技術至上主義ほどつまらんものはない
FirstUPDATE2017.4.25
@Scribble #Scribble2017 #クリエイティブ #音楽 単ページ 兵器 DTP 技術 とんねるずの生でダラダラいかせて!! ジョージ山本 ミックス

こないだ「芝居の巧拙なんて本当にわかるのか?」みたいなことを書いたけど、じゃあお前は巧拙を一切気にしないのか、と言われれば、少なくとも巧い下手で仕分けはしない、とだけは言えます。

たぶんアタシが技術的なことに興味を持たなくなったのは、昔のモノや出来事が好きだからなんですよね。
たとえばアタシは戦前のジャズや映画を好んで観たり聴いたりしますが、技術的な視点、なんてもんを持ち出すと、もう観てられない聴いてられないですよ。
音楽が一番わかりやすいけど、今のジャズミュージシャンと戦前のジャズミュージシャン、どっちが巧いかとなったら、これは問題にならないくらい今のジャズミュージシャンの方が巧い。最初の音を聴いただけでわかるくらいはっきり違います。

なのにアタシは今のジャズにはてんで興味がない。「巧けりゃ良いってモンじゃない」ということでもないんですよ。そうじゃなくて。
アタシはあんまり興味がないけど、歴史好きな人は多い。とくに戦国時代好きはかなり多く、アタシの本名もとある武将からつけられたくらい、父親も戦国時代が好きだった。
もし戦国時代の話にね、技術的なことを持ち出したら、こんなつまらないことはないんですよ。あんなもん、戦車の一台でもあればどの武将でも制圧できる。それを刀や槍や弓なんて、馬鹿馬鹿しい、とか。

技術的なことを持ち出すってことは、結局時代は考慮しないってことなんですよ。
昔のマイコン?あんな低性能なものの何が面白かったの?とか、これは以前も書いたけど、あんな程度のギャグで笑ってたなんて昔は程度が低い、とか。
そりゃね、昔より今の方が技術が上がっていて当然なんですよ。んなことは誰でもわかっている。わかった上で戦前の音楽を聴いたり、戦国絵巻を楽しんだりしている。
逆にいえば、技術的な観点でしかモノを見れないってのは、本当に可哀想だな、とすら思ってしまいます。

それに根本的な話だけど、最新の技術が詰まったモノが面白いつまらないはさておき、常に個人的興味を惹くかといえば、そんなことはあり得ない。
世間がアッという技術で作られていようが、そーゆーのには目を惹かれず、カビが生えたような技術のモノに魅せられたりもする。それが普通です。別にPSVRのゲームよりも30年以上のスーパーマリオブラザーズやテトリスの方が楽しいなんて、変だの馬鹿だのってことじゃないですから。
いや、本当はそれだけじゃないんです。
基本的に技術論ってのはつまらないんですよ。それはお前がその技術について知らないからだ、みたいに言われるかもしれませんが、そうじゃない。

アタシはDTPを生業にしていたので、当然Adobeのソフトのことはわかる。でも使い方TIPSみたいな話になると、まるで面白くない。
そういやアタシの知人のカメラマンがこんなことを言ってました。
同じプロのカメラマンでも、カメラの話をしたがる人と嫌がる人に分かれる、と。
カメラマンにとってカメラは商売道具です。しかし商売道具でありながら趣味として成立するほど「メカ」としての要素もある。
メカなんだから、最新機種はこんな機能が搭載されてて、みたいな興味の惹かれ方をする人が多いってはわかるんです。

でもそれは人としゃべることじゃないよねってことなんですよ。
「こういう機能があるから、こんな写真が撮れる」ってのと「こういう表現がしたいから、この機能があるカメラを使っている」というのは出発点からして違う。前者は手段と目的がグチャグチャです。

技術は人を豊かにします。それは誰が何といおうと間違いない。芝居でいえば役者の技術が高くなれば物語のバリエーションが増えるし、音楽も奏者の技術が上がれば演奏可能な楽曲は増える。当たり前です。
だからアタシは技術を否定しているんじゃない。技術によって表現の幅が広がるんだから否定するような話じゃないのです。しかし「そこ」にばっかり目がいくと、次第に「人間がやってることだから素晴らしい」というのが蔑ろになる気がするんですよ。
音楽なんか、そりゃ機械でリズムを取れば完璧なリズムが取れます。でも面白くはない。

あ、今しょーもないことを思い出した。
たしか「とんねるずの生でダラダラいかせて!」の中で、木梨と山本譲二(ジョージ山本名義だったかな)がCDを出したことがあってね。
んでその絡みの企画で、トラックを募集してたのです。申し込めば、木梨と山本譲二がアカペラで歌ったCD(だったかアナログレコードだったかは忘れた)を送ってくれて、それに合わせてトラックを作ってミックスする。完成したら再度応募するっていう。

当時アタシの周りの音楽仲間が応募して、ミックスを作ってみようと試みたんだけど、アカペラったって、基本譜面っつーかリズム無視で歌っているから、きっちりリズムを取ったトラックを作るとどんどんズレてくる。相当細かい微調整が必要で、あまりにも難しいから投げ出す人が続出しました。
「せめて一定のリズムで歌ってくれてたらなぁ」みな口々にそういってましたが、もし綺麗にリズムに沿って歌ってたら、木梨と山本譲二で歌う意味がなくなる。そもそもこの歌の企画自体完全なパロディだったし(木梨は北島三郎のメイクと扮装で歌ってたし)、ズレズレのリズムを含めての企画だったと思うから。

仕上がりとしての完璧は可能です。しかし作品としての完璧はあり得ない。仕上がりが完璧になった瞬間作品は完璧じゃなくなる。一縷の隙もない作品は、ある意味無味無臭になってしまって「つまらない=完璧ではない」になってしまうから。
技術の追求、それは「つまらなさの追求」というのは大仰か。だけれども逆もまた真なりで、つまらなくなるのは完遂した場合であって、技術の追求があるからこそ面白くなる、ともいえるんです。
戦前のジャズメンだって「自分たちは下手くそだから良い」なんて思ってたわけじゃないからね。やっぱ必死で技術を追求していたわけで。
要は「成熟しすぎると何でもつまらない」ってことですな。戦国時代は兵器も弱くて面白いけど、核戦争なんてボタンひとつなんだから面白くも何ともない、みたいなことです。

とすると、まだ第二次大戦まではギリギリ技術が成熟してなかったってことになるか。でも今は技術が成熟しちゃってる、だから戦争はダメだと。
うーん、こんな終わり方で良いのかね。







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