夢よもう一度、の限界
FirstUPDATE2018.1.9
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昨年の話ですが、ダウンタウン浜田が大阪府知事をドツイた!みたいなニュースを見て何のことかと思ったら、2025年の大阪万博誘致のキャンペーンでダウンタウンが大阪まで出向き、御堂筋ランウェイに参加した、と。

ま、ダウンタウンを呼び出した効果はあったんでしょう。アタシもこのニュースで「え?また大阪で万博やるつもりなの?」と知ったんだから。
しかし、まったく、本当にやりたいのかね。いや万博をさ。(現注・言うまでもなく2025年の大阪万博は正式に決定しましま)
ご承知の通り、大阪での万国博覧会というと1970年に一度やってる。んで結果的には大成功をおさめたわけです。
しかしこの万博は「リベンジの意味合い」を抜きには語れません。

1940年、紀元2600年の記念事業としてオリンピックと万国博覧会という、日本初の国際的大イベントの開催が検討され、そしてどちらも会議で承認され、晴れて開催が正式決定したのです。
しかし戦局の悪化を理由にどちらもキャンセルされた。ま、これもご存知の通り。
1964年の東京オリンピックはあきらかにキャンセルされた1940年東京オリンピックのリベンジだった。結果リベンジは大成功するのですが、いや大成功というより高度経済成長期の象徴とすら、なったわけで。

一方、1940年の万国博覧会は東京晴海と一部横浜での開催を予定していたようですが、リベンジとなった1970年万博は大阪に場所を移し、先ほど書いたようにやはり大成功だった。
こちらもリベンジだったのは、幻の東京万博のチケット(前売り券)が大阪万博でそのまま使用可能になった、ということからもあきらかでしょう。

高度経済成長期をいつまでとするのか、これはいろいろな説があるようですが、まァ「1972年よりも前」とする説が有力らしい。
実際は1966年あたりに一度軽い落ち込みもあったようだし、この落ち込みで分割して1965年までを第一次、以降を第二次とするという見方もあるようです。

こうして見ると1964年の東京オリンピックは「第一次高度経済成長期」のフィナーレに近く、また1970年の大阪万博は「第二次高度経済成長期」のフィナーレに近い。つまり1964年東京オリンピックの後、1970年の大阪万博の後に落ち込みがあったということになります。
当時の日本は、というか日本人は1964年の東京オリンピックに向けて馬車馬のように走り続けた。そして一大事業が終わった後に腑抜けになってしまった。
それが再び1970年の大阪万博に向けて馬車馬のように走った。大阪万博が終わると再び腑抜けになった、というふうにも見てとれる。

もちろんそんな単純なものではなく、国際情勢とかいろんな絡みがあった末の結果なんだけど、腑抜けになったかどうかはともかく、オリンピックや万博といった「国際的お祭り」に向けて馬車馬のように走りまくった、というのは、そうは外れてないと思う。
何かがあるから死にものぐるいで頑張る、何もなければ何もしない、というのはあまりにも日本人でありすぎると思うのですが、では今、2020年の東京オリンピックに向けて日本人は馬車馬のように走っているか、というと走ってないわけですよね。
たぶん2025年の万博誘致に成功しても、結果は同じだと思う。というかもうオリンピックや万博で頑張る日本人ではなくなった、ということか。

つかこれは当たり前なんです。そもそも時代が違いすぎる。
前回の東京オリンピックがおこなわれた1964年はインターネットはおろか渡航自由化の前です。つまりおいそれと海外に行ける時代ではなかったのです。
だから大多数の日本人は、アジア人を除く外国人をほとんど見たことがなかった。もうしいていえば進駐軍くらいで、せいぜい見れてもアメリカ人だけだったんです。

それがオリンピックで「世界中にはこれだけいろんな国、いろんな人種があるんだ」というのが「実感」となった。
しかし実感と言っても大多数の人にはブラウン管越しの出来事でしかなかった。そんなタイミングで「世界の人々と直で触れ合える」万博がおこなわれたのです。
早い話がオリンピックも万博も、成功するためのカードが全部揃っている状態だったといっていい。

ところが今はどうでしょうか。もう海外旅行なんて珍しくもなんともないし、外国人を見て喜ぶなんてせいぜい小学生まででしょう。
それに言いたかないけど、秋葉原は最近はマシになったけど、新宿なんか「ここホントにニホン?」と思いますもんね。道行く人の話し声だけでなく呼び込みの声でさえ中国語ばっかりだし。
海外がっつーか外国がここまで身近になってしまうとオリンピックや万博の価値が落ちて当然で、もう盛り上がりようがないんです。

オリンピックや万博を誘致して地域や国民を盛り上げよう、なんてのは「外国人が特別の存在だった時代」にしか通用しないんです。それなのにまるで特別感のなくなった今の時代に同じことをしようとする。正直に言えばアタシには、エラい人たちのアタマが硬直化してるとしか思えない。
たしかに1964年のオリンピックや1970年の万博は盛り上がったよ。おそらくあの時代を知ってる人からすれば強烈な成功体験になったとは、思う。

でもその頃とは時代が変わりすぎた。夢よもう一度と思う気持ちはわかるけど、オリンピックや万博を誘致なんて思考停止もいいところです。
何よりオリンピックそのもの、万博そのものが大事なんじゃなくて、国民の大多数が「そこ」に向かって猛烈に走り出すことが大切なんです。
だからもう、今の段階で「2020年のオリンピック開催は失敗だった」と言い切れる。だって誰も「そこ」に向かってないじゃん。おそらく万博の誘致に成功しても同じことになるのは目に見えています。
もう「そこ」の役割はオリンピックや万博では担えない。担えないのであれば、莫大な税金を投じてやる意味があるのかというと、ね。

雇用がどうこうみたいなスケールの小さい話だけでいいのなら、別に外国を巻き込む必要もないんじゃないの?と思うだけでね。

大阪万博は正式に決定しましたが、うーん、2023年現在の時点では成功しそうなムードが微塵もありませんな。
東京オリンピックも関係者が談合やなんやで片っ端からしょっ引かれることになったけど、大阪万博も「これだけのことがあったんだからもう大丈夫」と言い切れないのが辛い。
ま、もう決定したんで四の五の言ってもしょうがないんだけど、せめて札幌オリンピックは止めようよ。つか国家を挙げて何かやるのは悪いことではないけど、成功体験にとらわれた「夢よもう一度」はもう無理だよ。




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