アタシはね、ほとんど食べ物の好き嫌いがないんですよ。まったくじゃないよ。たとえばらっきょう。でも本当は食べようと思ったら食べられそうな味だと思っているんです。
なのに食べない。人に聞かれた時に「嫌いな食べ物はらっきょう」と答えられるためだけに、あえて食べない。ま、らっきょうが食べられなくて困るシチュエーションなんかないからね。
たしかに極端な好き嫌いではないんですが、積極的に食べようとは思わないものは存在します。それがフルーツ全般なんです。
フルーツが特別好きって人は珍しいかもしれないけど、フルーツがあんまり好きではないって人も珍しいと思う。しかも「全般」だからね。
とはいえ口にするのもおぞましいレベルのフルーツはない。一応食べようと思ったら食べられるし、お呼ばれになったら、ちゃんと美味しそうな感じで食べます。もちろん偽りですが。
もしフルーツ大好き!なんて人を「優・良・可・不可」で表して「優」だとするなら、アタシはフルーツってだけで「可」です。
ただ「可」の中でも多少の差がある。「可」をさらに細分化して、同じく優・良・可・不可で表すなら
◇ 優(買うまでもないけど、あったら食べる)
バナナ、イチゴ、みかん、マンゴー
◇ 良(あっても積極的に食べようとは思わない)
りんご、パイナップル、ぶどう、ラフランス、メロン(メチャクチャ美味しいヤツ)、ブルーベリー、桃、キウイ
◇ 可(食べられるけど、できれば食べたくない)
梨(ラフランス除く)、メロン(普通のヤツ)、はっさく(レモン・ライム除く柑橘系)
◇ 不可(お呼ばれなんかで、どうしてもって場合のみ食べる)
スイカ、柿、イチジク、ビワ
「優」にお子ちゃまが好きそうなバナナやイチゴが並んでるけど、お子ちゃま御用達のぶどうやスイカは入らないし、みかんは「優」なのにはっさくや夏みかん系は「可」。りんごは「良」で、りんごとほぼ同じ食感の梨が「可」、と、まァ、普通の人が見てもさっぱりわからないランク付けなんでしょうね。
つまりあんまり系統が見えてこないから理解できないんだろうなと。
スイカがあんまり好きではない、というと、ほぼ「瓜系が嫌いなんでしょ?」と言われます。
ところがメロンは美味いヤツ限定ながら「良」だし、フルーツ以外の瓜系、例えばズッキーニやゴーヤなんかむしろ好きなくらいです。
あと半分ネタ系ですが「カブトムシの味がするから?」ってのも言われた。もちろんカブトムシを食べたことはないけど、言わんとすることはわかる。
いや、スイカにかんしては「とくにここが嫌」ってのはないんです。というか満遍なく、全部に好きになる要素がないっつー。あのシャクシャクした食感も、水っぽくてはっきりしない味も。
残りの「不可」はね、理由ははっきりしてるんですよ。どれも「味」がね。あの独特の甘みが昔からダメで。とくに柿はね。
スイカで困るのは、夏になると振舞われる率がかなり高いことです。
今はそうじゃないけど、子供の頃なんか友達の家に遊びに行くと、友達のお母さんが「スイカが冷えてるのよ」と切ってくれる。もう、スイカが嫌いな子供なんかこの世にいない、みたいな自信満々の顔で。
たぶんこれが良くなかったと思うんですよ。
そういえば「ケンちゃん」シリーズだったかで(「ケンちゃん」シリーズの説明は面倒いからテキトーにググってくれ)、人参嫌いの子供に山盛りの生の人参を食べさせるってのがあったと思うけど、これは絶対に逆効果です。
あと「美味しんぼ」で○○嫌いの子供に山岡が「俺が本当に美味い○○を食わせてやる」とか言い出して、結局「え!?これが本当に○○!?メチャクチャ美味しい!」みたいなオチが多いけど、これもしちゃダメだと思う。
好き嫌いをなくそうと思えば「好きじゃない」となったら、以降一切食べささないことです。
それじゃ好き嫌いの多い子供になるって?いいんですよ。好き嫌いの多い「子供」であれば、何の問題もない。問題なのは好き嫌いの多い「大人」なわけでしょ?
トラウマレベルまでいっちゃうとね、大人になろうが絶対その料理(食材)を口にしないですよ。何度もいうように味覚ってのは超個人的なものなので、好き嫌いはあって然るべきなんです。それをいくら子供だからといって矯正(強制、か)しようとする方がおこがましい。
でもチャンスは与える。子供の頃は好きじゃなかったかもしれないけど、大人になって子供の頃に味わった味覚を忘れた頃に、じゃもう一回チャレンジしてみようか、と思えるように。
そういう意味ではウチの家はけして「矯正」はしなかった。好きじゃないとわかると無理矢理食べさせようとはしなかった。だから以前も書いたようにカレイの煮付けを大人になってチャレンジしようと思ったし、今では全然嫌いじゃなくなったしね。
これがもし「絶対に残さず食え!」なんてやり方だったら、間違いなくチャレンジもしてなかったんだろうなと。
ところがスイカの場合は外的要因が大きいですから。ウチでは出てこなくてもヨソで出てくる。ヨソだから「これ嫌い」ともいえず無理矢理食べる羽目になる。
やっぱ、そんなことが重なるとね、そりゃ大人になって再評価もできないわな。