変モダニズム
FirstUPDATE2017.10.12
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 今の時代、誰にでも「ふと頭に浮かんだワードを検索する」なんてことがあるはずです。
 検索たって正確なワード名を知りたいこともあれば、データ的なことを調べたくなる時もある。名前はわかるけど顔が思い出せないから画像検索、なんてことも普通です。(逆、つまり顔は浮かぶけど名前が・・・、という場合は調べるのが難しいけど)
 
 データじゃダメ、画像でも物足りない、こーゆー場合は動画っしょ、なんてことも結構あるんだけど、さすがにね、動画が見つかることは多くありません。
 実際に検索すれば、かなり昔のヤツから近々に放送されたものまで、テレビ番組の動画が相当数ヒットする。とはいえTVerなんかにあるのを除けば、いわゆるグレーなシロモノです。何だよいわゆるって。
 さすがにグレーなものに文句を言っちゃいけない。万が一お望みの動画が存在なんかしたら、素直にアップロード者に感謝・・・、ダメダメ!そんなことしてたら遠藤憲一が超絶恐ろしい顔で怒鳴りこんでくるぞ!!
 ・・・んな話をしたいんじゃない。ふと「あ、そーいや昔、何かの番組で小林聡美が踊り狂ってたことあったけど、あれ、あるのかな」なんて気になって。
 そしたら、まァ、見事にあるのね。それどころか一時期ネットで結構話題になったりもしたみたいで。
 おそらくリアルタイム以来ですよ。いやぁ、これは記憶していたのより凄いわ、と。
 
 「小林聡美が踊り狂ってた」だけではさすがに不親切すぎるので、もうちょっと丁寧に書きます。
 これ、特番かレギュラーなのかもわからないんだけど、とにかく1990年代後半に放送されたもので、関根勤と小林聡美が司会(進行役?トーク担当?)の番組でして、小林聡美がインドまでロケに行って小林聡美主演の超短編映画、ま、何しろ3分ほどだから映画ってほどでもないんだけど、とにかく「如何にもなインド映画のダンスシーン」をホンモノのインド映画のスタッフを使って小林聡美主演で再現した、と。
 あくまでバラエティ番組の域なので、番組では本番であるダンスシーンだけでなく、小林聡美が現地スタッフに挨拶したり、戸惑ったり、練習したり、本番が終わった後の感想を含めて前後もきっちり収めてあります。
 
 中でも白眉だったのが振付師がダンスの振り付けをする場面。別にこの番組だからというわけでもなく、インド映画のダンスシーンは振付師がその場のアドリブで付けていく、というのです。
 つまりアドリブで振りを考えて、数十名のダンサーに振り付けをするのですが、リハから本番までものの数十分しかない。ということは練習もたいして出来るわけではないので、絶対に「完成度の高いダンス」になりっこないわけです。
 しかし、その代わり、異様な迫力が生まれる。ものすごい生々しいダンス、とでもいうのか。かつてのMGMのシネミュージカルとはベクトルがまったく違う、完成はされていないけど生き生きとしたダンスシーンは、これはこれで極北だな、と。
 
 というか、もっとぶっちゃけていえば、ハリウッド謹製のシネミュージカルのダンスとインド映画のダンス、アタシの好みでいえばあきらかにインド映画の方です。
 ただしそれはあくまでベクトルの話。というのも、やはり、どうも、ダンスはともかく音楽がね、アタシの好みではない。
 音楽が好みではないダンスシーンなんて炭酸が抜けたコーラみたいなもので、あれほど音楽喜劇好きと吹聴しておきながら、ほとんどインド映画には関心がありませんでした。
 だから「ムトゥ 踊るマハラジャ」が流行った時も、以降も、インド映画を積極的に観た記憶がないのです。
 
