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「クレージー大作戦」徹底解剖
FirstUPDATE2016.10.29
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 さて、「大冒険」の話の前に「クレージーの花嫁と七人の仲間」の話をしないわけにはいかない。
 正直この映画は到底成功したとは言い難いのですがが、後々重要になることに気づいていることに注目に値します。

 物語の中心はハナ肇で、準主役といった役どころに植木等と谷啓、後の4人は端役同然の扱いです。つまりこの時点で早くも7人一組の行動を諦めている、ということになる。
 「クレージーの花嫁と七人の仲間」でハナが主役なのは制作された時期を考えれば妥当で、「スーダラ節」を歌った植木等、「シャボン玉ホリデー」他テレビバラエティで評価が高かった谷啓が準主役というのも妥当といえる。
 これが「ニッポン無責任時代」以降入れ替わることになります。
 ハナ肇は山田洋次と組んで「馬鹿」シリーズ、谷啓も「図々しい奴」で主演格の地位を築いていましたが、「ニッポン無責任時代」以降スーパースターになった植木等がグループのトップ扱いになります。
 世間的な扱いはスーパースターとして植木等、それに続くのがハナ肇と谷啓。残念ながら他の4人は「その他のメンバー」という扱いでした。
 もちろんグループとしての活動が縮小してからは料理研究家に転身した石橋エータローを除く3人は「名優」とという評価を得るわけですが、クレージーキャッツ全盛期にそういう評価があったわけではなく、ようやく第4の男として犬塚弘が売り出されつつあった程度でした。

 「大冒険」は古澤憲吾を監督に据えただけではなく「7人一組」の行動を諦めたことも重要で、「植木・谷」チームと「ハナ・犬塚・石橋」チームに分かれ、安田・桜井は全然関係ない役で出てくる。
 とくに、映画で初めて植木等と谷啓がコンビを組んだことはきわめて重要です。
 「ニッポン無責任野郎」においてこのコンビで数々のギャグを演じていたのですが、その後は意外なほどコンビ的な起用はされず、わずかに「日本一のホラ吹き男」であったくらいで、これとてコンビ芸といえるものを見せているわけではありません。

 「大冒険」はいろんな意味でメチャクチャな映画であり、完成度は低い。しかしターニングポイントといえる箇所はいくつもあります。
 主要なものだけでも

・興業的にホームランをかっ飛ばした
 クレージー映画が二本立てのメインになってから初めて興業成績のベストテンに入ったのが「大冒険」でした。
 フォーマットの確立こそできませんでしたが「(植木等映画ではなくクレージー映画を)ドル箱にしたい」という東宝の思惑がついに当たったのは大きい。

・植木等と谷啓をコンビ扱いすることで最低限の面白さがでることがわかった
 それまで東宝では谷啓は藤田まこととのコンビで「西の王将東の大将」を撮っており、テレビでは青島幸男とのコンビが多かった。またステージでは犬塚弘とのコンビが多かったといいます。

 話は若干逸れますが、TBSで放送された「植木等ショー」で谷啓(と伊東ゆかり)がゲストの回があります。谷啓作の「幽霊のきまり」が印象的な回ですが、残念ながら「植木等スーダラBOX」ではオミットされた箇所で、植木等と伊東ゆかりが「夏」をテーマにした歌をメドレーで歌い、それに谷啓が絡むというコントがあるのです。(オミットの理由は外国曲が含まれるため)
 これが抱腹絶倒もので、現在の目で見るとネタとしてはさほど面白いものではないにもかかわらず、植木等と谷啓の呼吸だけで何度見ても笑わせてくれる。
 物語上で絡ませるなら、植木等はハナ肇とやった方が深みが出る。しかしもっと単純に面白い空気にするだけなら植木等と谷啓は本当にいいコンビであり、この面白さに東宝が気づいたのは本当に大きいことだったといえるはずです。

