先日「昭和芸人 最期の七人」を読了しました。
まァ一応、興味のある人たち(本書で取り上げられているのは榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー谷)の話なんで気にはなっていたんだけど、パラパラと立ち読みした時点であんまり興味を惹かれなくてね。それでもちゃんと買って最後まで読んだら、また印象も変わるだろ、と。
結論から言いますと、どうもピンとこなかった。
著者は若い人みたいだけど、かなり入念に調べているのはよくわかるんです。アタシも似たようなことを調べているから、如何に調査が大変だったかは手に取るように理解できる。
しかし、7人とも、結局「最期」がどういったものなのかがわからなかった。はっきり言えば「ものすごく詳細なWikipediaを読んでるみたい」な気分になったんです。
実に念入りに調査して、キチンと整理して、事実を紡ぎ出す。それがどれだけ大変なことなのかはわかるんだけど、そこでね、止まっちゃってるんですよ。せっかく調べ上げた情報について分析がまるで行われていない。だから「こういう経緯で人気が凋落し、こういった晩年を迎えました」ってのがただ歴史的事実を並べただけになってしまっている。
もっとズバリ書くなら、この本、私見がまったく書いていないのです。
私見を排除した理由が気を遣いまくった挙句なのか、それとも著者の強固な意志によるものなのか、はたまたそもそも私見が一切ないのかはわかりません。
だけれども、この本のテーマには「人気の凋落」があるはずなんです。というか人生の終焉自体は実はわりとどうでもいい。一番肝心というか読者がもっとも興味を惹かれるのは「何故それほど人気があった人が<堕ちて>いったか」じゃないかとね。
この本で取り上げられた7人の芸人・コメディアンのうち、柳家金語楼を除く6人にははっきりとした凋落期間が存在します。
何故凋落したのか、全盛期と何が変わったからの結果なのか、時代なのか芸の質なのか、その辺は絶対に踏み込まなきゃいけないと思うんですよ。つかそこが「読ませどころ」であると思うし。
ただしメチャクチャ難しいということは理解しています。
今の観点だけから人気の凋落を図ろうとするとズレが大きくなるし、かといってリアルタイム世代ではない著者にリアルタイムの印象があるわけがない。
となるとどうしても近似値を図る作業になってしまうとは思うんですが、それでもやり方はあったと思うんですよね。
この7人に共通点を求めるとするなら、本領を発揮したと言われるのが舞台であるということです。
アタシは以前書いた通り、舞台が一番面白いと言われる人が多いことにたいして懐疑的なんだけど、まァ、それは置いておく。
著者がリアルタイム世代でない以上、生の舞台を観た上での比較が無理だというのはわかるし、生の舞台を観てない癖にこんな本書くな、ともまったく思わない。後世の人間だからこそ俯瞰で見れたり、噛み砕けることがあるはずだからね。
しかし同時に、残された「芸」を多角的に精査して近似値を図ることも、後世の人間の役割だと思う。
それをやってないっつーか、結果として書いてないんだから、やはり点数を下げないわけにはいかないんです。
昭和初期より活躍した芸人やコメディアンの残された芸、といえば映画やレコードです。
たしかに芸の本質を図る上で映画やレコードは不利なのですが、それでもキチンと精査すれば近似値は導き出せる。
エノケンでいえば、タイトルに「エノケンの」とつくだけで観客が押し寄せたP.C.L.から東宝初期の作品群と、同じく「エノケンの」と冠がついてるにもかかわらず観客からソッポを向かれた戦後の主演作品群とで何が違うのか、エノケンの芸の質が落ちたのか、時代が大きく変わり庶民が求めるテイストが変わってしまったのか、その辺のことを「人気が落ちた」って文言で片付けちゃいけないと思う。
こういう時、それこそエノケンなら脚の不調の話になっちゃうんだけど、脚が本格的に悪化したのは1950年以降であり、しかし戦後に入って間もない時点で、すでにエノケンが輝きを失っているのは残された映画を観るだけでもわかる。
戦後の「エノケンのびっくりしゃっくり時代」や「歌うエノケン捕物帖」なんか、面白くなりそうな仕掛けがいろいろあるのに全部エノケンが潰している。もっとはっきりいうなら覇気がない。得意の歌もぜんぜん声が出ていないし。
清水金一だってそうですよ。何故東宝で撮った戦前の主演作はダメで、戦後松竹で撮った主演作はそこそこ受け入れられたのか、もちろん川島雄三が監督をしたりして「作り」自体が良かったのもあるだろうけど、そこに芸の変化はなかったのか。
当時の人の証言は織り交ぜているけど、著者自身の「ここが変わった」って指摘がないから、イマイチこっち(つまり読者である受取手)に迫ってこない。
アタシはね、そこは読者に委ねちゃいけないと思うんです。彼らの主演作はそう簡単に観ることは出来ない。末尾ページにブックガイドが記載されているけど、これは実際に芸を観ないと面白さなんかわからないんですよ。
芸人やコメディアンはまず「芸」ありきです。芸っていうと「何が出来るか」みたいになっちゃうけど、その人のフラやある種の力技全部含めて芸です。
まずはそれを見ないと、いくら詳細に足跡をたどっても絶対に本質は見えてこない。
この著者は最近の芸人・コメディアンにも詳しいみたいだから、それとの比較論でもいい。仮に多少好き嫌いっつーかバイアスが強い意見でも構わない。
とにかくせっかくここまで調べ抜いたんだから、私見は必要です。避けたかったのか、避けなければいけない事情があったのかはわからないけど、避けて通っても良いものでなかったことだけはたしかだと思うんだけどね。
作者名は書かないけど、どうもこの人の文章っつーか方向性は性に合わないわ。 最近も「ドリフターズとその時代」を読んだけど、うーん、いい加減な本じゃないのは本当によくわかるんだけど、どうにもアタシには刺さらない。いや、こうやって昔の喜劇のことをちゃんとまとめる気概のある人は応援したいんだけど、それこそ○○氏(褒めなんで伏せ字にする必要はないけど)と比べると、やっぱ、あと一歩、踏み込みが足りない気がするんですよね。 |
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