 アタシにとって大人数によるダンスの醍醐味は「完成されすぎていない」ってのがあって。
 そりゃあ、見事に統制されたダンスはすごいとは思うけど、何というかマスゲームっぽいというか、とにかく肩が凝ってしまう。個々のダンスレベルもあまりにも高すぎると、芸術っぽくなりすぎてエンターテイメントの枠から逸脱するような気がするんですよ。
 そういや数年前に某高校の女子ダンス部が「ダンシングヒーロー」かなんかを踊って話題になったけど、アタシからすればあれでもやりすぎレベルなんです。
 ダンスに限らず歌もそうなんだけど、己の肉体を使うエンターテイメントは自己表現なんですよ。つまり異様に練習して統制が取れたダンスなんて、やればやるほど自己から離れていくわけで、だったら機械でいいじゃん、と思ってしまう。
 所詮人間がやるもんなんだから、一夜漬けくらいでちょうどいい。むしろ「お前、どう見ても踊れるタイプじゃないだろ」みたいな人がそれなりに練習して踊った方が感動するんですよ。
 
 絶対踊れないタイプの人が踊る。それって具体的にどんな人だろう、と。
 例えばデブが浮かびやすいけど、昨今踊れるデブなんて珍しくもない。というかいわゆるデブタレントとか、ウガンダから始まって、石塚やパパイヤ鈴木もだし、むしろ踊れる人の方が多いんじゃないか、みたいに思ってしまいます。
 そうじゃなくて、そもそも「踊るような気力なんかまったくない」人が踊ったら、みたいなね、体型ではなく精神面を重視すべきじゃないかと。
 とか考えてたら、ふと、新世界のオッサンが浮かんだ。
 わかります?新世界。大阪の、ほれ、通天閣があるところですよ。あそこで昼間っから酒をかっくらっているようなオッサンが、それもひとりじゃなくて大人数が突然一斉に踊りだしたら、それこそインド映画に負けない迫力が生まれるのではないか?と。
 
 もし仮にそんな映画を作るなら、主演は浜田雅功しかいない。
 つかマジで、何で浜田がもっと若いうちに新世界を走り回るような映画を作っておかなかったんだ、と。
 そういや昔、キムタクと浜田のダブル主演で「人生は上々だ」というドラマがありました。
 賛否両論を巻き起こすことにかけては名人級の遊川和彦の脚本だったのですが、ざっくりと内容を説明しておきます。
 とは書いてみたものの、大筋しか憶えていなかった。とにかく借金まみれの男(キムタク)と借金取りの男(浜田)に奇妙な友情が生まれる、みたいな話だったと思うけど、記憶ではたしか、途中で一気に年月が進む、みたいな展開があったはずです。
 んで、理由はまったく憶えてないけど、とにかくかつて借金取りだった男、つまり浜田がアル中になってる、みたいな感じだったと思う。
 この浜田の演技が抜群だった。爺さんが被るような帽子を被ってシケモクを吸いつつ、手を震わせながらワンカップを飲んでるっつー。
 
 このちょっと後くらいから「ハマダー」(下手したら説明しないとわからない時代か。ま、「アムラー」の捩りです)みたいに、やけにファッションで持ち上げられるようになりますが、小汚い格好で新世界で漂うように生きる人間、みたいなのを演じさせたら浜田の右に出る者はいないと思う。
 新世界はいろいろややこしい事情があるのに違いなく、あそこでロケをした映画は少ない。パッと思いつくものでいえば「王手」と「ビリケン」(どちらも阪本順治監督)くらいです。
 
 しかし、あそこで喜劇と呼べるようなね、そういうのを浜田主演で絶対に撮るべきだったとつくづく思うわけで。
 それも人情喜劇ではなくスラップスティック喜劇もしくは音楽喜劇。とにかく浜田が全編、新世界の街を走り回るような内容で。もし可能であれば、浜田が通天閣をよじ登るようなシーンがあれば最高です。
 けど、さすがに今の浜田の年齢でこーゆー内容の映画をやれってのは酷(こく)すぎる。CG&スタントマン使いまくりなら今でも可能かもしれないけど、スラップスティック喜劇でCGとかスタントマンを多用なんて絶対にやっちゃいけないことだからね。
 