 次作「クレージーの無責任清水港」は完全に植木等と谷啓のコンビを全面に押し出した映画で、「クレージー作戦・くたばれ!無責任」で上手く谷啓を使ったことが評価されたのでしょう、久々に坪島孝が再登板した。しかしやはり若手であった坪島孝に依存するのは怖いと思ったのか、題材が次郎長物だっこともあったのか、「次郎長三国志」など次郎長物に手慣れた重鎮・小国英雄を脚本に据えて撮られています。
 さらに次作「クレージーだよ・奇想天外」はおそらく渡辺プロの意向なのでしょうが谷啓の単独主演作で、比較的重要な脇役であるハナ肇とコメディリリーフ的な役回りの植木等以外は徹底的な端役です。
 ところがこれまた興業成績が良く、谷啓のコメディアンとしての評価も絶対的になったといっていい。

 結果的にですが「作戦」シリーズでは谷啓の重要性が再確認された。この時点で植木等主演の「日本一」シリーズは安定した興業成績を残しており、松竹のハナ肇と山田洋次の映画もそれなりに評価されていた。
 また犬塚弘は大映で「ほんだら」シリーズを撮り、また「馬鹿が戦車でやって来る」での好演もあった。桜井センリも「キンチョール」のCMで人気者になりつつあった。

 渡辺プロ、というか渡辺晋としては谷啓のランクが上がったことは喜びつつ「クレージーキャッツならではの映画」がいつまでたっても出来ないことは不満だったのは間違いない。
 しかし犬塚弘や桜井センリの人気と実力が上がった今なら、本当の意味での全員主演の映画が出来るとも踏んだのだと思う。
 かといって東宝に丸投げでは、また失敗する可能性が高い。

 そこで今まで東宝クレージー映画に関わった主要スタッフの知恵を集結して、クレージー全員主演の映画を企画するに至るのですが、まず、ここではっきりさせておきたいことがある。

「「クレージー大作戦」の脚本は黒澤方式によって作られた」

 という誤解です。
 田波靖男著「映画が夢を語れた時」を読めばこれはまったく違うことがわかります。
 黒澤明は当時としては珍しい複数の脚本家をたてて脚本を仕上げていました。そのやり方は、たとえば「隠し砦の三悪人」などの場合、シーン別に黒澤明がお題を出し、お題にそった脚本を複数の脚本家に競わせる。最終的にどちらが良いかの判定を黒澤明(時には「無責任清水港」の小国英雄)が行う、というやり方です。少なくともこういうやり方を日本でやっていたのは黒澤明だけだと思う。

 東宝クレージー映画も「クレージー大作戦」以前にも複数の脚本家による合作はありました。しかしいずれも突発的な要素が強く、最初から合作として想定されていたものではないという留意が必要です。
 「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」は田波靖男による破天荒すぎる内容を松木ひろしが修正しただけなのだから厳密には共作とはいえないし、「大冒険」は元々笠原良三単独執筆の予定だったのを、新藤兼人の原案が気に入らない笠原を田波が手伝っただけともいえる。
 その点「クレージー大作戦」は最初から複数の脚本家による合作を想定したものです。しかし田波の著作を読む限り、合議制に近いような感じでプロットだけが決められ、脚本そのものは田波がひとりで書いている。
 これはどう考えても黒澤方式というよりナベプロ方式といった方がいいと思う。
 「スーダラ節」をはじめとする一連の楽曲や「シャボン玉ホリデー」などのテレビバラエティと同じやり方で、渡辺晋を中心に衆知を集める。そこで出たアイデアを青島幸男なり萩原哲晶なりがまとめる。
 このやり方で結果を出してきたわけだから、映画でも同じことをやればクオリティが上がる、とする渡辺晋の考えは当然です。いわば渡辺晋にとって切り札的なやり方だったといえるのではないかと思うわけで。

