何故1992年の阪神は優勝できなかったか、印象だけで書く
FirstUPDATE2018.1.29
@Scribble #Scribble2018 #プロ野球 #1990年代 単ページ 阪神タイガース 1992年 中村勝広 新庄剛志 亀山努 和田豊 岡田彰布 真弓明信 トーマス・オマリー

わざわざエントリタイトルに「印象だけで書く」なんて入れたくらいだから、当時の感覚を思い出しながら書いていきます。ま、データはいっぱい転がっているんだから、分析だのなんだのは勝手にやってくださいってことで。

1992年、阪神タイガースはずっと首位をキープしながら土壇場でヤクルトにマクられ、7年ぶりの優勝を逃してしまいました。
今の目で見れば、暗黒時代で唯一の希望の年、みたいに思えるけど、実はこの頃まではまだ暗黒時代というほどではないのですね。ま、日本一になった後、少々低迷期が続いている程度の認識だったし。

しかし、正直に書きましょう。アタシはこの年、まったく優勝出来るとは思ってなかった。あまりはしゃいでいた記憶もないし、友人と「阪神、調子ええなぁ」と語り合うことはあったけど、優勝出来るとは想像もしてなかったのです。
というか、ひと言で言えば、試合が面白くなさすぎて野球への興味が薄くなっていた。当時アタシは新しいクルマを買うことに必死になっており、ちょうどヤクルトの優勝が決まったのと納車が同じ時期くらいだったのですが、そのひと月ほど前からアタシにとって「クルマ>>>>野球」みたいな感じだったことを記憶しています。

そうは言っても試合はちゃんと見ていた。例の八木の幻のホームランの試合も、岡田が代打に出された試合も、新庄が初スタメンでホームランを打った試合も、湯船リリーフの試合もちゃんと見てたからね。どころか開幕4戦目の東京ドームの巨人戦(負けたけど仲田が抜群の投球をした試合)なんか、観戦に行ってたくらいだし。
それに、面白くないなりにも面白い選手が何人かいたのも事実で、この年で言えば何と言っても亀山と新庄でしょう。

低迷阪神(≠暗黒阪神)を一気に上昇気流に乗せた立役者は、実は新庄ではなく亀山なのです。もちろん新庄の登場で大幅に失速が遅くなったのは間違いないけど、1992年の阪神というチームを浮遊させたのは絶対に亀山です。それくらいの存在だったんです。
ま、新庄ファンのためにフォローしておくなら、前半亀山、後半新庄でもいいけどね。とにかく彼らの存在のおかげで「面白くない試合」もそれなりに見れたのは違いないから。

というかこうやって書いててあらためて思ったけど、中村勝広監督政権下と和田豊監督政権下って酷似してるわ。チームはそこそこ勝つけど強さは感じないし、試合が面白くないっていう点が。ま、中村政権で「そこそこ勝」ってたのはこの年だけだし、和田政権には亀山や新庄のような新生のスター候補もいなかったけど。

さっき書いたように、この年アタシは優勝出来そうな空気をまるで感じなかったのですが、それは強さを感じないチームだったってのも、たしかにある。
しかしそれ以上に終盤の戦い方が「何とか優勝を掴み取ってやろう」みたいなのがまるで見えなかったことが大きい。
こういう時こそ、本来ならベテランがチームを引っ張るものですが、念のために1992年後半のよくあったスタメンを列記しておきます。

4 和田
9 亀山
5 オマリー
3 パチョレック
7 八木
8 新庄
6 久慈
2 山田
1 仲田、中込、湯船、葛西、野田

こんな感じでしたか。新庄が3番を打ったり5番を打ったりもしてたけど。
こうして見ると「打てなさそうだなぁ」ってのはさておき、打線に中堅とベテランがほとんどいないのです。
亀山、新庄、山田、そしてこの年ルーキーだった久慈は初めてレギュラーとして使われた年だったし、八木もやっと外野手として完全なレギュラーに定着した最初の年です。3、4番は外国人。つまり中堅と呼べるのは和田しかいなかった。

結局アタシの和田嫌いはこの年の印象があまりにも強すぎるからだと思う。唯一の中堅、いやもっと言えばチームリーダーとして引っ張っていかなきゃいけない立場なのに、淡々とやってる、みたいにしか見えなかったのです。
ではベテランはとなると、いることはいた。
開幕してしばらくは6番一塁岡田でした(新庄がおらず、レフトパチョレック、センター八木だった)。ところが怪我からくる不調でまるで振るわず、すぐにスタメンを外されるようになります。

それはいいのですが、この年の岡田は完全に不満分子といった感じで、まァ4月に亀山を代打におくられたことが尾を引いていたんだろうけど、1985年の時のようなチームリーダーらしき姿はとうとう見せることがありませんでした。だからどうも、岡田の印象も悪くなってしまった。
木戸はあまり試合に出てなかったし(途中から湯船が先発の試合のみスタメンマスクになる)、生え抜き以外では真弓、高橋慶彦、金森、立花あたりがいましたが、外様の彼らが率先してムード作りするのは難しい。阪神という特殊なチームではやむを得ないのですがね。
ま、真弓は外様とはいえ完全に阪神の選手と言っていい存在でしたが、あの人は昔からああいうタイプだったし。(どういうw)

この年のオフ、野田を放出して松永を獲得することになるのですが、アタシは「打線の強化」よりも「チームリーダーの獲得」の意味合いの方が大きかったのではないかと見ています。
生え抜きベテランは腐っているし、外様ベテランにチームリーダーの役割は難しい。本当は和田が担わなければいけないのに、そうした姿勢は見られない、となれば、このトレードはまったく理解出来ないものではない。松永も外様にはなるけど、良くも悪くも誰にでも「物申す」ことで有名だったし。

しかしこの年、まったくチームリーダーがいなかったのか、というとそうではありません。この年の阪神を支えていたのは外国人であるオマリーだったんです。
オマリーはとくに外国人スカウトに赴任してから評判が最悪になりましたが、アタシはどうも嫌いになれない。和田や岡田といった人がこの年の悪い印象を引きずっているとするなら、オマリーの印象が良いのはこの年見せた気迫あふれるプレーが目に焼き付いているからなんです。

とにかくオマリーだけは、必死になって優勝しようとしていた。普段から怠慢走塁、怠慢守備と言われることが多かったけど、終盤に入るにつれ気迫という言葉では物足りないくらい、鬼気迫る姿を見せていたんです。
たぶんこういうことは、1992年のデータをいくら追っかけてもわからないと思います。だけれども和田や岡田の印象が悪くオマリーの印象が良いのは、この年の試合をちゃんと見ていた証左だと思っている。

全力疾走とか鬼気迫るプレーとかはデータではわからないもん。だからこうしたことを書き残さなければ、と思っている次第でして。







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