶飯事だったらしい。けどこの人物は恨まれてはいない。
理由は簡単です。彼はちゃんと部員との間に信頼関係が築けていたからに他ありません。
たしかにグラウンド上では鬼だったかもしれないけど、部員と寝食を共にして、またキチンとコミュニケーションを図ることで信頼関係を築いていったわけです。
実際に危険行為を行った選手が記者会見を開きましたが、発言の中でとくに重要なのは「監督とはほとんど喋ったことがない。そんな雰囲気ではなかった」というような意味のことを言ってることです。
つまりは「殴る」けど「コミュニケーションは取らない」というね、これはもう最悪と言っていい。
むしろ今まで問題にならなかった方がおかしいくらいで、この監督は前監督の表面上だけ、つまり「暴力的指導」だけを模擬し、本当は前監督の指導の根幹である「コミュニケーション」を極端なまでにないがしろにしたわけです。
しつこく念を押しておきますが、アタシはまったく暴力肯定ではありません。しかしね、人間ってのは不思議なもので、本当に納得出来る理由であれば殴られても耐えられるし、殴った相手を恨みもしないのです。
これは図らずも対戦相手であった関学アメフト部の対応を見てもわかる。某選手は危険タックルを犯しましたが、関学関係者(被害者の肉親含む)は某選手を恨んでいない。何故なら「やられた理由が納得出来る」からです。いやだからと言って当然被害者に非があるわけじゃないけど、某選手が「やらざるを得ない状況」が理解出来るから無意味に恨みを持つに至らなかったっつーか。
変な話ね、指導者とか経営者ってのは「カリスマ型」か「コミュニケーション型」かのどっちかしかないのです。
スティーブ・ジョブズみたいに強烈なカリスマ性があればコミュニケーション皆無でも問題ないけど、そうじゃない人はコミュニケーション型にならなきゃいけない。つかそれ以外方法がない。
そこを履き違えるととんでもないことになる。今回の日大アメフト部はいわば「洗脳型」とでも言うか、北九州とか尼崎の例の事件と本質的には一緒です。
表に出れば今回みたいにボロカスに叩かれるに決まってるから隠そうとする。しかも表に出たとしても方向転換が出来ない。ひたすら自分たちは悪くないという姿勢を崩せない。するとすべてが崩壊するわけで、あまりにもリスクが高い。
たしかに旧陸軍は牟田口以外にも洗脳型の部隊がなかったとは言わない。つか他にもあったでしょう。
ただ、それでも、最低でも責任はちゃんと取っている。戦争が終わったら本当にみな自決している。つまりそれだけの覚悟を持って任務にあたっていたということでしょう。
覚悟も何もなく「止められることを前提に」自決のフリをしようとした牟田口とは違う。違うから未だに牟田口の名前が残ったし、牟田口という名前こそ出なかったけど朝ドラの中にさえ愚かな行為が揶揄されるシーンが描かれることになる。
何が言いたいのかというと、日大アメフト部の行動は「戦時中、旧陸軍との比較でさえ、異常行為」なのです。昭和(60年以上続いた時代を一括りにする方がどうかと思うけど)であっても今回の件はけして許されるようなことでも当たり前のことでもなかったわけで、正直「時代が変わったから今の時代に則した指導法を」とか、ぜんぜん関係ないんですよね。
最後にどうしても言いたいことを。
この件について「いつまで叩いているんだ」とか「ネット私刑じゃないか」という意見ね、アタシもネット上での私刑については相当批判的に書いたけど、こればっかりは例外中の例外だと思う。
だってさ、最初この話題が出てきた時、世間の反応は某選手ひとりがとんでもないことをやらかしたっていう風潮だったのですよ。それが話題になるにつれ、某選手はむしろ被害者(って書くと誤解されるけど、加害者でもあり被害者でもあるってのが正しい)じゃないか、みたいな感じになった。んで挙句「これは大学自体がとんでもない」というふうになったのです。
日大の初期対応がしっかりしていればこんなことにはならなかった、という人もいるけど、もし日大の初期対応がしっかりしていたら某選手だけが悪者で話が終わっていたわけで、ある意味主犯格と言える監督コーチは実質無傷だったことになる。
これだけ話題になるのは日大の対応が「薪をくべ続けて火を絶やさないようにしている」からで、結果的に主犯格を炙り出すことが出来たわけで。
つかネット民なんて飽きっぽいんだから、あらたなネタがなければすぐに収束したはずですから。
それに、こんなことは本当に珍しいんだけど、むしろこの件にかんしてだけはネット上でも徹底的に話題(≠糾弾)にしなきゃいけないんじゃないかねぇ。