聖地トキワ荘に行く
FirstUPDATE2016.11.18
@Scribble #Scribble2016 #藤子不二雄 #体験 #東京 単ページ トキワ荘 椎名町 寺田ヒロオ 手塚治虫 PostScript @戦前 #1950年代 #2020年代 #アニメ・漫画 #オタク/マニア #施設 #映画 #本 #神戸 #食べ物 仕事用ブログ 画像アリ

要するに「トキワ荘跡地近辺に行ってきたよ」ってな話なのですが、まずは、甚だ簡単ではありますが、トキワ荘とはなんぞや、というのを説明しておきます。

今では「漫画家の梁山泊」みたいに言われますが、漫画家として最初の入居者である、宝塚から上京することになった手塚治虫が、トキワ荘に移住したのは偶然でした。
別に手塚治虫が不動産屋に飛び込んで見つけたわけではなく出版社の紹介でしたが、これ以上続けるとマニアックになりすぎるので割愛します。
しかし、のちに「漫画の神様」と言われる手塚治虫が住んだことは、新築でありながら安普請だった小さなアパートが、漫画家を目指す地方出身の若者たちの憧れの場所になる第一歩になります。

ここに、同じく出版社の紹介で入居した寺田ヒロオ、さらに手塚治虫が退居することになって同じ部屋にそのまま入ったのが両藤子不二雄でした。
この後も石ノ森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろう、鈴木伸一といった将来名を成す若手漫画家が続々入居することになったのです。
何故トキワ荘に若手有望漫画家が集結したのかは諸説がありますが、今では「漫画家をひとつに集めておけば、いざという時に対応しやすい」という出版社の思惑、という説が有力です。
もちろん「仲間がいっぱいいて、楽しいし、切磋琢磨もできる」という漫画家自身の希望もあったのでしょうが。

さて、空気感を再現する、とひと口に言いますが、これはディテールの再現とはワケが違うのです。ディテールの再現だけなら、山のような資料、ま、写真ですね、を用意すれば可能かもしれません。
しかし空気感はそうはいかない。調査だけではなく取材が不可欠なんです。
アタシの知り合いにトキワ荘の再現模型を組んだ人がおられるんだけど、徹底的に調査、取材をしないことには作り始めるところまでさえいかない。実際その方は水野英子先生(短期間ですが、彼女もトキワ荘の元在住者です)や関係者から丹念に取材をして、<空気感>を蘇らせている。そういうことをちゃんとやっているからこそ、出来上がった模型は<空気感>が再現されているのです。

さて、アタシは藤子不二雄A「まんが道」をバイブルだと思ってるくらいなんだけど、初めて「まんが道」を読んだのは、たしか小学校6年の時で(まだ「週刊少年キング」に連載中だった)、以降アタシにとってトキワ荘はずっと聖地だったんです。

いつか、トキワ荘に行ってみたい!

そして松葉のラーメンを食べてみたい!

しかし、何故か、行く機会がなくてね。さすがに、と思ったアタシは、ついに重い腰を上げた。
大江戸線落合南長崎駅。大江戸線なんてトキワ荘に伝説の漫画家たちが住んでた頃にはなかった路線です。だから当然この駅もなかった。
しかしこの際、その辺はどうでもいい。とにかくアタシは新宿から大江戸線に乗って、トキワ荘跡地のそばまで来たわけなのであります。

駅の改札を出た瞬間から、あ、この雰囲気はいい、と思った。何が、と聞かれても困るけど、とにかくアタシの好きな雰囲気で、トキワ荘関係なく一発で気に入りました。
南長崎、椎名町周辺は、戦前モダニズムの観点でいえば「郊外」かもしれないけど、今の感覚でいえば紛れもない都心部です。もうひとつの最寄り駅である椎名町から西武池袋線で池袋まで一駅。時間にして3分です。

