足で調べるのが本当の捜査だ、なんて安手なセリフは刑事ドラマなんかのルーティーンです。
ルーティーンなんだから目くじらを立てることじゃないし、別に間違ったことをいってるわけでもないので、これからも遠慮せずに続けちゃってください。誰もアタシになんか遠慮するわけないけどさ。
さて、インターネットだけを頼りにしているのに博識ぶった人を皮肉って「ネットスカラー」なんていうようです。
たしかに今の時代、チョチョイと検索をしてやるだけで、わりと何でもわかってしまう。といっても以前書いた通り、ネットでわかることなんて所詮は表層に過ぎないんだけど、世の中の知りたいことなんて大半が表層だけ知ってれば十分なんだから、ま、少なくとも20年前と比べると「一億総博識時代」なのかもしれません。
逆にいえば、本当に博識と呼ばれるだけになろうと思えばハードルが高くなったともいえるわけで、検索したことがあるってだけで博識なんてとても言えない。つまり表層を知ってる程度では自慢にすらならない時代だと思うわけで。
事象の表層を知ろうと思えば、Wikipediaは本当に便利です。
よく「Wikipediaなんて間違いばっかり」という人がいますが、ネットの情報なんて基本二次情報なんだからテキトーなもんだと思って間違いない。これも前に書いたけど、一次情報さえあれば正しい、その一次情報が正確かはたいして問われないんだから当然です。
そんな中で、Wikipediaは正確さにおいて、あくまでネット情報の中ではですが、かなりマシな方なんですよ。もちろん自分が多少なりとも詳しい項目にかんしては間違いを見つけることはできるのですが、間違いがひとつあっただけで鬼の首を取ったように「ほれみろ、Wikipediaなんてデタラメ」というのは無理がある。
間違いはね、一次情報ですらあるんだから。そんなこといってたら、もっとも正確なものが何なのかとかわからなくなるよ。
Wikipediaの最大の特徴は、その網羅性でしょう。
昔「クイズグランプリ」という番組があって、「スポーツ」「芸能・音楽」「文学・歴史」「社会」「科学」といったジャンルから問題が出題されるんだけど、アタシの薄い記憶でいえば、出場者に得意ジャンル、苦手ジャンルが必ずあった。(歴史問題は強いけど、科学問題は弱いとか)
当たり前だけど、Wikipediaは上記のどのジャンルも網羅してある。つまり苦手がない。もしWikipediaくんがクイズグランプリに出場したら優勝間違いなしです。
ただし完全優勝できる(他の出場者に一問も答えさせずに全問正解する)かといえば、まァ、それはないと思う。やはり100%正確とは言い難いし、そこまで込み入った記載がないからですが、それでも全ジャンルに強い、表層とはいえ軽く全体像を掴める、といった長所を考えれば優勝はできる。
つまりWikipediaさえ完全に記憶すれば、一応は博識といっていいんじゃないでしょうかね。
というか、それくらいやればネットスカラーなんて一種の蔑称を蹴散らせると思う。ま、あの膨大なWikipediaの全文記憶とか絶対に無理ですが。
アタシなりのWikipediaの使い方として一番有効だな、と思うのは、知らないことを調べるのではなく、結構詳しいことまで知ってることをあえてWikipediaで見てみるのです。
といっても間違い探しじゃないよ。さすがにアタシもそこまで性格は悪くない。
「詳細ではない」ってのを言い方を良くするなら「コンパクトにまとまってる」という意味です。
かといってコンパクトすぎて、有名人のプロフィールとかでいえば、生年(と没年)とか出身地、あと俳優とかといった肩書き、くらいじゃ参考にもなりゃしない。やはりWikipediaクラスの記述量は必要です。
詳しい知識がある場合、意外と基本的なことが、当たり前すぎて意識外になってしまうことも多いんです。
たとえばアタシが詳しいと自認している植木等のことなんかでも「あ、そうだった。植木等がバンドボーイでいたのは刀根勝美のところだった」なんて思い出すことができる。
もちろん知識があるから、あからさまな間違いは間違いだと気付けるし。
とか考えていくと、実はWikipediaって中高年向けなのかもね。
トシをとる毎に記憶が怪しくなっていって、固有名詞とかがなかなかでてこなくなる。でも具体的に名前を挙げてもらうと、それが正しいか間違ってるかくらいはわかる。で、意外と間違った情報を知るうちに正解を思い出したりもするからね。
Wikipediaの運営もさ、しつこく無差別に寄付を募るくらいなら、そーゆー層にもっと訴えかければいいのに。
「ボケ防止にWikipediaをどうぞ!高齢者かつ貯蓄の多い方、ぜひ寄付を!」
ってね。そっちの方がカネ集まりそうじゃん。ねぇ。