ブログのネタってのは不思議なものでして、書いてしばらくの間はアラがいっぱい見えるもので。
なんだこれ、こんなもん当然ボツだ!なんて思いがちなんですが、ところが書いてから2年以上「間」が開くと、結構いいじゃん。つかこれより酷いエントリとかいっぱいあるよ、というふうに思えてくる。
今回のネタはまさにそれです。つまり、大元はボツネタ。ただボツった元ネタはちょっと文章として短いので、かなり増補していますが。
さて、たぶん誰しも言われた経験があると思うのですが、もっとよく考えて行動しろ、みたいなね。思いつきでやるな、とか。
こういう話の場合、まず自分のことから始めるってのが筋ですが、アタシの場合でいえば、もう信じられないくらい、何も考えずに行動する人間です。
そもそもの話ですが、事前に何かを考えておいて、後で考え通りに実行する、なんてのが苦手かつ大嫌いなんです。
藤子不二雄Aの名作「まんが道」に「毒蛇は急がない」という言葉っつーか「ことわざ」が出てきます。そしてA先生は「明日できることを今日するな」なんてこともおっしゃっている。
これはまったく同意で、というか単にアタシがそうしかできないだけなんだけど、決断なんてギリギリのタイミングでするに限る、と思っている。人生を左右する大きな決断ならまだしも、どーでもいいことまで「前もって熟考して」なんて、何の意味もないと思ってるんです。
どーでもいい些細な行動に理由付けというか、もっとはっきりいえば屁理屈なんか考えてられないですよ。つか歩き出す度に「右足から踏み出すか、左足から踏み出すか、右から踏み出した場合、身体にかかる負担は」なんて考えてたら確実にアタマがオカシクなります。
自分の経験からすれば熟考した場合と、直感で決めた場合の成功率は、感覚的にはほとんど同じなんです。
いや、さっきも書いたように熟考すること自体が稀なんだけど、それでも妙に考えるだけの時間とタイミングを取ることが出来て、「うっかり」熟考してしまう、なんてことも皆無じゃない。
ではそういう「うっかり」熟考してしまった時、やっぱ熟考した甲斐があったな、なんて記憶はまったくないんです。むしろ「あんだけ考えに考えたのに、この結果かよ」みたいなことは山ほど浮かぶんですがね。
ま、アタシは極端な例かもしれないから、もう少し一般論で書いていきます。
熟考するってのは結局、成功の確率を上げるためにやるんじゃなくて、悔いを残さないため、といえるのかもしれないんじゃないかと。
とか書くと、実はお前熟考とかいっても所詮は熟考なんかしたくない人間なんだから、結局のところたいして考えてないだけだろ、といわれるかもしれませんが、ま、たぶん考えてないんでしょうね。別に反論する気もない。
だって未来なんか誰にもわからないんですよ。所詮はすべて予測でしかない。んで人間そこまで高確率で予想が当たるわけがない。いくらデータを揃えてもね。
いや、これはアタシに限った話じゃないでしょう。
本人的には熟考してるつもりでも、ほとんどの人間はたいして熟考とかしてないですよ。考えてるのは「失敗の仕方」だけ。失敗する方法なんかいくらでも思いつくからね。対策をたてたところで別に熟考とは関係ない。無難すぎるところに落ち着くだけで。
だからアタシ的には熟考を「悔いを残さないため」くらいしか意味を見い出せない。
じゃあ直感はどうなんだってことなんですが、だいたい物事を瞬時に決めると直感といわれますが、本当に直感って直感なんかね?と思ってしまう。
直感っていわれるものって、思考を巡らした後で思い返してみると、そこまで理不尽というか、思いつきっていわれるほどムチャクチャなもんじゃない場合が多いんですよ。たしかにさっきも書いた通り、失敗ポイントというか粗探しはできるのですが、ちゃんと成功のためにポイントをしっかり押さえてる場合が多い。いや、熟考したものより「失敗する確率は高いかもしれないけど、成功する確率も高い」と思うんです。
だったら最初から直感ってもんを信じて、その後で致命的な失敗ポイントだけを潰していけばいいじゃんと思ってしまう。
アタシが脳科学者でもなんでもないので間違ってるかもしれないけど、もしかしたら最高のアイデアは最初の瞬間にドバッとでてくるのかもしれないなと。つまり一瞬のうちに何時間何十時間の思考より頭が動いているんじゃないかと。
よく「人間は通常10%しか脳が動いていない」なんていわれます。たしかそんな映画があったような。
じゃ100%に近いほど脳が動くことはないのか、といえば、それが「直感」なんじゃないかね。あるいは「閃き」といっていいのかもしれない。
熟考なんて時間が長いだけで、たいして脳は動いてないんだから別段「よく考えている」ってことじゃないんじゃないか。
それより100%近く脳を動かして一瞬で答えを導きだす方がよほど「熟考」といえるんじゃないかと、ね。