今を混ぜる
FirstUPDATE2017.11.16
@Scribble #Scribble2017 #老いらく #テレビ 単ページ 伊東四朗 老害 伊藤家の食卓 三宅健 記憶 賀来千香子

えと、10月半ばくらいだったかな。Eテレの番組に伊東四朗が出てて。今調べたら「あしたも晴れ!人生レシピ」って番組だった。賀来千香子とNHKのアナウンサーが司会の、広義でいえばトーク番組といって差し支えないでしょう。

まァEテレの番組だからね。趣旨としてはあくまで「今年80歳を迎える伊東四朗の<脳>が如何に若々しいか」みたいな感じだったんだけど。
もちろん当時放送中だった、伊東四朗も出演していた「植木等とのぼせもん」のPRを兼ねていたのは言うまでもありません。
こんな番組があることを知らず、途中から見始めたくらいだから、ビデオには撮ってない。非常に後悔しています。
だから正確でない箇所が多々あるとは思いますが、ご容赦ください。

それにしても、この番組で飛び出した伊東四朗の言葉はどれも含蓄に溢れ、しかも「役者」という職業の一端を垣間見れる思考法は本当に面白かった。
司会の賀来千香子も女優なので、彼女との台本の覚え方談義は単に人それぞれと片付けられない広がりがあり、素人では想像もつかない「ああ役者ってのはこんなことに苦労したり、喜びを感じたりするんだ」というのがとてもよくわかった。
ま、この話は具体的に書いていったらキリがないし、本エントリの趣旨と違ってくるのでこの辺で。(現注・これ、具体的に書いときゃ良かったと後悔しています。今もなっては伊東四朗と賀来千香子のやり取りをひとっつも憶えてないんだもん)
中でも、とくに印象に残った伊東四朗の言葉があります。

「よく昔の台本のままやってくれって言われるんだけど、それじゃダメなんだよ。絶対に「今」を入れなきゃいけない。そうしないとお客さんに本当に喜んでもらえない」

まったく正確ではありませんが、このような発言をされていました。
そのために伊東四朗は若い役者(番組中では植木等役の山本耕史とのやりとりが紹介されていた)との会話をかかさない、と。またはっきりと番組名は出してませんでしたが「伊東家の食卓」の時はV6の三宅健とずっと喋っていたらしい。
「伊東家の食卓」では軽いゲームに挑戦したりしてましたが、伊東四朗は常々「三宅にだけは絶対に(ゲームで)負けない」と意気込んでいたとか。この辺は伊東四朗らしくて可笑しい。
つまりは脳が若い三宅健に勝つってことは自分の脳もまだまだ若いことになるからだと。
若い脳をキープさせて、そして三宅健や山本耕史から若い人たちの情報を吸収する。けして説教くさくない「さりげない」やり方で。

そこまでしてでも伊東四朗は「今」を大切にしているって話なんだけど、これ、相当すごい話なんですよ。
当たり前すぎる話だけど、年齢がいく毎にいろんなことが落ちてくる。伊東四朗にしたところで若い頃のように「電線音頭」をキレッキレで踊れるわけではない。
そうなるとね、どうしても「過去」を美化したくなるんです。最初は過去の脳や身体の動きの美化から始まるんだろうけど、そのうち自分が頑張ってきた時代を美化したくなる。

もうそれはしょうがない。つか誰も嗤うことはできない。いろいろ落ちた自分が自分のすべてではないというふうに思いたい気持ちは痛いほどわかります。
しかしいつしか返す刀で「今」を批判しだす。
アタシはそこまではまだ「しょうがない」で済ませていいと思うんです。自分が輝いていた「過去」に比べたら「今」が劣ってみえる。そういうことはね、アタシだって皆無じゃないから。
だけれども「今」の事象という理由だけで「ダメ」とか「受け付けない」となったら、これは相当ヤバい。何故ダメなのか、それは過去にはなくて今あるものだから(もしくは逆)、みたいな理由で批判し出したら、それはもうさすがに「老害」と言われてもね、しょうがないわな。

伊東四朗だって「今」より「過去」の方が自分にとって重要だとは思ってると思うんですよ。だけれどもそんなことにこだわってたら目の前にいるお客さんに楽しんでもらえない。客のせいにするのは簡単だけど、それだけはしたくないっていう立派なポリシーがあるんじゃないかと。
だから「今」を積極的に吸収して「今」を混ぜる。

以前、桂米朝のことを書いた時に「米朝は現代を常に意識していたけど、だからといって今っぽいギャグを無理矢理挿入するなんて幼稚な真似はしなかった。ただ、ほんの少しだけテンポや「間」を変えてやって現代性を保持させている」みたいなことを書きました。
伊東四朗も同じで、優れた芸人やコメディアンは「間」を自由自在に操れる。米朝と同じく今っぽいギャグは入れたりせず、あくまで台本に即した違和感のないギャグを入れたり、台詞回しを微妙にテンポや「間」だけを変える。いや、そうしなきゃいけないっつーか、自分のプライドを守りたいために否定したりするのはお客さんに失礼ではないか、みたいな考えなのでしょう。

アタシもついつい「今」の風潮を批判的に書いたりもしますが、過去と比べてどっちが上とかではなく、「今」も「これはこれでアリ」程度の柔軟性を失っちゃいけないな、と。
過去に準じた「今」ではなく、過去との繋がりが見えにくい「今」はどうしても批判したくなる。でもそれって、そういうことをやったら自分がどんどん苦しくなるだけなんだよね。

今の若い人にどう思われるかとか一切関係なく、自分自身のために常に今の感覚を思考に混ぜ込んでいく。そういうのは絶対必要だな、と。







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