 もうひとつ配役に関しても「切り札」がありました。
 「香港クレージー作戦」は作品の出来自体は低いものの、谷啓作によるトリックを使った音楽コントは高く評価されました。
 究極のクレージー映画を作るべくスタートした企画なのだから「音楽コントを劇中に挿入しよう」となるのは自然ですが、だったら最初からバンドということにすればいい、となったのではないかと思う。
 似たようなパターンの作品は「マダムと泥棒」から、日本でも福田陽一郎演出、渥美清主演のテレビドラマ「四十奏(カルテット)」などがあったし、特段目新しいアイデアでもない。むしろ何故これまでクレージー映画で採用されなかったか不思議なくらいです。
 とにかく最初からバンド(厳密には植木等はやや遅れて加わるけど)なら「7人一組での行動」も「目立たないメンバーの処遇」も一気に解決する。バンドである限り、仮に目立たないメンバーがいたところで不必要ということには絶対ならない。

 さらに渡辺晋は「クレージー大作戦」の撮影前にクレージーのメンバー全員をアメリカ旅行に連れていっている。これは「犯罪コメディなのだからアメリカの空気を味合わせておきたい」というのがあったのだと思う。
 実際、谷啓はこのアメリカ旅行で見たショウからヒントを得て、劇中の音楽コントを書き上げていますが、このように書き残しています。

(筆者注・アメリカ旅行から)帰国してから古沢憲吾(筆者注・ママ)監督の「クレージー大作戦」のショー場面のコントをぼくはまかされた。この映画は、二十億円(筆者注・ママ)の大金を狙ってホテルに乗り込んだわれわれ一行が、ショーに特別出演をして敵の目をあざむくという設定である。となると、そのショーは出来るだけ奇抜なものにしなくてはならない。(中略)古沢監督はぼくの苦心の絵コンテを非常に喜んでくれて、映画に取り入れてくれた。いずれにせよぼくは(中略)あのニューヨークの街を、人間を、空気を、においを頭に浮かべていたことは確かなのだから(後略)(谷啓著「七人のネコとトロンボーン」)


 それにしても、撮影ならいざ知らず、空気感を味合わせるためだけに多忙なクレージーをアメリカまで連れていくというのは凄い。いかに渡辺晋が「クレージー大作戦」の成功に賭けていたかがわかるというものです。(もっともこの旅行には「シャボン玉ホリデー」の秋元近史も同行させ番組(「クレイジーのアメリカ珍道中 ニセ者は奴だ!」・ちなみに「クレージー大作戦」のヒロイン野川由美子も出演している)を作っているのだから商売抜きではない)

 「クレージーキャッツ10周年記念」だった「大冒険」も円谷英二が特撮を担当し、ギャグマンとして中原弓彦を起用するなど力の入った作品でしたが、力を入れたのはもっぱら東宝側です。
 「クレージー大作戦」は通常東宝のプロデューサーと連名になるはずのクレジットが渡辺晋単独であることを見ても、スタッフは東宝の人間だけど全部を統括したのは渡辺晋であり、ある意味「渡辺プロ作品」といっていいのではないかと思う。それくらい「ナベプロ」として力が入っており、正直製作費をすべてナベプロが負担した「クレージー黄金作戦」や「クレージー・メキシコ大作戦」より本気で作られた映画、といえるのではないかと思うわけで。

 ここからいよいよ、本編を見ていきたいと思います。
 巻頭、いきなり植木等が「たるんでるよ(たるんどる節)」を歌いながら、銀座のメインストリートを走り抜ける様はシリーズでも屈指の<スタートダッシュ>っぷりで、宝石店に強盗に入り、嬉しそうに逮捕される。ここまで快調そのものです。
 が、植木等が「いつも通りの植木等」なのはこの巻頭だけなのです。
 刑務所に入った植木等は谷啓に計画を打ち明け協力を要請するが断られる。この時のリアクションがまったく「いつも通りの植木等」ではない。
 いつも通り、ならウヒヒと笑いながら「やっぱりそう来たか!」とかいいそうなものだけど、実際には「何だって!」と厳しい表情で返答している。
 「大冒険」でもそうした演技はあったのですが、それでも辞世の句のシーンや敵基地に忍び込んで谷啓に「おい!来てよかったなぁ!」というシーンなど「いつも通りの植木等」も散りばめられている。
 「クレージー大作戦」も植木等が笑いをとりにいくシーン(老人に変装するシーンなど)はあるんだけど、「いつも通りの植木等」になることは最後までないのです。
 そういえば「植木等ショー!クレージーTV大全」の中で、TBSの名演出家にして「植木等ショー」のディレクターも務めた鴨下信一が面白いことを語っています。

