イッツア、と言えば、ソニー、だけじゃない
FirstUPDATE2016.12.24
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 えと、2016年11月12日から2017年3月31日までの間、数寄屋橋交差点にあるソニービルで行われていた「It's a SONY展」にね、行ってきたって話から始めさせていただきます。

 アタシはソニー信者でもなんでもないけど、それでもソニーの製品は数多く使ってきました。よくソニータイマーなんて言われて、数年で時限爆弾のように壊れる、と言われますが、運が良いのかアタシの場合、ソニー製品は不思議と壊れない。今使っているソニー製品はテレビとPS3だけですが、テレビは2010年製なのに壊れたり画質が劣化することもなく、PS3にしてももうPS5が発売されているというのに、コントローラー以外、つまり本体には何の不具合もありません。
 だから世間で言われているような悪印象はまったくないのです。

 「It's a SONY展」は歴代のソニー製品を一挙展示してソニーの歴史を振り返る趣旨のイベントですが、実際観て感じたのは、もう、どれもこれも、初号機がダントツで面白いのです。
 「あ、こんなのあった!」とか「そうそう、これ、懐かしいなぁ」と思うのはすべて初号機で、逆にいえば代を経るごとにつまらなくなっていくし、アタシ的な思い入れもなくなっていく。しかもそれは自分が所有していたかどうかは一切関係ないのです。
 かつてのソニー製品もね、ネットでよく言われるような斬新さは、さほどないんです。でも「新しくて軽薄でモダン」と言える製品をいっぱい出していました。
 今は、どうでしょう。少なくともこのイベントでは2000年代以降のスペースが極端につまらなかったのは間違いない。しかも「最近だからつまらない」とは違う類いのつまらなさでした。

 もちろんかつてはそうではなかった。
 アタシが所有した中で、もっとも愚直に「もう、こんな製品を出すなんてソニーしかない」と思えたのが「EVーS1」だったんです。
 購入したのはたしか三宮の星電社だったと思う。高校3年生と言えばアタシが頻繁に星電社のマイコンフロアに通っていた頃で、しかも家族や親戚揃ってみな星電社を贔屓にしていましたからね。

 1987年のことです。大学の入試発表があり、アタシは無事合格することが出来た。
 入学祝いとして叔父にね、多少高くても構わないから好きなモノを買ってやる、と言われちゃ、そりゃ星電社でしょ、と。他に高そうなものが売ってる店とか知らなかったし。
 とにかく急に「おい、行こか」と言われたので、前もって何にしようか、と考える暇がなかった。
 普通なら、まァ当時淫していたマイコンということになるはずです。ただ、この頃すでに微妙にですが、マイコンから気持ちが離れつつあったんですよ。
 マイコン以外で、それなりに高額なモノ、とはいえ白物家電を買ってもらってもしょうがないし。

 これといったアイデアもないまま、星電社に着いた。
 とりあえずテレビは持ってました。ちなみにこのテレビもソニー製だったな。
 これはマイコンのモニタを買い換えた時に「どうせならチューナー付きのにするか」と。ま、家で使ってた時はアンテナを繋いでなかったけど、ひとり暮らしならこれで十分です。

 他、他はなぁ。何かあるかなぁ。

 ビデオデッキのコーナーに行ってみた。うん、ビデオかぁ。たしかにビデオデッキってのはアリで、ビデオ録画は習慣になっていたので、あれば便利この上ないのはわかってた。
 それでも、うーん、どうも、ビデオデッキってのは「あれば便利」だけど、イマイチ「所有欲」のようなものが満たされてないような気がしてね。せっかく「何でもいい」って言ってくれてるのに、ビデオデッキってどうなのよ?と。

