アクション喜劇と音楽喜劇は根本からして違う
FirstUPDATE2017.6.22
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何だか恐ろしく当たり前のことを声高に主張してるみたいですが、まァ読んでいただければわかっていただけると。

喜劇、という範疇は実は狭くて、いや狭いっていったら語弊があるか。つまり純喜劇というようなものは意外とないんです。
これではわかりづらいですが、要するに他のジャンルと組み合わせた時にも威力を発揮する。つか喜劇はこのマッシュアップ力があったから生き延びたともいえると思うんです。
今でも途切れることなく作られ続けているものに「恋愛喜劇」というものがあります。ま、ラブコメディでもロマンチックコメディでもいいんだけど、単なる恋愛モノではなく、軽妙な笑いを織り込むことで深刻さを回避し間口を広げる効果を上げています。

というか、喜劇は必ずしも笑いが必要ではない。というのは以前書いたけど、軽い空気感にするために喜劇のテンポや雰囲気「だけ」を取り入れるってのは常套化しています。
ま、そーゆードラマだったり映画だったりは「お笑いオタク」には評判が悪いんだけどね。何しろ喜劇やコメディと謳いながらギャグが入ってないんだから。
アタシも旧yabuniramiJAPANの頃は、ギャグ皆無の雰囲気だけ喜劇を糾弾、糾弾はオーバーか、とにかくよろしくないみたいな書き方をしたけど、ま、今となってはどうでもいい。ちゃんと受け入れられてるんだったら、それはそれでアリかもな、と。
というか植木等映画も一部の作品はギャグ皆無の雰囲気だけ喜劇だかんね。それ否定し出すと完全にブーメランになるっつー。

この「組み合わされた時にも威力を発揮する」という喜劇の特性から、恋愛モノだけじゃなしに実にいろんなジャンルと組み合わされた。
アクションと組み合わせればアクション喜劇だし、ホラーならホラー喜劇になる。つか基本何とでも組み合わせが出来るわけで、悲劇と組み合わせて「悲喜劇」なんてのもあるくらいだからね。
注意点があるとするなら、これらはアクション喜劇ならアクションが、恋愛喜劇なら恋愛が主であり、喜劇は従である、ということです。

唯一の例外が音楽喜劇で、音楽喜劇のみ「音楽」と「喜劇」の比重が1:1になる。つまり対等。他のマッシュアップ喜劇よりギャグが増やせるのは当然として、設定自体もわりと何でもアリでも大丈夫になるのです。
極端な話、フィクションという大前提をひっくり返すようなアクロバティックなものでもイケる。「第四の壁」を破るようなもの(ほれ、古畑任三郎が視聴者に語りかけてたヤツですよ)も、余裕でアリです。「第四の壁」は他のジャンルならかなり慎重に扱わないといけないのですが、音楽喜劇なら相当大胆にやっても問題ない。何しろ1934年製作の「エノケンの青春酔虎伝」の時点でさえ「観客に語りかける」という「ギャグ」をやってるくらいだから。

ところが音楽喜劇以外はそうはいかない。
今回はとくにアクション喜劇をターゲットにしますが、アクションであるからには「スリリングさ」や「緊張感」が絶対に必要です。
極端な例を出しましょう。
男性ふたりが戦っているシーンがあったとします。ひとりがもうひとりの腕を切り落とした。ところが何故か腕が生えてきた。もし生身の人間でこういうことがあると、これはもうアクションとはいえない。何故なら腕だろうが首だろうが、斬り落とされて平気になってしまうと緊張感がまるでなくなるからです。

だけれどもアクションと銘打たない喜劇なら、これはこれでアリなんですよ。緊張感はないかもしれないけど、腕が無限に生えてくる、というギャグになるからです。
しかしアクション喜劇としては失格で、今後どんな展開になっても「所詮何でもアリなんでしょ」となって、どうやっても緊張感が生まれないわけで。
これは喜劇とマッシュアップされていない純アクションにもいえることだと思うけど、最低限はこのくらいのルールは守って欲しいと思っている。

・生身の人間であるからには、いくら強い、無敵でも、死と隣り合わせくらいは匂わせて欲しい
・生身の人間であるからには、身体のパーツが切断されてもパーツが蘇生してはいけない
・生身の人間であるからには、空を飛んではいけない

当たり前すぎることばかりですが、これらのルールを守らないと、作り手がいくら純アクションのつもりで作っても喜劇にしかならないと思うんです。
もちろん笑ってもらう(笑われる)こと前提のC級アクション(○○対△△みたいなタイトルの、日本で劇場公開されないインチキ極まる超低予算映画のことね)なんかは、いくらアクションと銘打っていても、もう惹句っつーか記されたジャンル自体がギャグだから問題ないけど、本気でカネをかけて、超大作のつもりで作ったりなんかしたら、映画秘宝で特集されることを覚悟しなきゃね。

ただ、アクション喜劇のオチとしてなら、これらのお約束を破るのもアリです。
クレージーキャッツ主演映画「大冒険」でね、これ一応アクション喜劇として公開されたんだけど、植木等演じる主人公がいろいろ危険な目にあうんです。んでいろいろあってハッピーエンドになるわけだけど、ま、常識的な終わり方で、たいしたオチもない。
でもさ、もしラストシーンで植木等が空を飛んでたら面白かったのになぁ、と。もう観客全員が「飛べるんかい!!」とツッコむっつー。今まで高いところから落ちかけていたりしたのは何だったんだ、みたいなね。

でも許されるのは、あくまでオチだけです。お約束っつーのは「基本的には守る」からお約束であって、お約束を無視し続けたら映画として成立しません。つまりいくら喜劇がマッシュアップされても、すべて他のジャンルの手のひらの中でしか活用できない。
そういう意味でも、何でもアリの音楽喜劇は必要だと思うんだけどなぁ。

実は純喜劇よりも自由度が高いのが音楽喜劇だと思うし(純喜劇は純喜劇で、純喜劇とは名ばかりの「ドラマ」とマッシュアップされてるものが大半だし)、たとえば「コイツ、途中で死んだはずなのに、なに当たり前のようにフィナーレで歌ってるんだよ」みたいなのが成立するのは音楽喜劇だけなんだからね。







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