植木さんという人を知れば知るほど、ドキュメンタリーがいいと思いました。(中略)明らかに「クレージー大作戦」になると紙芝居なんですよ。僕としては、やっぱり初期の平均とか「ニッポン無責任野郎」の源等など、初期の絵空事だけど生々しいドキュメンタリー・タッチが、植木さんの持ち味だと思っていましたから。(中略)(「クレージー大作戦」について)ああいうフィクショナルなものはあまり上手くないと思っちゃうんだよね。(括弧内はすべて省略)


 「クレージー大作戦」に違和感があると感じる人は、かなり多い。実際「クレージー大作戦」をあまり面白くない、という人も結構いる。この映画にアイデアを提供した小林信彦は近年、公開当時以来久々に見返して「まとまっているが植木等が光っていない」と評しています。
 「クレージー大作戦」の植木等は鴨下信一がいうところの苦手とする「フィクショナルな」キャラクターを演じきっている作品であり、植木等を「いつも通り」使うことを避けた作品といえる。言い方を変えるなら「植木等をあまり光らせないよう」に作った作品ともいえるのです。

 これは植木等に限らない話だけど、ひとりの役者を100%光らせるためには、やはり特殊なシチュエーションを用意する必要があります。植木等にとってはそれが「無責任」シリーズであったり「日本一」シリーズになるわけですが、植木等を光らせる代償として、クレージーの他のメンバーが光らなくなる。何故なら単独主演映画での植木等と、クレージーキャッツとしての植木等は、かなり違うキャラクターなのです。
 クレージーの舞台を生で何度も見ている古参のザ・ピーナッツのファンの方と話をさせていただいた時、「舞台のクレージーと映画のクレージーはまったく違う。むしろ映画を見て、こんなクレージーもあるのか、と思ったほど」と語っておられました。
 リアルタイム世代ではないアタシも、残された「10周年だよ!!クレージーキャッツ」(東京宝塚劇場で行われた結成十周年記念ステージの中継録画・「クレイジーキャッツ・メモリアル」に収録)を見るだけでも、ああこれは映画とはまったく違ってたんだな、ということくらいは、わかるわけで。

 さっきから「いつも通りの植木等」を連呼していますが、このいつも通りというのは正確には「映画での」話です。単独主演映画での植木等に近ければ近いほど、クレージー本来の面白さから遠のいていくわけで(実際それまでの映画はそこで躓いている)、「クレージーキャッツのメンバーが全員主役」の映画を作るなら、「いつも通り」の植木等を殺すしかない。
 とはいえいつも通りやらせた方が面白さは出やすいし、ましてや古澤憲吾が監督なのだから、やろうと思えば完璧にいつも通りに出来たはずです。
 おそらく渡辺晋の方から古澤憲吾に「植木等らしさを殺してでもメンバー全員を引き立ててくれ」という要望があったはずで、それでも完全に植木等らしさを殺してしまうのはもったいない。
 となると唯一いつも通りやっても大丈夫なのは、植木等が他のメンバーと出会う前、つまり巻頭しかない。そしてそれは映画の「つかみ」にもなるわけです。

 クレージーはけして「植木等の人気におんぶに抱っこ」のグループではありませんでした。グループとしての面白さがあったからこそ認められたグループだし、それぞれの単独に主役した映画では、グループでやる時とは違った魅力を発揮できた。いわばメンバー全員が「クレージーとしての」キャラクターと魅力、個々のキャラクターと魅力の両方を持っていたことになります。
 植木等に限らず、今作においては全員が個々の魅力を封印してグループ内での面白さに徹している。そんな映画は東宝クレージー映画全30作でも「クレージー大作戦」だけです。
 もちろんその代償として、いつも通りの植木等を求めるファンの期待を裏切ったことは否めない。はたまた鴨下信一のような見巧者から否定的な意見が出ることもやむを得ないのかもしれませんが。
 ここでPage3へ続く。







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