 その時、異様に目を惹く製品が飛び込んできた。それがソニー製の「EVーS1」だったんです。
 まさに一目惚れってヤツです。これ!これしかない!!
 EVーS1の特徴と言えば、とにかくサイズが小さいことでした。検索の限りでは「21x28.1x7.2cm」ということなので、ほぼA4サイズ(当時の広告にも<雑誌サイズ>とある)。これはビデオデッキと考えるなら今でも小さい部類に属する。感覚的には今のSTB(セットトップボックス)くらいです。
 ただしメディアはVHSではなく8ミリビデオなる規格だった。8ミリビデオ?ああ、ビデオカメラ用のヤツか。そんなのもあったな、と。
 しかしこれは個人的にデメリットには思えませんでした。まだギリギリ、ビデオのソフトウェアの重要性が薄い頃で、ほとんどレンタルビデオ屋とかもなかったし。テレビ番組を録画する、という当時のアタシの使い方なら何の問題もなかったわけで。

 アタシはひとり暮らしを始める前の時点で、すでに家のビデオデッキは散々使っていました。もちろんVHSデッキです。
 だから3倍録画を含めてVHSの画質がどんなもんかは理解してたけど、それに比べて8ミリビデオ規格のEVーS1の画質は圧倒的に優っている気がしました。
 画質だけでなく音質も、当時のVHSって盛大なジッター音が載っていたのですが、8ミリビデオにはそれがまったくない。ソース自体(つまりはテレビ放送)が高音質ではなかったので「良い音」ではなかったけど、少なくとも「悪い音」(つーか汚い音)ではありませんでした。
 標準のSPモードだけでなく、長時間録画用のLPモードも優秀で、たしかに多少画質はアマくなるんだけど、「一応何が映っているかは判別出来る」VHS3倍録画とは比べものにならない。ま、LPモードは<2倍録画>なんだけど。

 結果的には何の活用も出来ませんでしたが、シンクロエディット機能やPCM録音機能など、当時としては突出した機能も組み込まれていた。
 何しろアタシは直前までマイコンなるものに淫していたわけですからね。マイコンなんて顕著だけど、すべての機能をフルで使いこなせるモノってのには夢を感じないんです。それより、まだこれだけ使ってないすごい機能が搭載されている!というのに夢を感じる。
 だからこそ、使わなかったとはいえ、所有欲を満たすことには十分すぎるくらい貢献していたわけでしてね。

 たぶん都合、5、6年は使ってたんじゃないかな。たしかにレンタルビデオに8ミリビデオはないけど、それは別途、安いVHSデッキを用意することで問題なくなったし、テレビ録画なら画質も音質も依然としてEVーS1に分があった。故障したこともあったけど、何故かタダ同然で修理出来たりしたし。
 そんなわけで幾多の番組をこれで録画したんだけど、ひとつだけ欠点がありました。といってもこの時点ではわからなかったことですが。
 ずっと後年、2000年代に入ってからの話です。
 昔録画した8ミリビデオテープか出てきたんで、ヤフオクかなんかで安価な8ミリビデオデッキ(もちろん中古)を購入してね、残存したテープを再生させてみたんだけど、ほとんど再生出来ない。ためしに、ともう一台買ってやってみたけど、やっぱりダメで。
 どうもね、8ミリビデオってのはテープの耐久性が低いらしいのです。そういう特性だからしかたがないとはいえ、これで貴重な思い出がほとんど消えた。
 ま、テレビ録画はしょうがないとして、希少な、あんな映像やこんな映像も8ミリビデオに残しておいたのに、当然全部オジャンです。

 でもしょうがないよなぁ。あの時代で、あれだけの画質と音質を、VHSよりはるかに狭いテープ幅で実現させていたんだもん。オーパーツとまでは言わないけど、そういう最先端の製品や規格ってのは往々にして「耐久性のなさ」という欠点があるしさ。
 それでも確実に、マイコンにも負けないような<夢>を見せてくれたってだけでEVーS1には価値があったと思う。たとえ、いろんな面で「脆かった」としてもです。

