どーして演じたらいけないのよ!
FirstUPDATE2017.12.17
@Scribble #Scribble2017 #芸能人 #テレビドラマ 単ページ 男女7人夏物語 男女7人秋物語 明石家さんま 大竹しのぶ 天才女優 素の自分

ま、演技の話なのですが演技力の話ではありません。しつこいけどアタシには演技力がどうこうなんてわかりませんからね。

以前「大阪人は演じるのが好き」みたいなことを書いたことがあります。
いや大阪人にそういう人が多いように思うだけで、日本に限らずどこの国でも演じることに楽しさをおぼえる人はいると思う。実際、アタシだって演じることは多いし(とくに仕事絡みの時なんかはね)、それが苦痛だと思ったことはあんまりないんです。
いやね、これは演技だ、と思えば、わりといろんなことがやりやすくなったりするんですよ。マジで。

アタシが生涯で唯一、スーツとか着て出勤するサラリーマンを始めたのは33歳の時です。こんなもん、楽しいわけがないのです。ネクタイなんかするのも嫌な人間だったし。
けどこの時ばかりは発想を変えた。何というか「東宝のサラリーマン喜劇の登場人物のつもりで出勤しよう」と思ったのです。ま、さすがに「植木等映画の主人公のように」とは思わなかった。アレはいくらなんでも特殊すぎる。
でも劇中に出てくる、たとえば小林桂樹が演じたようなサラリーマンなら、演技として出来るんじゃないかと。
そしたら本当に楽しい。まるで自分が映画の登場人物になった気分になれるんだから楽しくないわけがないのです。

もしかしたら自宅警備員みたいな人への一番いいアドバイスは「社畜を演じてみるのも面白いよ」じゃないかと。
本当の社畜になる必要はない。あくまで演技なんだから嫌になったら辞めたらいい。でも、ほんの少しの期間だけでも、社畜の演技をして会社とやらに行ってみない?と。

でもやるんならリアルにやろうよ。本心とか本音は自分の心に仕舞ってさ、会社の人間を完全に騙してやろうぜ。これ、結構楽しいと思うんだけどなァ、みたいな感じで持っていく。
もし嫌だと言いだしたら、ああ演技のひとつも出来ないのか、と言ってやればいいんです。
自分を偽ることは悪いことみたいだけど、能力的に偽ることが出来るのと出来ないのとでは「生きやすさ」がぜんぜん変わってくる。
その術を「演技」って割り切ってやらせるのが一番早道のような。

さて話は変わるようですが、大竹しのぶの還暦パーティの映像を見てね、やっぱこの人は普通じゃないっていうか「自分」というものの前に「演技」があるんだなと思い知らされました。
大竹しのぶは天才女優だと持て囃されている人ですが、何度も言うように本当に天才的な演技力があるのかどうかはわからない。だけれども天才と呼ばれる要素があるのはよくわかります。

というのもですね、明石家さんまとのやりとりを見ててつくづく思った。
壇上に上がったさんまはいつものさんまだった。元嫁とか関係なく、いつも通り、毎度お馴染みのさんまちゃんだった。
しかし大竹しのぶは違った。さんまとの会話になると完全に神崎桃子になっているのです。あ、神崎桃子ってのは「男女7人」の時の役名ね。

他の人と喋ったり、他の映画に出たり、金スマでコメントしたりしてる時には神崎桃子の要素なんか何もない。それは当たり前の話なのですが、何故かさんまが登場すると桃子になる。さんまは別に今井良介になってるわけじゃないのに。
普通こんな感じでバシーッと変われるものなのか?つか「やろう」として出来るなんてあり得ないと思うんですよ。なのに大竹しのぶはさんまの前では桃子になる。

これはもう条件反射みたいなもので、自動的にスイッチが切り替わって桃子になる、としか思えないんです。
おそらくさんまと二人っきりでいた時と、野田秀樹と二人っきりでいた時の大竹しのぶはまるで別人だったはずで、野田秀樹の時にどんな人格だったかはわからないけど、さんまとの時には終始「桃子」であり続けたんじゃないか。もちろん桃子である必要なんかないんです。夫婦っつーか家族になったんだから。

でも「やらなくてもいい」とか「むしろやっちゃダメ」とか関係なく、本人の意思さえ関係なく桃子になってしまう。
野田秀樹の時は違う誰かに、死別した夫の時も誰か、といった具合に、私生活においてすべての瞬間にまで、隙間なく演技をしていたんじゃないか。

大竹しのぶは天才女優と言われる一方で魔性の女とも言われたりしましたが、死別した夫を別の女優と取り合いになった時も、本人は「そういう役柄を演じている」感覚だったとすればわかりやすい。と言うことは悪気なんかあるわけがない。だって演じているだけだからね。
さんまとの離婚だって、大竹しのぶの中で「子育てをしながら専業主婦をやる神崎桃子」の演技プランが立てられずに破綻しただけのような気がする。

いわばこの人は「素の自分」がない人なのかもしれません。
とはいえ、いわゆる演技性人格障害とも違うんじゃないかと。そういうことではなく「生まれながらの演技者」イコール「天才女優」ということならば、アタシも納得がいくのです。
と考えると、さんまとの結婚生活が上手くいかないのも当然ですわな。いくら大竹しのぶが桃子だったもしてもさんまは今井良介じゃないもん。もしさんまもずっと良介でいられたらもっと長続きできたのかもしれないけど、四六時中良介をやれ、なんてそれこそ不可能だわ。

でも確実なのは、さんまは大竹しのぶではなく「桃子」が好きだったんだろうな。ま、さんまといる限り大竹しのぶは桃子なんだからそれで問題はないんだけどね。







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