昔、音楽をやっていた、というのは何度も何度も「さわり」だけ書いてきました。んで今回も詳細に語るつもりはござんせん。
とにかく、たいして興味のなかったレゲエなぞをやっていたわけで、基本人前に出たり、ましてやマイクを持ってね、喋るのならともかく歌うことが苦手な人間にとって、音楽をやる唯一の楽しみは「作る」ことだったんです。
「作る」ったって、何しろアタシは五線譜がまるで読めないですからね。読めないんだから書けるわけがない。もっと言えば簡単な楽譜ですら読めないのにフルスコアの読み書きなんて、今からプロ野球選手になろうとするくらい無理ゲーです。
具体的にアタシが作っていたのは歌詞です。ま、レゲエの場合定番の旋律があって、だいたいはそれを使います。一応ちょこっと弄ったみたいな感じのメロディくらいは作らなきゃいけなかったりもするんだけど、メインはあくまで歌詞。
しかしレゲエの歌詞は本当に難しいんですよ。
完全な歌モノでない限り、ま、いわゆるDJスタイルってやつですが、ヒップホップっつーかラップ同様に韻を踏んでやらなきゃいけない。しかもヒップホップと違って一応旋律もあるので、フレーズが「音」としても自然でなければいけない。
こんなの、素人が、いや素人云々よりもレゲエを聴き慣れていない人間に出来るわけがないのです。
それでも「無理なことをやってるからこそ楽しい」と思えるのは若い頃の特権で、難しいからチャレンジしたくなったし、出来ないなりに数をこなすことで、それなりのものも作れるようにはなっていったんです。
アタシが人前で歌っていた期間と作っていた期間なら、作っていた期間の方が圧倒的に長かった。歌っていたのはほんの2年ほどだけど、作っていたのは歌い始める2年前から、そして歌っていた期間が終わって約3年後くらいまでは歌詞を書いていました。
これは前に書いたけど、最初はあくまで手伝いとして歌詞を考えた。そのうち自分でも歌うようになったけど、いろいろあった末に歌えない状況になってからも、未練っつーか、もう歌えないのはわかっているのに、しつこく作っていた。レゲエなんて他人の歌詞で歌うことなんてまずないから、まったく意味のない行為なのですがね。
もう絶対に歌えない、とわかってからの話になりますが、アタシは「晴耕雨読」という歌詞を書いたことがあります。
歌詞は完璧に忘れている。他の自作の曲は完全ではないにしろ、おぼろでも憶えているのに、この曲にかんしては見事に記憶が消えているんです。
ただ歌詞そのものは忘れたけど、テーマは憶えている。ま、タイトルが「晴耕雨読」なのですから、実際に晴耕雨読的な生活についてではないものの、気分が晴れてる時はガンガン行って、気分が雨の日は心鎮めて雨が止むのを待つ、みたいなテーマで作ったことははっきりと憶えています。
しかし今回書きたいのは気分として晴れとか雨とかの話ではなく、文字通りの晴耕雨読についてやりたいなと。
晴れの日は働く、雨の日は部屋で静かにしている、という生活は、まァやれるものならやりたいけど、台風が来てようが大雪だろうが仕事のために外に出なければいけないことはある。当たり前です。そんな左団扇の生活なんて出来るわけがない。
だからまあ、雨の日に相当するのような、部屋に篭っていても問題のない日の過ごし方、みたいな話をね、書きたいわけで。
晴耕雨読で言えば雨の日は「読」ってことになる。つまりは読書でしょう。
しかし今の時代、読書だけ、というのは、やはり稀なケースだと思う。たしかにアタシはそれなりの読書量があると思うけど、っつってもネットとかもあるし、いやネットは最近すぎるとしてもアタシが生まれた時代にはすでにテレビがありましたからね。そんなことを言えば親が生まれた時点でラジオはあったわけで、それでも「晴耕雨テレビ」とか「晴耕雨ラジオ」ではいくらなんでも情緒がなさすぎるし、情緒云々は置いといてもあまりにもアホっぽい。
ところが不思議なことに「晴耕雨映」、つまり映画なら、そこまでアホっぽい感じにならないんですね。
つか晴耕雨読も「晴耕雨<学>」ではないわけで、おそらく読書とはフィクションを読むことを意味するのでしょう。ならば同じフィクションの映画なら何も変わらない。もちろん漫画でも一緒ですが、字面的に「晴耕雨漫」ではちょっとアホっぽいから。
とくにやらなきゃいけない仕事もない。雨が降っていて外に遊びに行くのもはばかられる、そんな状況で、ひとり、部屋で映画を見るってのは悪くない趣味に思える。
必要なのは読書と同様、とにかく内容に没入することです。メシ食いながらとか、片手にスマホを持って、とかはダメ。目の前の映画にだけ集中する。せいぜい酒をチビチビやるくらいにとどめておかないと。(アタシは飲めないけど)
そういう時間を、せめて一週間に一回は積極的に作るべきなんだと思う。その一週間にたまった嫌なことを完全にリセットするための時間というか。頭をリセットするにはフィクションの世界に没入することほど良い方法はないと思っているから。
しかしまァ、現実にはそうは問屋がおろさないっつーか、いろいろアクシデントが発生する。
やれ猫が毛玉を吐いただの、やれ換気扇を消し忘れただの。野球シーズンなら阪神の経過も気になるし、いつ不意に電話がかかるかもしれないわけで。
心を鎮めて穏やかな時を過ごす、なんてこと自体が無理なんだよな。仮にビジネスホテルに泊まったとしても無理。ビジネスホテルはビジネスホテルなりのアクシデントが待ってるんだから。
ま、しゃーない。今日も中断覚悟で映画でも見ますか。