 ソニーの魅力、それはEVーS1でもわかるように「面白い製品を作る」ことにあります。
 どれだけ頑健でも、まんべんなく高性能でも、それはソニーの魅力にはつながらない。たとえ8ミリビデオテープに耐久性がなかろうが、たとえソニータイマーと言われようが、面白ければいいじゃん。
 もしかしたら故障が頻発するってのは「技術は高いクセにいい加減」と言えるのかもしれないけど、だからソニーなんだよ、と。
 それこそ、本来ビデオカメラ用であるはずの8ミリビデオという規格を使って据置機を作る、なんて誰でも思いつくかもしれないけど、本当に製品化するのはソニーくらいだよ、と。

 ソニーがそんな魅力に溢れていた時代から久しくなりましたが、ここまで登場したワード「新しい」「軽薄」「モダン」「高い技術力」「いい加減」が何故ソニーに当てはまるのか、というか何故ソニーがそんな「カラー」になったのかを考えてみたいと思いまして。
 ま、ここからは当然、古い話になります。そしてその「古い話」が本当に現今のソニーにつながっているのか、確固たる証拠は何もない。
 でも「奇妙な偶然の一致」くらいは言えるんじゃないかと思いましてね。

 戦前、具体的には1930年代の話です。
 当時、P.C.L.という会社がありました。P.C.L.とは写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory)の略で、設立当初は名前の通り、フィルムにかんしての研究をするための会社でした。
 同時にトーキー映画の研究を始め、録音に適した撮影所を開設しますが、これが軌道に乗らない。当初は日活(戦後に復活した日活とは違う)のトーキー部門を担う計画があったらしいのですが、おそらくは日活側の事情で頓挫している。
 サイレント映画が全盛の時代に、最先端のトーキー映画を撮影出来るスタジオを完備しておきながら、所詮は「写真化学研究所」なので映画製作のためのスタッフもいないしノウハウもない。さらに映画を一本こさえるだけの予算もなかったのです。

 とはいえスタジオを遊ばせておくわけにもいかず、映画製作のために「株式会社P.C.L.映画製作所」を設立し、スタッフならびに役者をかき集めることになります。
 一番の懸念材料である製作資金については、スポンサーを見つけ、一種の宣伝映画にすることで資金を調達し、P.C.L.映画として公開していくことになった。
 もともとがトーキー映画を研究するための会社ですので、他社では難しかった音楽喜劇を量産し、「新しくて軽薄でモダン」な作風で旧来の映画会社との差別化に成功します。
 これに目をつけたのが小林一三で、東宝がバックにつくことで経営が安定、やがてP.C.L.、J.O.スタヂオ、東宝映画配給が合併し東宝映画となります。(最終的には東宝本体と合併して東宝になる)
 つまり「シン・ゴジラ」を作ったあの東宝の前身(厳密には前身のひとつだけど)がP.C.L.なのです。

 もう少しこの話を続けます。
 音楽喜劇を得意としていたP.C.L.が、どうしても主演に迎えたい人材がいました。エノケンこと榎本健一です。
 細かい経緯は省きますが、とにかくエノケン主演第一作「エノケンの青春酔虎伝」がP.C.L.で作られることになった。
 この映画の製作風景について、エノケンはこんなことを書き残しています。

カメラが回って撮影が進み、何カットが(筆者注・ママ)撮り終えると、必ず、助監督が「お二階さん、どうですか。」と録音の具合を聞いた。すると、お医者のような録音技師が、顔を出して、その良否を返事するのだが、「ワンスモア」と気取った声で、もう一度やれと答えたりするのである。(中略)ところでその「ワンスモア」と気取った返事をしていたのは、誰あろう、今や世界のソニーといわれるところの社長(筆者注・1967年当時)井深大なのだから面白い。
(榎本健一著「喜劇こそわが命」)


