野球三大論争ネタ
FirstUPDATE2017.3.20
@Scribble #Scribble2017 #プロ野球2017年 単ページ 松井秀喜 野村克也 仰木彬 カットマン千葉くん 有藤通世 抗議

たぶん野球で三大論争ネタといえば

・松井5打席連続敬遠
・オールスターで投手イチロー、打者松井に代打高津
・カットマン千葉くん

この3つになるんでしょうか。もしくはカットマン千葉くんではなく、日本シリーズの山井8回まで完全試合ペース→岩瀬にスイッチ、か。
でもカットマン千葉くんにかんしては、あれは高野連と審判団が「あいまい」なまま何試合も事なかれで行ったことが問題なだけだし(サイン盗み疑惑はまた別)、山井の交代も、今となってはマメがつぶれていた、ということが発覚した以上、どっちも論争にすらならないと思うのですが。

松井の5打席連続敬遠にかんしては、是か非かでいえば、アタシは「非」です。
といっても、それは高校生らしくない、とか、そういった感情的なことじゃないんですよ。それよりも敬遠を指示した監督の「読みの甘さ」にかんして「非」なのです。
あんなことをやればね、そんなもん罵声を浴びるに決まってるんです。そりゃ甲子園に詰めかけた観客は松井の打席を楽しみに来てたんだろうから、罵声を浴びるのは当然です。
たぶんそれは監督も覚悟はしていたとは思うんです。自分が罵声を浴びようが選手に勝たせてやりたい、という覚悟は。
でもそんなん、絶対罵声の対象が選手にまで飛び火するに決まってる。監督だけ罵声を浴びて選手は無傷、はあり得ない。

事実、あの試合以降、まともに野球ができなくなった選手がいっぱいいた。もちろん松井の後を打った打者を含めて。
変な話ですが、たった一試合ですよ。たった一試合勝つために何人の野球人生をダメにしたんだって話でね。
本当にそこまで当時の監督が計算できていたのか、というと、それは絶対にないと言い切れる。この一試合に勝つためにその後の野球人生はボロボロになってもいい、と思える選手もいなかったと思うし。
これが延長につぐ延長で「この試合に勝つんだったら野球人生がどうなってもいい」みたいな感じだったら、そりゃ本望の選手もいたかもしれないけど、そうじゃないもんね。
とにかくこの監督は「日本人の気質」にかんして読みが浅すぎた。だからアタシは「非」なのです。

オールスターの松井に代打高津、はね、これまた当時のパ監督だった仰木彬の「読みの甘さ」があったことは否定できない。
というのも、セの監督が野村克也だったからです。
江川卓と掛布雅之の対談を一冊にまとめた「巨人ー阪神論」の中で、お互いをライバルと認め、何度も名勝負を繰り広げてきた江川と掛布はともに「野村さんならこういう勝負は認めなかっただろう」と語っているのは興味深い。

野村克也は極端なまでに「個対個」の対決に興味がない、もっといえば嫌がる監督です。もちろん自身が数々の記録を打ち立てる裏で、世間の関心が長嶋対村山や王対江夏に向いていたんだから、まあいえば屈折した感情もないとは言わないけど。
そんな野村だからこそ、如何にオールスターであれど「イチロー対松井」なんて対決は嫌がるに決まっている。それより「もし松井が怪我をしたら」「もし松井がイチローから打てなかったら」と考えるのは自然すぎるくらい自然なことです。
もし仰木さんに「向こうの監督は野村だから」というのがチラッとでもあれば、投手イチローはなかったと思う。そしたら松井も野村も余計な論争に巻き込まれることもなかったわけで。

最後。三大のうち、あとひとつが「カットマン千葉くん」でも「山井交代」でもなければ、もうこれしかない。

1988年10月19日、通称10.19のロッテ対近鉄戦での「有藤監督の猛抗議」でしょう。
たぶん巨人抜きの試合で、ここまで「試合前から」「全国的に」盛り上がった試合もなかったはずで(江夏の21球は試合前からじゃないし、1985年の阪神優勝もそういうイベント的試合はなかった)、それがまさかあんな結末になるとは誰が予想したでしょう。いわばこれは、映画でいえば「アンチクライマックス(クライマックスが存在しない)」ですよね。
9回裏の、有藤通世のあの抗議。正直リアルタイムで見ていた誰もがシラけたし、シラけ切った全国民の中、ただひとり熱くなってるのが「もう優勝も関係ない、ただの対戦相手の監督」なんだから、いくら有藤通世に言い分があったとしても、そりゃ非難されて当然です。実際あの抗議がなけりゃ、あと1イニングできたんだから。

さてこの三大論争ネタ、どれもルール的には何の問題もないんです。
松井の敬遠も、代打高津も、有藤の抗議も、そんなことをしちゃダメってルールブックのどこにも書いてない。
でもこれがスポーツの難しいところなんです。ルールとしてやっていいからって何をしてもいいのかっていうと、実は違う。
アタシは2004年のプロ野球再編騒動が起きた時に、正確には騒動が終結した後に総括する意味で、こんなことを書きました。

スポーツの世界というのは、政治よりもっといいかげんなものです。だって自分の都合のいいように、どんどんルールを変えられるんだから。だからといって、ルールさえ守っていればOKという世界じゃないのがややこしい。
スポーツの世界、とくにプロ野球の世界にはルールより大切なものがあります。
それは世論です。いくらルール上正しくても、世論を無視すればすべてがパーの世界なんです(2004年11月11日更新「ナベツネさん、まあだだよ」)


これらの三大論争にかんして、ルール的に正しいんだから何の問題もない、と考える人は議論のスタートラインにすら立っていない、と思う。
ルールとして正しいのは当たり前。そこに「世論」というヤツが絡む。それはプロ野球はもちろん高校野球であっても「人から見られることを前提として成り立っている」スポーツの基本線なんです。

世論に背けば反発は絶対にある。そしてその反発は「自分が受けるだけだから、自分さえ耐えればいい」という問題ではない。確実に、たいしてコトを決定することに関わってない人にまで飛び火する。
というか、それだけ考えても野球の監督なんてワリが合わなさすぎるわ。世間の目に晒されながら、ルールはもちろん、日本人の気質まで全部飲み込んだ上で様々なことを決定しなきゃいけないんだから。

もし自分が監督なら、とのたまう野球ファンは多いですが、あんたら本当にここまでのことに耐えられるんですかね。というか采配なんて枝葉も枝葉、瑣末すぎる仕事に過ぎないんだけど。







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