わざわざこんなことを書きたくなるくらい繁華街に近いのに、実にユルい空気感で、もしかしたら1950年代、60年代と何ひとつ変わってないんじゃないか、とすら思えるほどでした。
トキワ荘跡地までの道すがら、よく見ると戦前から存在したんだろうな、と思われる建物も散見できます。
そりゃ、アタシが気に入らないわけがないですわな。

跡地、と書いたように、トキワ荘は現存しません。というかアタシが中学生の頃に取り壊された。だから、どうやったって、神戸の中学生が「あの」トキワ荘を自分の目で見るなど不可能だったわけです。そして、当たり前だけど、今もトキワ荘は存在しない。
一応モニュメントはあるそうだけど、ま、所詮はモニュメントだし。
しかし幸いなことに、近年トキワ荘跡地そばに「トキワ荘通りお休み処」という施設ができました。これは2020年に予定されているトキワ荘復元プロジェクトの一環で、兎にも角にも、突然豊島区がトキワ荘にかんしてヤル気になってくれたのは非常にありがたいことです。


施設内の写真はアップできないんだけど、今やってる「トキワ荘等に関する基礎調査報告展」では、実寸大で寺田ヒロオの部屋が再現されており、これが非常に楽しい。
もちろんトキワ荘に興味のある方の方がより楽しめるのですが、ない方でも1950年代の独身男性の暮らしが手に取るようにわかります。(ま、漫画家という特殊な職業ですが)
ちゃんとテーブルにはチューダーが置いてあり、テラさんの部屋らしく、すべてが几帳面に整頓されています。
もちろん想像ではなく、当時の写真から詳細を割り出しており、襖の柄から本棚に並ぶ書籍まで、限りなく「テラさんの部屋」を再現しているのです。

館内の方にかなり詳しく説明していただきましたが、アタシとしてはトキワ荘そのものよりも、1950年代、60年代当時のトキワ荘周辺のことが聞けたのが収穫でした。
「まんが道」や映画「トキワ荘の青春」では、わりとひっそりした住宅街のようなイメージでしたが、実際は表通りの商店街はかなり活気があったようで、今よりもはるかに多くの商店があったそうです。
商店街にあった商店のほとんどは閉店してしまっています。半年ほど前まで現存していたという、トキワ荘の向かいにあった落合電話電信局も取り壊されていました。
トキワ荘跡地は日本加除出版(公的な書類を出版する会社らしい。当時から存在)の社屋になってますが、モニュメントは一応ありました。


さて、もうひとつ商店街に現存する商店があります。
「まんが道」ではお馴染みもお馴染み、中華料理の松葉です。
頼んだのは、もちろんラーメン。松葉といえばラーメンですから。昔からの店なので今風のゴッチャリしたラーメンとは正反対の、正統派の東京ラーメンです。


食った感想?もちろんコレ。


これで終わり、ですが、最後にひとつ。
「トキワ荘通りお休み処」には今時珍しいサイン帳があり、鈴木伸一先生を始めとした著名人も描かれています。
せっかくなので、アタシも描いてみました。


ぜんぜん描けない!マジ下手くそ!うーん、昔はこれの10倍は上手く描けたんだけどなぁ。というか「怪物くん」はマジで自信あったのに。
せめて目を互い違いにしてれば、とも思うけど、いやいや、それ以前の問題だよなぁ。

まだトキワ荘マンガミュージアムが完成する前の話なので今参考になることは何もないのですが、これも時代ということで。
このエントリ、文章が<やけに>丁寧なのは、もともと仕事用として書いたものだからで、たしかにYabuniraらしくはないんだけど、Yabuniraらしくするために不親切に改変するのも変なのでそこはそのままで。
とはいえ、仕事関係の話はガッツリ切ったのですが。




@Scribble #Scribble2016 #藤子不二雄 #体験 #東京 単ページ トキワ荘 椎名町 寺田ヒロオ 手塚治虫 PostScript @戦前 #1950年代 #2020年代 #アニメ・漫画 #オタク/マニア #施設 #映画 #本 #神戸 #食べ物 仕事用ブログ 画像アリ







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.