 しかし井深大は映画製作にはまったく興味がなかったらしい。何がやりたかったかは、言うまでもありません。井深大のやりたかったこと=ソニーのやったこと、なんだから。
 先ほど書いたように、P.C.L.は東宝に吸収されましたが、旧P.C.L.の創業者によって1951年に同じ社名で再設立されます。
 井深大は若い時分、初代、そして二代目のP.C.L.の創業者のひとりである増谷麟に世話になったとされますが、その縁からか、二代目P.C.L.は1970年にソニーグループ入りし、現在ではソニーピーシーエルとしてテレビアニメの編集において業界最大手になっている、らしいです。この辺つーか最近のことはよくわからんのでWikipedia丸写し。
 要は今もバリバリ現存するってのを言いたいわけでして。

 データ的な話はここまで。
 面白いのが、「新しくて軽薄でモダン」、そして「いい加減」というP.C.L.カラーが、そっくりそのままソニーのカラーになっているのです。井深大が短期間P.C.L.に在籍していただけで、直接的なつながりは限りなく薄いんだけど、フシギなことにカラーだけは見事に受け継いでいる。
 どことなくソニーが東宝的なのは源流が一緒だから、と言えなくもない。ま、無理矢理っちゃ無理矢理ですが、それでも「It's a SONY展」を観に行ってね、肌合いが似てるなぁと感じたのも事実なわけで。

 「新しくて軽薄でモダン」だった頃のソニーが先鋭的な人から高く評価され、スティーブ・ジョブスをして「ソニーにだけはMacのライセンスを出していい」と言ったのは当然です。
 実はAppleもそういう会社で、「新しくて軽薄でモダン」な製品は得意中の得意な反面、ひとつのカテゴリの製品を煮詰めることが苦手で、Appleの製品は二世代目、三世代目が一番良かった、なんて言われるケースが多いですからね。

 さて、2021年4月に面白いニュースがありましたので、AV Watchの元記事を引用しておきます。

ソニーPCLは、(筆者注・2021年)4月から国内最大規模の撮影スタジオである「東宝スタジオ」(東京都世田谷区成城)内のステージ4に、8K/440型のソニー製Crystal LEDディスプレイシステムを期間限定で設置。大型LEDディスプレイを活用したバーチャルプロダクション手法と、制作ソリューションの研究開発を行なう。
 これにより、撮影スタジオを使用した、よりスケール感のある多角的なバーチャルプロダクション手法の研究開発と、同手法を活用したCM・ドラマ・映画などの映像制作が可能になる。
(AV Watch「ソニーPCL、440型Crystal LEDのバーチャル背景を東宝スタジオに」より。引用部クリックでリンク先へ飛びます)

 
 ここにきて、再び、ソニーピーシーエルが東宝と手を組むことになった。
 『東京都世田谷区成城』の『東宝スタジオ』というのはかつて「砧スタジオ」と呼ばれた、あの「トーキー映画を製作出来る」P.C.L.の撮影スタジオのその後の姿に他ありません。
 この展開はP.C.L.の映画に想いを寄せる人間からすればアツい。見事としかいいようがない形で「先祖返り」を果たしたんだから。

 そう考えると、P.C.L.が源流となって、ソニーと東宝というふたつの大企業が生まれたことになるし、Appleもまた、井深大→ソニーを経てP.C.L.カラーを受け継いだ会社といえるわけです。
 資本関係はまったくないとはいえ、東宝、ソニー、AppleはP.C.L.の精神を受け継ぐ親戚会社、と考えることも可能なんですよ。

 It's a SONY

 はもちろんソニーの惹句だけど

 It's a TOHO

 It's a Apple

 うん、どれも違和感がない。んでアタシが好きなのは間違いなくこのラインなんだな、とも思うわけで。

これは最後に引用したニュース記事があったからこそ、よしリライトしよう!と思ったわけで、あんなニュースがなければたぶんリライトはしなかったと思う。
それくらいあのニュースは衝撃と喜びが大きかった。つかP.C.L.という映画会社に思い入れがあったらそうなるよ。




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