ノッた時、ノッてない時
FirstUPDATE2016.9.27
@クレージーキャッツ @植木等 単ページ 支離滅裂 オーラ @日本一のホラ吹き男 紅白歌合戦 植木等的音楽 小林信彦 PostScript

 今回はちょっとだけ、考察めいたことを書きます。

 昔、「香港クレージー作戦」をはじめて観た友人が「最初、植木等があまりに疲れた顔をしていてビックリした」といってたことを思い出します。
 アタシもその上映会にはいたのですが、たしか「香港」の前に上映されたのが「ニッポン無責任野郎」だったはずで、たしかにものすごいギャップをアタシも感じました。
 まぁ植木等が疲れた顔をしていたのも当然で、実際この映画の撮影後に過労で入院した、というのはこのサイトを訪問された方には言うまでもないと思いますが。

 植木等という人は、とにかく体調が悪かったり、気分がノらなかったり、仕事内容に納得がいかなかったりすると、ダメなのですね。というかそれがこっち側(観客)にまで伝わってくるタイプなんです。
 もちろんプロですから、ちゃんと「植木等っぽいふるまい」はするのですが、この人、根が真面目だから、ものすごくちゃんと「植木等」を演じようとする。でもそういう時の植木等はあんまりおもしろくないんです。
 小林信彦は植木等を

 『(前略)計算と妥協を重ねる<調和型>とでもいうべき人間像が浮かび上がってくる。それだけであれば、ただの忍耐づよい人であるが、ある瞬間、まったく別な、<計算のない植木等>が、異様なオーラを帯びて飛び出してくる。その変わり目が、なかなか理解しがたい。ひとことでいえば、植木が父君を評した<支離滅裂>という言葉がぴったりする。(「喜劇人に花束を」より)』

 と評していますが、このオーラは気分次第でしかでてこない。となると植木等をその気にさせる内容が必要になってくるのですが。
 アタシが「実年行進曲」と「新五万節」をあまり買ってない原因のひとつは、植木等がノッてないのがわかるんですよ。もちろんそれっぽく叫んだりしてるんだけど、なんというか、オーラを感じない。
 たまたま「実年行進曲」をやり玉にあげましたが、数多いディスコグラフィや映画でも、「ノッてない=無理やり無責任を演じている男」が登場する作品がかなり多い。

 では反対にノッてる作品はどういうものか、たとえば古澤憲吾監督作品、たとえば青島・萩原コンビでつくられた楽曲。これらの場合、大半がそれなりのノッてます。
 植木等は最後まで古澤憲吾の突撃演出や、青島幸男の無責任の思想に馴染めなかったといいますが、それでも結局いいものを作ってくれるという安心感があったのでしょう。やはり他の人の作品と比べても納得していたんだろうと思われます。
 それでも、映画でいえば「日本一のゴマすり男」以降の古澤作品や、楽曲でいえば「ホラ吹き節」とかちらほらノッてない植木等が顔を出している。
 そう、植木等を納得させる(オーラを出させる)のは大変なんです。古澤憲吾や青島幸男でもダメな時がある。アタシはね、クレージー映画の出来にムラがあるのは、植木等のそういう部分も大きいと思うのです。(もちろん大半は植木等を納得させるネタを用意できなかったり、安易な発想を続けたスタッフにあるのですが)

 では、植木等は自分で自分をノせることはしないのかといえば、まぁなかったんでしょうね。あれだけムラがあるってことは、納得しなかったら、ハイそれまでョ、だったはずです。

 しかし、例外は存在します。
 まずは「日本一のホラ吹き男」の時です。
 「香港」撮影後に倒れて、その復帰第一作ということもあって、かなり危機感を感じていたんでしょう。
 「古澤憲吾作品の植木等はパワフル」といいますが「ホラ吹き男」は特別です。おそろしくパワフルな動きと、凡庸なセリフを独特の言い方をしていて、それだけで笑わせてくれます。
 笠原良三の脚本はほとんどギャグがありませんし、ハナシも、まるで「無難これ名画」といわんばかりの、相変わらずぶりです。
 それでも植木等が出てくるだけでおもしろい、となったのは、病み上がりの植木等がこの作品に賭けたパワーのおかげです。(アタシは出来にムラのあるクレージー映画があれだけ続いたのは、この作品の成功が大きいと思っている)

 2番目は1990年の紅白歌合戦でしょう。
 まず前提としてですが、同年秋に発売された「スーダラ伝説」ね、実はあんまりノッてないんですね。「実年行進曲」より若干マシかなってぐらい。
 紅白はもちろんリアルタイムで観てたんですが、だからこそビックリしたんです。
 今ビデオで観ても、全盛期でもここまでオーラ全開な植木等はなかなか見れない、と思わされます。
 でもけして納得してノッてたんじゃないんですよ。実際リハーサルの時に、NHKのやり方を痛烈に批判している。
 もうこれは「ちゃんとした気持ちで、無責任男をやりつくしたい」という気持ちがあったんではないかと。

 そして最後は「植木等的音楽」です。
 もしこのCDを持っておられない方がいれば、絶対に入手してください。とにかく全楽曲、これでもかというぐらいオーラを出しています。
 「FUN×4」や「針切りじいさんのロケンロール」はもちろん、三波春夫と歌った「新二十一世紀音頭」なんか、元の「二十一世紀音頭」と比べるのすらアホらしくなるぐらいいいし(オケは同じなのに)、「ナイアガラムーン」、「旅愁」といったムーディなものも、「おかしい」とは違う、独特のオーラを出している。(「植木等的音楽」の考察はコチラ)

 そしてこの録音から3年後、事実上「歌手・植木等」は終わりを告げます。つまり病気で歌えなくなったのです。
 これはただの推測ですが、本人はうすうす「これが最後の歌手活動になるかもしれない」と感じていたのではないでしょうか。そうでないと、わりと唐突にリリースされた(当時アタシはそう感じた)アルバムで、あれだけノッているのが説明つかないんです。
 もし「実年行進曲」から「スーダラ伝説」までの間に吹き込まれていたなら、おそらく非常につまらない出来になったような気がします。
 が、まさに歌手人生の総まくりのような植木等のヴォーカルは、全盛期のパワフルさとオーラを超えている、といっても過言ではありません。

 「無責任男・植木等」を演じるんじゃなく、完全に無責任男と同一化した「日本一のホラ吹き男」と紅白での「スーダラ伝説」、そして「植木等的音楽」は超特級の仕事です。これらを観るなり聴くなりして植木等を評価しないと、存在価値を見誤ることになると思うのですが。

「植木等スーダラBOX」をお持ちの方なら承知されてると思いますが、あれ、いろいろあってTBS系で放送されたものだけなんですよ。
だから「スターロータリー」などのシブい番組が収録されているわけですが、「シャボン玉ホリデー」や「おとなの漫画」などは「クレイジーキャッツメモリアル」にしか収録されていないし、メモリアルに収録されなかった1990年の紅白歌合戦の映像も一度もソフト化されていません。
ま、たしかに某ようつべで定期的にアップされてるから視聴は可能なんだけど、公式の映像をアップして欲しいわ。何かクレージーの公式YouTubeサイトも出来たみたいなんで。




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