映画監督ではなく
FirstUPDATE2017.6.25
@Scribble #Scribble2017 #笑い #芸能人 #テレビ 単ページ バラエティ番組 ディレクター 萩本欽一 ビートたけし 小林信彦

かつて、コメディアンが主戦場を映画にする、というのが夢だった時代がありました。

これは今でも変わりませんが、ほとんどのコメディアンや芸人のスタートは舞台です。そして売れたからといって全員が全員舞台を捨てるわけではないのですが、映画やテレビといったパイの大きいメディアへの進出は出世街道だ、くらいは言えるとは思うんです。
まだテレビがない頃、主演映画を撮るのを目標にしていた人はいっぱいいたと思うし、「重要な脇役」に収まることを最終目標にしていた人もいた。「おかしな男・渥美清」の中で著者の小林信彦に渥美清ははっきりそう宣言しているくらいです。

しかしそうした目標が成り立ったというか、コメディアンや芸人の最終目標が映画スターだったのは渥美清の世代くらいまでです。
アメリカでウッディ・アレンという人が登場して以降だと思いますが、この辺から流れが変わりました。
ウッディ・アレンは映画は映画でも非常に裏方志向が強く、自身が主演を務めない、また喜劇でもない作品を撮ることで花が開いた人です。

これの日本版がビートたけしで、喜劇はほとんど作らず、そして自分が主演でない映画も作ってきた。さらに同じルートに乗るべく松本人志も映画に進出した。(ま、現段階では失敗だけど)
しかしね、正直彼らが何故映画にこだわるのか、わかるようでわからないんです。
ビートたけしも松本人志も、映画界で育ってきた人ではありませんから、少なくとも島耕二や佐分利信とは違う。映画に出演した経験はあるし、見る側として映画を好きだったのかもしれないけど、彼らは誰がなんといおうがテレビ界で育った人なんですよ。
つまりテレビで育った人が映画にこだわるってのは、何か、どうも、違和感があるというか。

一応理由付けはできるんですよ。例えば昨今吉本が映画製作に積極的になってるのもそうなんだろうけど、テレビっては不自由なのは間違いないんだろうなと。つまりテレビではあまりにもややこしい「絡み」が多すぎて、やりたいことができない。
しかし映画なら、上手く言えないけど、顔色を見る必要が少ないというか、わりと自分たちでいろんなことをコントロールできる、だから映画だとね。

それはわかるんだけど、それは芸能事務所って観点の話であって、当のタレントはどう思ってるんだろうなと。
アタシが言いたいのは、何でテレビの裏方志向の人間が出てこないのかってことなんです。
なるほど、たしかにコメディアンや芸人から放送作家に転身した人はいます。バラエティ番組に限らず、バカリズムなんかは「黒い十人の女」というドラマで脚本すら書いている。
でもそうじゃなくて、テレビバラエティの「演出」をね、タレントの余儀ではなく本格的にやろうとする人が何でいないんだろうかと。

これも過去にまったくいなかったわけではありません。
萩本欽一は昔「日曜9時は遊び座です」という番組を手がけていました。これは後年話題に上ることは少ないんだけど、欽ちゃん本人は出演せず完全に裏方に徹し、肩書きはプロデューサーでしたが演出にも深くかかわっていたはずです。
ところが視聴率が悪く、結局途中から欽ちゃんも出演するようになった。正確には出演せざるを得ない状況になったというべきか。

おそらくこの頃まで、萩本欽一は自分の未来像として「自分は出演せず、完全に裏方に徹してプロデューサーや演出に回りたい」という意向があったんじゃないかと。
さらにその昔には、萩本欽一も映画に進出を試みて、しかし上手くいかなかった。にもかかわらず、この番組から数年後に再度映画へチャレンジしている。(これも上手くいかなかったけど)
欽ちゃんといえば、日本で初めてコメディアン自らが作・演出・主演を兼ねた番組作りをやった人です。いわばパイオニアなのですが、そんな人でさえテレビ番組の裏方に徹するというやり方を早々に諦めざるを得なかったってのは興味深い。

それこそね、本人は一切出演しない、ビートたけし演出の番組や松本人志演出の番組なんかがあれば、これは相当気になりますよ。いや、主演兼演出ではそこまで興味を惹かないけど、演出だけに徹するのであれば、これは見てみたいと思う。
何しろ経験値が違う。どうやったら面白い番組になるか、そのノウハウはそこら辺のテレビ局の一職員とは比べものにならないと思うんです。

そんな彼らが自身の演者としての力に頼らない、逆にいうならやりたいことを可能にするだけのキャストや作家を集結させて、自らの演出で番組を作る。こんなの興味をそそらないわけないじゃないですか。
でもやらないね。つかやれないのか。いやもう、たけしや松本で無理なら、誰でも無理ってことになってしまうんだけど、本人たちの意思はともかく一回くらいは後世のためにやるべきなんじゃないかと。

というか、映画監督なんかよりテレビディレクターの方が絶対に本領を発揮できるんでないの?と。
たけしはまァ、映画で結果が出ているからいいけど、松本はそうじゃないんだから「台本」とか「企画」ではなく「演出」を手掛けて欲しい。一度でもいいから。
そしてそれが成功したなら、いろいろ変わっていくと思う。

渥美清の時代の最終目標が「映画での重要な脇役」ならば、これからはもしかしたら「テレビディレクター」になる可能性すらあると思うんだけどね。







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