見世物テレビ王国
FirstUPDATE2017.11.12
@Classic #テレビ #テレビドラマ #笑い 単ページ 久世光彦 向田邦子 小林亜星 浜田幸一 夏井いつき 藤あや子 辻芝居

 アタシは何回かしか見たことがないんだけど、浜田雅功の司会で「プレバト!!」って番組があるでしょ。
 あの中で俳句の先生として夏井いつきって人が出てるけど、あの人見るといつも思うんですよ。
 もし久世光彦が生きていたら、何とか口説き落としてドラマに使ったんじゃないかって。
 
 久世光彦は晩年になるにしたがって「向田邦子の盟友」といったニュアンスが強くなっていきました。毎年向田邦子のエッセイをドラマ化してたし、向田邦子が脚本を手がけた「寺内貫太郎一家」もいろんな形で復活させようとしていた。
 しかし久世光彦は「向田邦子の盟友」で収まるタマではありません。これだけテレビドラマの枠組みと真剣に対峙した人はいない、と言い切れる。
 「そもそもテレビドラマとは何なんだ。何をやったらテレビドラマではなくなるのか、どこまでならテレビドラマとして成立するのか」みたいなね。いやもっといえば「テレビ番組の枠組み」さえも見極めようとしていたと思うわけです。
 それはすでに名演出家の名声を確立しながら志願して「8時だョ!全員集合」の演出を手がけたり、VTRが当たり前の時代にあえて生ドラマをやってみたり、コントの流れのままシリアスなシーンに突入してみたり、久世光彦のチャレンジは枚挙暇がありません。
 
 キャスティングにかんしても久世光彦は「いくらなんでもムチャクチャすぎる」みたいなことも平気でやった。
 あれは1994年のことだったか。当時の友人がね、久世光彦が所属していた、というか久世光彦がTBSを退社して立ち上げた制作事務所「KANOX」に電話したことがあるらしい。
 そうは言っても別にその友人はKANOXの関係者というわけではない。ただの久世光彦ファンに過ぎなかった。
 そのわりには、ま、ただのファンへの対してにしてはってことですが、良い応対をしてもらえたらしく、久世光彦本人ではなかったものの結構いろんな話をしてもらえたらしい。
 その友人が「何か新作ドラマは作らないですか?」と聞くと「作ってるわよ」と。しかしこの後のひと言が衝撃的だった、そうな。
 
「主役はハマコーよ」
 
 ハ、ハマコー!?あの、政治家のハマコー?
 
 浜田幸一、通称ハマコー。
 国会やバラエティ番組では暴言を吐きまくり、常に<悪党風>に振る舞った人物です。しかしその実、裏でフィクサー的人物とつながりがあるなど<マジモンの悪党>の要素を持ち合わせながら「道化としての悪党」を演じたことで裏の顔を隠す、というまことに巧妙な役者だったわけで。
 しかしこの場合の<役者>とは、どおくまんプロが言うところの「役者やのぉ」という意味であり、いくらバラエティ番組に出ようが芝居や演技を志したことはなかったわけです。
 
 ハマコーのそうした<役者>ぶりを見て、久世光彦は「これは芝居にも使える」と踏んだんだと思う。
 だから「久世光彦がハマコーを主役にドラマを撮る」というのは、違和感はありながらも一応の納得は出来たんです。
 (むしろ違和感があったのはTBS出身の久世光彦が準キー局のよみうりテレビでって方が大きかった)
 
 それでも、正式にハマコー主演ドラマ「お玉・幸造夫婦です」が発表されると大きな関心を呼んだ。
 妻役が八千草薫で、ハマコーは元関取役、というね、こんなことが許されるのは久世光彦の名声があればこそですが、久世光彦としても、仮にドラマが失敗しても「化学反応で何かまったく新しいものが芽吹いてくるかもしれない」という計算もあったんだと思う。そうでなければ、いくら「役者やのぉ」とは言えズブの素人のハマコーをいきなり主役で使うなんてあり得ません。
 制作発表時に大きな話題となった「お玉・幸造夫婦です」は、結果としては残念ながら成功したとは言い難いのですが(「お玉・幸造夫婦です」は視聴率も惨敗した)、それでも久世光彦のドラマというだけで絶大な信頼をしていたアタシには強烈な影響を与えた。
 
 ただね、このドラマが失敗した理由が「ハマコーに演技なんて出来なかったから」ではないってのは断言出来る。
 そもそもの話ですがアタシは<演技力>なんてものはわかりませんし、信用もしていません。
 なるほど、映画にしろドラマにしろあまたの作品を見てきた自信はある。しかし<中の人>でもない限り、<演技力>なんてものは計れないと思っているのです。
 そりゃあね、えと、某ダンスグループのひとりとか、あれくらいわかりやすければさすがに判断がつきますよ。でもそんなの例外もいいところです。
 
 だいたい、それこそズブの素人でも演技力が云々と言いたがる人が多いけど、そのほとんどはただバイアスにまみれたものです。
 それこそ小劇団出身者は演技が上手いとか、アイドルなんか下手に決まってるとか、ただのイメージでしか語っていない。「小劇団に上手い役者はいくらでもいるのにアイドルなんか使うな!」とか言いたがるわりには、では小劇団を観たことがあるのかというと、ほとんどなかったりする。
 芝居ってのは向き不向きがあるのです。劇場出身者がテレビに出るとどうしても大仰な演技になりやすいし、テレビ出身者が演劇に出るとボソボソやってる感じになる。テレビと演劇ではリアリティの表現方法が違う以上、どうしても向き不向きが出てしまう。
 つまり両者は「まったく性質の違うもの」なのです。
 