 たしかに新世界はひと昔前までに比べたら、かなり「平穏」な場所には、なりました。そしてあそこほど「ギュッと詰まった感」があって、しかも強烈なシンボル(言うまでもなく通天閣)まである街は他にない。そこだけ取り出せばロケ地としては最高です。
 とりあえずややこしい事情は横っちょに置いといて、ああいう徹底的な土着的な場所(言うまでもないけど「新世界」という地名からもわかる通り、かつては最先端のモダンな街だった)で、スラップスティック喜劇だったり音楽喜劇を撮るってのは、アタシは「アリ」だと思っているのです。
 狭い街を舞台にして、そこで主人公が徹底的に暴れまわる。そういう映画はないわけではないけど、狭い街限定でストーリーが進むのであれば普通はセットでやります。
 それこそジャック・タチの「プレイタイム」とかね。三谷幸喜監督作品にはそういうのが多いような気がするし。
 
 でも、出来ることなら、やっぱりロケでやって欲しい。
 例えば新世界をね、もちろん通天閣を含めてセットで完全に再現して、とかも出来るか出来ないかで言えば出来るはずです。でもそれじゃあ、あの街が持つ独特の猥雑さが出ないような気がするんですよ。
 いやむしろ、セットでやる方がカネがかかるような気さえする。黒澤明は衣装に古物感を出すために時間をかけてボロくしていったそうですが、こういう手間暇かけたやり方の方が今の時代カネがかかるはずです。
 だから言って、そんなのCGで一発じゃん、とかやっちゃうと味気なくなってしまうし。
 
 だから出来ればロケでと思うけど、やっぱ、ややこしいよな、あそこは。
 それはわかっているんだけど、あの街で、ま、実際はもうちょっと範囲を広げてね、ジャンジャン横丁のあたりはもちろん、天王寺動物園や大阪市立美術館ら辺もロケ場所に加えて、そこで新世界でしか生きられないようなオッサンが踊りまくる。
 これこそ大阪でしか作れないスラップスティック喜劇、音楽喜劇になるような気がするんだけどなぁ。
 無気力なオッサンどもが「いろいろあった末に」クライマックスで踊りまくり、そしてまたいつもの無気力に戻っていく、みたいな。
 
 インド映画の話に戻るけど、そういや「Love in Tokyo」を日印合作でリメイクする話はどうなったんだろ。
 この「Love in Tokyo」って作品、元は1966年に制作されたインド映画なのですが、インド映画に基本興味のないアタシが唯一惹かれた作品で、というのもタイトルでもわかるように日本が舞台になっているんです。
 まだこの頃は、主に東宝でですが、ミュージカルシーンが入った映画が作られていた時代だけど、たぶん「Love in Tokyo」ほどちゃんとロケをやった邦画はないと思う。これはロケではないけどビアホールのシーンとか本当に良いし。
 それでも、これのリメイクは止めた方がいいと思う。
 アタシはインド映画を神聖視してないし、アタシが渇望するハチャメチャな音楽喜劇になるうるとは思うんだけど、何もリメイクする必要はないんじゃないの?と。だって「Love in Tokyo」は1966年東京っていう舞台背景が重要なわけで、少なくとも良く出来たおハナシではない。だったらエッセンスを抽出してオリジナルをやればいいのに、とね。
 
 それならまだ、さっき書いた新世界を舞台にしたヤツの方が可能性があると思う。
 となると主演はやっぱり浜田にやって欲しい。アタシが夢想したようなスラップスティックはもう無理かもしれないけど、そんな映画で芯が取れるような人なんて浜田以外いないもん。
 さっき、こんな映画は「大阪でしか作れない」と書いたけど、実は大阪的ではなく、当然東京的でもない、唯一無二の「新世界的映画」は浜田主演でなければ不可能だと思ってる次第でして。

もう2020年は過ぎちゃったけど、結局「LOVE IN TOKYO」のリメイク話は頓挫したってことでいいのかね。
つか本文にも書いたけど、リメイクなんか絶対止めた方がいいよ。




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