誰かが誰かを傷つける
FirstUPDATE2017.10.11
@Scribble #Scribble2017 #テレビ #笑い #芸能人 #メンタル 単ページ とんねるず ポリコレ 差別意識

とんねるずの特番がエラい文句を言われたみたいですが、時代によってモラルは変化するし、それはネットが存在する時代になったからってのは関係ない。文化が発展するというのはそういうことです。

つまりね、一部の団体が抗議して、それがモラルとしてダメになる。そういった流れは未来永劫変えられないんじゃないかとね。
しかし今回の騒ぎは相当酷い。つかこれがダメなら、あ、「これ」ってのはホモネタってことじゃなくね、こういう流れでダメになるのなら、テレビにおける「笑い」なんて成立しないと思うんですよ。
もう当たり前すぎる話ですが、「笑い」というのは誰かを傷つけることによって成り立っている。はっきり言います。誰も傷つかない笑いなんか存在しないのです。
もちろんテクニックとして、最後に自虐的な感じにしてオトす、というのもあるけど、それでも、やっぱり、誰かを傷つけている。

別に笑いの歴史を語ろうなんて気はないのですが、昔は与太郎のような「アタマに問題がある」人を笑いものにしていたし、昨今の「あるあるネタ」ですら、受け取り側に「自分はこんなことしない」という見下しの気持ちがないと成立しない。
笑いの基本は「差別」なのです。「こんな馬鹿がいますよ」でも「自分はこれだけ馬鹿なんですよ」でもいい。いや馬鹿の箇所にオカマが入ったり、育ちが入ったりもする。でもそれで笑いは成り立ってきたのです。

本当に誰も傷つけてない笑い、なんてあるとでも思っているのか。今回クレームを入れた人たちも、自分に関係ある話だから怒ったりしただけで、結局自分とは関係ない、自分たちが傷つかない笑いで笑ったりしてないはずがない。
こういう笑いをやったから一部の人が傷ついた。だから止める。じゃあ他の笑いをやったら別の一部の人が傷ついた。ならそれも止める。こんなことを繰り返していったら、笑いは消滅します。確実に。

くだらない話をしましょう。
ずいぶん昔の話です。アタシは当時付き合っていた女性と東京タワーに行ったことがありました。
んで、しばらくしてその子にフラれた。それも結構こっ酷いフラれ方で、相当のダメージを受けたわけです。
しばらくはね、もう東京タワーがテレビに映るのさえ辛かった。なんで東京タワーなんか映すんだよ!と怒りすら湧いてきたくらいです。んでそのうち東京の街並みが映るだけで辛くなってきた。
アタシは東京の実景がテレビに映るだけで、チャンネルを変えた。とてもじゃないけど、まともに見ていられない、と。

だからといって、テレビ局に文句を言うなんて考えたこともなかった。東京がテレビに出てくるだけで傷をえぐられている、それは事実かもしれないけど、んなもん、しょうがないよ。自衛手段取るしかないじゃん。当たり前の話です。
当たり前の話なんだけど、拡大解釈をすれば「誰かを傷つけている」ということになる。笑いなんてもっと極端に、わかりやすい形で誰かを傷つける。

前に「うつ」の人の話を書いたけど、その人のうつが発症した原因がDVなので、ほんの少しでも暴力の影があるとテレビを消すレベルでした。
うつは病気なので、これなんか完全に「テレビ番組によって病気の人を傷つけた」と言えてしまう。
しかしアタシは「ひとりでも傷つく人がいるものとか、テレビから消し去ってしまえ」なんてまったく思わない。うつがどれだけ苦しいのかはわかってるつもりだけど、かわいそうだけど、もうしばらくテレビは見ない方がいいね、と言うだけでした。

つかさ、もっと根本的な話だけど、今の時代、テレビなんて単なる一メディアに過ぎないわけですよ。なのにいつまで経ってもテレビのことだけ騒ぎ過ぎのような気がする。
某雑誌なんて「女優・アイドルの名器ランキング」なんていう妄想爆発の記事を載っけてるじゃないですか。もちろんホモやゲイを揶揄した記事もいっぱい載ってる。ネットなんかさらに酷い。

そーゆーのには抗議しないの?
何で?その辺がよくわからない
テレビは子供が見るから?
じゃあネットは子供は見ないの?

とんねるずのやつだって、あれは単に「懐かしさ」のためにキャラクターを再登場させただけでしょ?つまり始めから子供なんか相手にしていない。
何か「懐かしいと思う感情が信じられない」なんて人もいるみたいだけど、懐かしいっていう感情までコントロールしようとするのかね。そっちの方がよほど傲慢だと思うけど。

アタシはね、たとえばものすごい差別で笑ってる人にたいして何にも思わないですよ。それでは自分は笑えないな、と思うだけで、別に止めさせようとも思わない。自分の知らないところで勝手に笑ってる分には何の問題もない。
これ、差別がどうとかっていうことでもないと思うわけでね、はっきりいえば前も書いたけど「自分にとって気に入らないものを世の中から排除しよう」って思考なんですよ。
アタシには差別に満ちた世の中よりそっちの方がよっぽどコワい。差別があるから排除しようとしてるんだ、と強弁する人がいるかもしれないけど、差別をなくそうとしている人が排除しようとしてるんだから説得力がない。

いやもうマジで「モラルフィルタリング」をやるべきですよ。自分にとって不快に感じられるものは絶対にメディアという形では入ってこない。そうしないと本当に世の中から笑いが消えるもん。笑いだけじゃなくて音楽や映画といった娯楽が消えてしまう。「自分が気に入らないものを世の中から排除しよう」という連中に消し去られてしまう。
それなら仮に自分が差別される立場でも、差別満載の世の中の方がいいや。それは差別される側の辛さをわかってないからだ、と言われるかもしれないけど、どのみち排除されるのなら一緒でしょ。

最後にとんねるずの特番の内容について書いておきます。
タモリ(と鶴瓶)とたけしのパートは面白かったけど、みやぞんのパートはいらないよなぁ。つかあれがいつもの(つか最近の)「みなさん」なんだけど、30周年でやることでもないんじゃないの?個人的には久しぶりにコントをやって欲しかったんだけどねぇ。
しかし鶴瓶が語っていたように、あの番組はとんねるずのふたりが「面白そうなことを思いつきでやる」番組だから、ま、家に行くヤツはやりたかったんだろうし、コントはやりたくないってことなんだろうから、もうどうしようもないんだけどね。

あと石橋、最初のウキウキウォッチングの時、ぜんぜん声出てなかったな。もう歌うのはしんどいかもねぇ。







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