 いろんなメディアがある中でテレビ、とくにテレビドラマってのはかなり特殊なんですよ。
 映画と比べても、テレビドラマは予算も時間も役者も限られた中で作らなくてはいけない。実際、初期のテレビドラマは<映画のサブセット>でしかなかった。
 そこに風穴を開けたのが久世光彦でした。
 アタシはね、久世光彦がハマコーを起用すると決めたのは、久世光彦にはそもそも映画のサブセットではない、テレビドラマの特色を作り出すにはどうすれば良いのか、そこを徹底的に突き詰めたからこそ、大胆きわまる「素人を主演格で使う」という発想が生まれたんだと思う。
 
 仮にズブの素人でも、使い方によってはどんな名優にも出せない存在感だったり空気が出せる。
 そう信じているのはアタシがずっと久世光彦のドラマを見てきたからなんです。
 ハマコーは失敗だったとしても、小林亜星なんか成功どころじゃないですもん。当たり前だけど小林亜星はただの作曲家でしかなく(って書くと誤解されそうだけど、もちろん非常に優秀な作曲家です)、もうそんなイメージすらなくなったけど「寺内貫太郎」の前はロン毛だったんですからね。つかあまりにも「寺内貫太郎」のイメージが強すぎたのか、以後ずっと坊主頭で通した小林亜星もすごいわ。
 
 「お玉・幸造夫婦です」はあまりにもハマコーのイメージが強いけど、実はもうひとり意外なキャスティングをしています。すでにヒット曲もあった演歌歌手の藤あや子で、こちらも主演格で出演している。
 如何にも、な人を如何にも、な役に当てはめる。それはそれで必要なことだし、それ自体は久世光彦だってやっている。しかし配役すべてがそれじゃつまんないし、ただ良く出来ただけのドラマになってしまってエンターテイメントとしての「フック」がない。
 まさかハマコーが!?とか藤あや子がドラマに出るんだって!みたいなね、一見奇異にしか思えない、ただの話題作りにしか見えないキャスティングから「久世光彦の考えるテレビドラマの特色」が透けて見えるのです。
 アタシなりに解釈すれば
 
テレビドラマとはある種の見世物である。
たまたま文明の利器で電波を通して日本中で見られるだけで、やってることは辻芝居とおんなじじゃねーか。

 
 辻芝居なら一座の役者だけでやってもつまらない。小さい役でいいからその辺にいるオッサンとかを取っ捕まえて出した方が面白いし、無理に決まってるけど殿様が出てくれるならもっと面白いことが出来る。
 そうした発想がハマコーや小林亜星の起用に繋がったと。もちろん推測ですがね。
 
 冒頭に夏井いつきって人がドラマもイケるんじゃないかと書きましたが、あの人、役者や芸人、そしてあまたの文化人とはちょっと違う空気感があるんですよ。そういう人がドラマの中にいるだけで良い違和感が出る。もちろん何らかの化学反応も期待出来るんじゃないかと。
 たぶんね、夏井いつきは芝居なんか出来ないだろうし、出来なくていい。つかむしろ出来た方が使いづらい。
 辻芝居なんだから、出来る人出来ない人の混成チームの方が面白い。出来ない人をどういうふうに見せるのか、というかどうやって最大限の活用をするか、そこが一番面白い。
 
 これはストーリーを楽しむフィクションとはまったく別物です。もちろん久世光彦自身も完全にストーリー中心の、つまりは<映画のサブセット>的なテレビドラマもやったけど、テレビってもんの本質を考えたら、むしろ辻芝居的なものが本流だと思っていたはずです。
 山田洋次も似たようなことを言っていて、映画と違ってテレビドラマは撮影日数もまるで違うし、本当に煮詰めたものなんか出来るわけがない。それよりもどう現場でワイワイ言いながらやれるかが重要じゃないかと。
 
 要するにテレビドラマは<映画のサブセット>ではなく「別腹」の方が望ましい、というような意味でしょう。
 完成度の高いテレビドラマ、という時点でもう矛盾がある。そこまで完成度を求めるなら撮影日数や予算諸々で余裕のある映画でやる方がいいに決まってる。
 かなり前の朝ドラ「つばさ」は「寺内貫太郎一家」を手本にすると公言し作られましたが、案の定まったく面白くなかった。だって「寺内貫太郎一家」の値打ちは唐突なギャグや向田邦子の脚本じゃないもん。あの見世物感覚にあるんだから。んなもん表面だけ真似たって上手くいくわけがないのです。
 
 完成度ではなく、息づかいのわかる見世物。なんだこれ、と思いながらも、ついつい目がいってしまうもの。せっかく久世光彦っていう先人がそこまで突き詰めてくれたんだから、もうちょっとそこに乗っかる人が出てきても良さそうなもんなのにねぇ。

たぶん誰も気づいてないから説明しておけば、このエントリタイトルは古川緑波原案の「見世物王国」のパロディ、というモジりです。
それはさておき、追記してありますが、久世光彦氏がなくなったのはどうにも悲しい。彼の知識と経験は間違いなくテレビ界の大きな財産だったのに。




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