フィクションの様式美
FirstUPDATE2017.5.16
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ロンドンというのはアタシにとって極めて大切な場所ですから、ロンドンが舞台となったフィクション、というだけで心惹かれます。

その中に「けいおん!」の劇場版があった。何故だかはぜんぜんわからないけど、とにかく劇場版の舞台がロンドンだという。そしてマニアがわざわざロンドンまで聖地巡礼に訪れていた、みたいな話も以前書きました。
はっきりいってこの手のアニメはまったく見ないんだけど、ま、ロンドンが舞台なら、と一応見ようとはしたんですよ。
でも無理だった。さすがに、これは、いくらなんでも、と。
といっても「キモい」とか、そういう話じゃないんです。上手くいえないんだけど、これは入っていけないわ、と。

あんまり詳しくは知らないけど(何たって途中で見るのを止めたんだから)、主人公たちは女子高生という設定です。ところが現実の女子高生とは一切何の関係もない、架空の存在なんですよ。
そりゃフィクションなんだから架空なのは当たり前だけど、もうこのアニメの中にしか存在しない、あまりにも現実の女子高生とかけ離れた存在というか。
もう最初の会話の時点で無理だった。こんな会話っつーか話し方をする女子高生なんか絶対いないと言い切れるレベルで、しかもかけ離れ方というか「この世界でしか通用しない」という法則みたいなのが強すぎて、物語に入り込む隙がまったくないんです。
と書けばファンにお叱りを受けそうだけど、アタシは馬鹿にする気持ちはぜんぜんない。ちゃんとマーケットを作って成功しているんだから、馬鹿にする理由もないというか。
でもこれって、もう歌舞伎とか能とかとおんなじだなぁと。

世の中には敷居が高い娯楽が結構あります。
ストーリーとかキャラクター以前に、まず世界観というか空気感に馴染めなければ、退屈を通り越して苦痛でしかない、みたいな。
歌舞伎や能、あと文楽はその代表みたいなもので、人によってはオペラや落語なんかもその域に入るはずです。

アタシはね、もうアニメってそういう域に来てると思うんですよ。
現実とは完全に断絶した、極めて様式美の強い世界。アニメもそこに足を踏み入れている。
これは良い悪いの話じゃないんです。でも強い様式美=敷居が高い=一般の人はなかなか手を出せない=極端に拒絶反応を持つ人が出てくる、くらいは言えるんじゃないかと。
言っても、そりゃ昨今のやつとはいろいろ違うとはいえ、アタシもアニメで育ってきた世代です。だから漫画絵が動いて、それに声優が声をアテる、なんてことに拒絶反応があるわけがありません。しかしそんな世代でさえ、今のアニメは敷居が高いと感じてしまう。

つか、まァアタシのような年齢ではなく、もっと若いね、それこそ妖怪ウォッチなんかで育った世代の人にとって、たとえば、えと、「けいおん!」はちょっと古いとして、最近のでいうと何があるのかね。「けものフレンズ」とかですか。まァざっくりとああいうタイプのアニメってどういうふうに見えるんだろうなと。アタシよりも敷居の高さは感じないのかもしれないけど、それでも皆無じゃないような。

つかもっとそもそもの話をすると、フィクション自体、それなりの敷居があるんです。
前も「フィクションの楽しみ方がわからない人が多い」みたいなことを書いたけど、ある程度の了解事が了解できないと、やっぱフィクションを楽しむのは無理だと思う。
例を挙げます。

男「悪いな。お前はいろいろ首を突っ込みすぎたんだよ」

女「や、やめて・・・、ギャー!!」

場面が変わって

男「ふぅ、手間取らせやがって・・・」

ま、大抵の人なら「あ、この女は男に殺されたんだ」とわかります。シーンとしてはなくても前後のシーンからそれくらいは読み取れる。
でもね、これも様式美の一種だと思うんです。もしフィクションから様式美を一切排除するなら、時間進行は完全リアルタイム、カメラワークもカット割りもなし、視点は常に主人公の目線、ということになってしまう。

ま、リアルか否かでいえばリアルなんだろうし、実験的にそういう作品を作るのはアリかもしれないけど、これでは物語のパターンが限られすぎてしまいます。
物語の多様性を出そうとすれば、「割愛」とか「ルーティーン(お約束)」が絶対に必要になってくる。「これは描かなくてもわかりますよね」というのを受取手が受諾する必要があるんです。
そして今の受取手はこの程度なら受諾してくれる、という信頼を作り手は持っている。だからこそ多様な物語が構築できるのです。

でも逆にいえば、フィクションの黎明期はそうはいかなかったっつーか、もっと全体的に馬鹿丁寧にやらないとついてこれなかったんじゃないかと。
ところがフシギなもので、実際は今でいうところの普通の(つまり特殊なセリフ廻しではない)芝居よりも、了解事の多い歌舞伎や能の方がはるかに古い芸能です。つか過去に遡れば遡るほど了解事の多い=敷居の高い=様式美の強い、というふうになっている。
時代が下れば下るほどリアリティ重視になり、様式美の強いものは下火っつーか、世間とは関係ないものになるのが常識だった、といっていいのかもしれません。

そういう意味ではアニメ(と一括りにするのは良くないんだけど。ま、ここでいうアニメとは「けものフレンズ」とか「ラブライブ」とか、ああいったものです)は、極めて強い様式美を持ちながら、一般まで浸透とはいってないかもしれないけど、商売として成功といえるくらいには成長した、といえるわけで、かなりの快挙なのかもしれません。
ま、つまりは今の時点で十分に「よくここまでこの産業を育てたな」ってレベルなんです。関係者もファンも胸をはっていいと思う。

だけれどもそれ以上は望んだらいけませんよ。様式美が強い以上、拒絶反応を持つ人が増えるのは当然だし、ましてや「この手のアニメにたいして、みんなが受け入れる」なんてことはあり得ない話なんだから。それは歌舞伎や能を見れば、よーくわかるはずなんだけどね。







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