並木道を朱塗りの馬車に乗って行こう!
FirstUPDATE2018.1.21
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こないだ「バイヨン踊り」について書いたエントリの中で「ジャケ買い」について書きました。

その時ジャケ買いならぬ「ジャケ借り」についても書いたんだけど、軽く説明すると、ジャケ買いがジャケットデザインだけでCDなりレコードを「購入」することなら、ジャケ借りはそのレンタル版です。
ま、ジャケ買いに比べると大幅に費用が安く済むので、これは結構やった。ま、当然失敗の方が多かったけど。

2003年の出来事です。もう当時勤めていた会社を辞めるか辞めないか寸前の頃だったのですが、アタシは呑気にも、つか辞めると決まったからこそ気持ちがラクになり、結構な数のCDをレンタルしています。
ま、大抵は前から聴きたかった、みたいなのばっかりでしたが、それでも数枚はジャケ借りに挑戦している。
失敗したものでいえば、てっきりカリビアンだと思って借りたCDが思いっきりカリブの民族音楽だった時はズッコケました。いやぁ、それは違うよ。ぜんぜん違うよ。

当時ジャケ借りした中で最高の当たりが今回紹介する川畑文子の「青空」です。
青空、ま、当時のリアルな表記で行くなら「あほぞら」ってことになる。そして今はこの楽曲はほぼ「私の青空」というタイトルで表記されています。

♪ ゆッうぐれェにィ あッおぎ見ィるゥ
 かッがやく あァァァおォォォぞら~

ま、超がつくスタンダードナンバーなんで、かなりの人はソラで歌えるはずです。
この曲がスタンダードナンバーになったのは昭和初期からで、幾多の人がカバーしている。中でも一番印象が強いのがエノケンこと榎本健一でしょう。
ただし現在CDに収められているエノケン歌唱の「私の青空」は最晩年に録音されたもので、彼の全盛期、つまり戦前に録音された盤はありません。(ただし戦前に公開された映画(「エノケンの千万長者」・1936年公開)の中で替詞で歌っている)
だからエノケンの持ち歌であったのは間違いないとしても、「私の青空」=エノケンというのは違和感がある。やはり一番は二村定一でしょう。
とか書いていくと、どんどん深みにハマるのでこの程度にしますが、エノケンや二村定一以外にも「私の青空」を持ち歌にした人は当時いっぱいいたんです。

その中に今回取り上げる川畑文子もいました。
新宿のTSUTAYAで彼女のCDを見つけた時のことは今でも憶えている。
アタシはずいぶん後になってこのCDを「購入」したのですが、サブタイトルみたいな感じで「1930年代のアイドル」ってな惹句が付いててね。
実際に聴いてみると、ああ、ああいう惹句にするしかなかったんだなってのがよくわかった。というのも、歌唱が相当酷いんです。ま、歌唱力が低い=アイドル、みたいな図式で、ああなったんだろうと。

しかし川畑文子がアイドル的な存在だったかというと、半分しか当たっていない。
これも後々、いろんな文献を読み漁り、そして有識者の人に話を聞いてわかったことなんだけど、そもそも川畑文子はアイドルでないのはもちろん、歌手ですらなかったのです。
彼女は「ハイキック」(頭上まで足を上げる)が売りのダンサーであり、しかもアメリカで生まれ育った帰国子女。それもアメリカでそこそこ名の知れたダンサーで、凱旋帰国した際に日本のレコード会社が無理矢理歌手として専属契約を結び、数十枚のレコードをリリースした、という経緯があったんです。

あくまでダンサーでしかない、歌唱力は先ほど書いた通り、さらには日本語がろくすっぽ喋れない。晩年まで本当にカタコトレベルしか喋れなかった。そんな人に日本語の歌を歌わせる方が無理なわけで、知識皆無の状態で聴いたらただ下手くそな歌手、それこそアイドル歌手並みってことしかならないっつー。
ま、アイドル的人気はあったので半分は当たってるんだけどね。

たしかに歌唱は「その程度」なのですが、聴くべき曲は多い。当時のスタンダードナンバーを片っ端からカバーしてますし、あまり他の人がカバーしてないようなアチラの楽曲もカバーしている。
中でも表題曲の「ワー・フー」は天才・服部良一が編曲しており、川畑文子の歌唱は置いといて、とにかくアレンジが素晴らしいんです。アチラ盤の「ワー・フー」もいくつか聴いたけど、そのどれよりも川畑文子版の方が優れている。

♪ 並木道をッ 朱塗りのッ 馬車に乗って
 いッこッおッ
 ワフッ ワフッ ワァフ~

お経っぽいっつーか木魚の音っぽい出だしからして出色で、あとはもうスイングしまくる。ハリウッド映画のラストっぽいエンディングもまた素晴らしいの一言で、とにかく躍動しまくっています。
川畑文子の歌は相変わらずなんだけど、この楽曲にかんしていえば、少なくとも邪魔にはなっていない。つかむしろ奇妙なオリエンタルな味にさえ、なっているのです。

ま、実際に聴くと歌唱の悪さを突き抜けた「凄み」みたいなのがあり、これはこれで良い、となるんだけど、それにしてもアタシが借りたCD(「青空」)のジャケットはいただけない。ジャケ借りしたクセに何ですが、あのジャケットの写真の川畑文子はブスすぎる。

本物っつーか、もちろん実物はお目にかかったことはないけど、他の彼女の写真を見る限り、もっと美人です。当時の日劇のパンフの写真なんかを見ると、可憐、といっても良いかもしれない。
スタイルも本当にいいし、これならアイドル的人気があったってのも頷ける。

だからさ、1930年代のアイドル、なんて惹句を付けるなら、他にもっと良い写真が残ってるんだから、そーゆーのを使おうよ。(そう考えると「バイヨン踊り」の生田恵子のジャケ写と反対ですな)

あれじゃまるで「戦前の芸能人なんて、こんなブスでこんな酷い歌唱力なのか」なんて誤解されるわ、マジで。

途中、あっさり『(川畑文子は)晩年まで本当にカタコトレベルしか喋れなかった』と書いてあるけど、そもそも川畑文子は引退して以降、まったくメディアには出ていない。なのに何故、晩年の様子がわかるのか、というとですね。
『有識者の方』とあるのはもちろん瀬川昌久先生なのですが、瀬川先生からそういう話を聞いたわけではなく、アタシが実際に川畑文子の喋ってる様子を聞いてみた上で『カタコト』と判断したんです。
もちろん実際に会ったわけではない。でも晩年の川畑文子さんが喋ってるのを聞いたことがある。
エラく回りくどく、思わせぶりに書いてますが、これ以上は書けない。マジで迷惑がかかるから。って本当はちゃんとしたエントリにするべきなんだけど「しない」のは「大々的に書きたいけど大々的に書いちゃダメだから」で、こうやってPostScriptに「こそっと」書いたのです。




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